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嘉永元年(一八四八)七月二十七日、幸次郎は、育ての親であり、渡世上の親分でもある岩五郎に命令されて、子分五人を引き連れて、武州から勇躍、出向いて行き、伊勢松坂の渡世人半兵衛を急襲した。重傷を負った半兵衛は、今際のきわに、兄弟分である伊勢古市の貸元丹波屋伝兵衛を枕元に呼んで、伝兵衛の手を握り、

「兄弟、仇は討ってくれ……」

と言い遺して目を閉じた。

 兄弟分の今際の頼みであれば、意地でも半兵衛の仇を討たなければ渡世は張れない。伝兵衛は兄弟分である間宮の久八に、助っ人を頼んだ。後の大場の久八である。伝兵衛は伊豆多田村の生まれで、久八の生まれた間宮村とは、目と鼻の先である。久八の女房は伝兵衛の実姉でもある。

 嘉永二年四月五日、岩五郎、幸次郎対伝兵衛、久八の血で血を洗う抗争は、遠州岡田村で火蓋が切られた。岩五郎と幸次郎が泊っている旅籠に、久八が子分十五人を引き連れて、寝込みを襲った。この時岩五郎は背中を斬られ、幸次郎は股に槍を受けたが、応戦して、久八の子分伊達の五郎を叩っ斬り、三人に傷を負わせた。結局この勝負は着かず、伊豆、東駿河を勢力圏とする久八は、岩五郎と幸次郎を殺さなければ、渡世に対して、示しが付かなくなった。

 四月十六日、久八は子分二十三人を引き連れて、東海道三島宿で、幸次郎の子分金五郎を血祭りに上げた。

 八月二十一日、駿東郡御宿村に潜伏していた、幸次郎の子分惣蔵を、槍で突き殺して、鬨の声を上げて引き上げた。

 これを武州石原村で耳にした幸次郎は、烈火の如く怒って子分二十一人を召集した。

 先ず、武州熊谷宿周辺を荒し廻って、軍資金を手に入れ、鉄砲や槍を買って、子分に携えさせて、岩五郎の潜む秩父を経て、甲州に入り、久八の舎弟分である鰍沢河岸の目徳を叩っ斬り殺害した。竹居村の安五郎は、久八とは五分の兄弟分であるが、この頃は、石和代官所から睨まれていて、身動きができない状態であった。

 富士川を下り途中の南部宿に、久八の舎弟分で久右衛門という者がいるのを知り、袋叩きにして半殺しの目にあわせた。目指すは、幸次郎の子分惣蔵殺しに加担していた植田新田の安蔵である。安蔵の家に急襲した処、安蔵は幸次郎達が、乗っ込んで来るのを事前に察知して、逃げてしまっていた。何んとしても、惣蔵の仇を討ちたいと意気込んでいた幸次郎達は、安蔵が逃げたのを知り、切歯扼腕した。代りに安蔵の父親で、渡世人である善七を拉致した。

「手前ぇの倅の安蔵は、俺の可愛い子分の惣蔵を殺した。供養料として、五十両出して貰いてぇ。さもなくば、手前ぇを殺すだけだ」

「そんな金は持っちゃあいねぇ」

 善七は、怯えながらも、渡世人としての意地を見せた。

「判った。それじゃあ死んで貰うだけだ」

 幸次郎は、長脇差の鞘を払って、切っ先を善七に向けた。善七は幸次郎が脅しでなく、本気でいるのを悟った。

「待ってくれ!石原の。俺は銭はねぇが、名主の安左衛門に頼めば、必ず五十両位は、何んとかなる」

「よし、名主の所に行く。善七、案内しろ!」

 名主の安左衛門の家に行くと、今五十両の持ち合わせがないからと言って、親類の質屋で一本松新田の源兵衛に取り継いだ。幸次郎達は、源兵衛から、三十五両の金を強奪して立ち去った。

 東海道を西に行き、由比宿で船を雇った。丹波屋伝兵衛と兄弟分である遠州相良の富五郎に、海上から殴り込みを掛けるつもりである。処が、運悪く時化(しけ)となり、幸次郎達の来襲を知った相良藩が沿岸を固めたのである。幸次郎は上陸を断念した。

 これまで傍若無人に振る舞っては、お上も看過できない。幸次郎は子分を三手に分けて、逃走に掛かった。藤五郎、亀吉達は、間道を北上して、駿州宍原で一泊、此処で更に二手に別れ、藤五郎達は富士川を渡って上井出村に出て、人穴村を経て吉田へ。更に籠坂峠を越えて、駿州御厨辺に出たが、韮山代官江川太郎左衛門が、急遽派遣した鎮撫隊に遭遇して、白兵戦の後、一名即死、一名負傷、二名捕縛、一名逃亡した。

 亀吉達は、甲州から信州に入り、東山道に姿を現わした。関東に下向する京都一条院姫君寿明を、碓氷峠で奪い取るのではないかと、中之条代官所、安中、坂倉両藩は緊張したが、九月二十四日中之条代官所に、五人は捕縛された。

 幸次郎は、甲州に潜伏していたが、甲府勤番支配の者に、甲府で捕縛された。

 武州石原村無宿幸次郎人相書

   一、年頃三十才位

   一、丈高く顔細長く色青白く太り候方

   一、あばた少々有之

   一、足之黒ぶし之上に突疵有之

 幸次郎は、武州本庄宿で関東取締出役の取り調べを受けた後、江戸に護送され、嘉永二年十二月、忠次郎の処刑に先立つこと一年、獄門に晒された。この年は、下総の渡世人勢力富五郎が、関東取締出役に抵抗して、子分数百人と万歳山に立て籠って、鉄砲で自決した。幸次郎と富五郎は、二足を履かない武闘派の渡世人として、忠次郎の冥土行きの旅の露払いをしたのである。

 

 時代を、八年前の天保十二年(一八四一)に遡ることゝする。善昌寺の岩屋に、忠次郎を訪ねて来た幸次郎を見て、三ッ木の文蔵とあまりにも似ているので忠次郎は魂消た。幸次郎と同じ年頃の文蔵を知っている重兵衛と沢吉の顔を見た。二人共、信じられぬといった面持ちをしている。

「貸元。覚えておくれですか。この幸次郎、十三年前、荒川の河原で貸元に助けられてから、一日たりともご恩は忘れていません。俺も何時かは、忠次郎さんのような渡世人になりたいと思って、今日までやって参りやした」

「おう覚えているぜ、幸次郎。それにしても大きくなったなぁ…。それにあの時と同じように、一端の口を利くなあ」

 忠次郎は、梟首された文蔵とは、幼な馴染みで、竹馬の友である。それ故に、文蔵との想い出は多くある。時々想い出しては、心の中で泣いているのである。文蔵と瓜二つの幸次郎の出現は、文蔵、才市、友五郎を処刑されて、埋めることのできない心の空虚を癒してくれた。第一幸次郎は、屈託がないのが良い。

「幸次郎。処でお前ぇは誰の盃を貰っているんだ?」

「へぇ。代貸に仁義で申し上げた通り、秩父は田中の岩五郎に盃を貰いました。岩五郎との盃は成り行きで受けたもの。第一、岩五郎は一年中旅に出ていて、会うのも年に一度か二度。この際、貸元の盃を貰って、国定一家の者として渡世を執りてぇですよ」

 幸次郎は、縋るような眼差しをして、忠次郎を見た。

「幸次郎。渡世人の盃はそんなに軽くはねぇ。例え成り行きで貰った盃でも、一度受けた盃は返すことはできねぇ。親がどんな者であっても尽すのが子分だ。それに二人の親を持つことは、二足の草鞋だ。その辺にいる、八州の道案内人とちっとも変りはねぇ」

「俺らぁ、あの時から、忠次郎さんの子分になるんだと決めていたんです。何も判らず、岩五郎の盃を貰うんじゃあなかった」

 十五歳で岩五郎の盃を貰ったことを、幸次郎は後悔した。

「それじゃあ俺は、国定一家の子分にはなれねぇのですか……」

 忠次郎の盃が貰えぬと識り、幸次郎は悲しくなり、涙ぐんでしまった。渡世人として、一端の仁義を切って、国定一家を訪ねて来たとしても、未だ二十歳になったばかりの若輩である。

 幸次郎の純真さに、心を打たれた忠次郎は、幸次郎を励ました。

「渡世の掟は、この忠次郎とて破る訳には行かねぇ。岩五郎どんという親があるのを知りながら、盃を幸次郎にやれば、俺も笑われるし、幸次郎も笑われる。辛抱しろ、幸次郎!但し、旅人として俺の所にいる分は差し障りねぇから、気の済むまで居りゃあ好い」

 忠次郎は、にっこり笑って幸次郎を見た。

「判った、親分。俺は盃を貰えねぇけど、腹の中で子分だと思っている。思うだけなら、何方様でも文句は謂えねぇ」

「そうだ幸次郎、そうしろ」

「判りやした、親分」

 通常、渡世人は、自分の親を親分と呼び、他人の親を貸元と謂う。従って幸次郎は、忠次郎のことを貸元と呼んで然るべきである。それを親分と忠次郎を呼んでいるのを耳にして、忠次郎は苦笑をして、首肯した。

 忠次郎と重兵衛、円蔵は、幸次郎の素直さに目を細めた。その日から幸次郎は、善昌寺の岩屋に残り、忠次郎達と寝食を共にした。

 

 その年の天保十二年十二月中旬、国定一家の四天王の一人、山王民五郎は、自分の死守する縄張りである利根川中州の山王堂で、仁手の半稼師権三が、賭場を開いているという通報を、一人の百姓から受けた。子分達を家に帰して、女房と差しつ差されつ盃を交して、上機嫌で飲んでいたところである。

(権三の野郎、又か。俺に話を通さず、盗っ人寺を取りやがる……)

 民五郎は、何時ものように権三の賭場に行って、上った寺銭を取り上げれば好いことだと考え、長脇差も持たず、たった独りで利根川の中州の山王堂に出掛けた。山王堂まで来ると、筵(むしろ)で囲った小屋から灯が洩れている。あれだなと思って、小屋に近付いて、入口の筵を捲り上げた。

「権三。渡世の筋を通さなけりゃ、駄目だぜ」

と言って、小屋の中に一歩入ると、そこには、六年前の喧嘩で片輪にした玉村の主馬が、丸めた筵の上にどっかり座り、傍に子分の藤七、徳太、和蔵の三人が控えていた。

「この日の来るのを、俺らぁ待っていたぜ。民五郎!」

 主馬が三人の子分に顎を杓ると、三人の子分は、すでに鞘を払って、背後に隠し持っていた長脇差で、一斉に民五郎の胸を刺した。

「この野郎!………」

 民五郎が言った時、主馬が杖を突いて民五郎の傍に近付いて、顎の下に長脇差の刃を押し付けた。民五郎が前のめりに倒れた重みで、民五郎の首は落ちた。

 六年前、民五郎の片鬢(かたびん)を落した仕返しに、片輪にされた主馬は、執拗な男であった。忠次郎が懸念したように、主馬の止めを刺さなかったことが、民五郎の死を招いたのである。

 首の落ちた民五郎の躰を、更に三つ斬りにして、主馬は子分に命じて、利根川の流れに放り込ませた。

 民五郎の首を、黄木綿に包んで、主馬は子分達に命じた。

「連取村の多賀屋源兵衛は、民五郎を随分、可愛がっていた。あの野郎の所へこの首を持って行き、三十両ばかり強請って来い」

「承知いたしやした」

 藤七、徳太、和蔵の三人は、同時に肯いた。

 三人は源兵衛の家に行って、三十両出せと強請った。源兵衛は、持ち合わせがないと謂って、十五両を三人に渡した。

 

 民五郎が、主馬に騙し討ちにされて躰を切り刻まれ、利根川に放り込まれたことを、忠次郎が聞いたのは、一カ月後の天保十三年の一月中旬である。

 重兵衛の報告に、たまゆら眉を顰めた忠次郎は、眦を決して中空を睨んだ。

「直ぐに民五郎の仇を討つ。野郎共、支度をしろ!!

 民五郎の仇討ちをする者として選抜されたのは、浅次郎、安五郎、沢吉、久次郎の他、国定一家の腕利きの子分で、総勢十八人である。この中には、一宿一飯の渡世の義理を果すため、幸次郎も勇んで参加している。

「民五郎を殺った以上、主馬の野郎も腹は括っているだろう。助っ人もいると見なけりゃならねぇ。重兵衛、短銃を幾つか持たせてやれ。主馬を見付けたら、物も言わずに、ぶっ放してやれ!」

「承知しました」

 重兵衛は応えると、子分に運ばせてきた小さな木箱の蓋を開けて、中から一挺ずつ短銃を取り出して、箱の蓋の上に並べた。

 短銃を初めて目にした幸次郎は、好奇心に唆られて、手に取って見たくなったので、忠次郎の顔と短銃を交互に見た。忠次郎は苦笑した。

「幸次郎、持ってみろ!」

 幸次郎の気持を見透かした忠次郎の言葉を聞いて、幸次郎は素早く短銃を持ち銃把を握ると、銃身を指で擦った。浅次郎、安五郎、沢吉、久次郎も、短銃を持った。他の子分達は、長脇差を腰に差して、手には槍、薙刀を持っている。

 全員の喧嘩支度が整ったのを見計って、浅次郎が言った。

「親分。行ってめぇりやす!」

「おう!油断はするな!」

「主馬の首は、必ず取ってきやす」

 忠次郎は、民五郎の仇討ちには、自ら先頭を切って行きたいのである。それを円蔵に諫められて、我慢しているのである。

 忠次郎は、これから玉村の主馬の所に殴り込む子分十八人の顔を、順々に見廻して、一人一人に頷いた。

(主馬は卑怯な野郎だ。どんな手を使うか判らねぇ。気を付けてくれ)

 善昌寺の岩屋から、赤城颪に後押しされて、国定一家の精鋭は、主馬の縄張りである玉村に向った。

 逸早く、国定一家の殴り込みを察知した、主馬の子分和蔵は、主馬に注進した。

「国定の奴等は、すぐ近くまで来ていますぜ、親分!それに短銃を持っているって話です」

「何だって、短銃を持っているのか?和蔵」

「へぇ。それも五挺も持っているとのことですぜ」

 卑怯にも、民五郎を騙し討ちにしていながら、己れのことは棚に上げて、主馬は吐き捨てた。

「汚ねぇ奴等だ!!

「親分。どうしますか?」

 怯えた面持ちを隠そうともしないで、徳太は主馬に聞いた。

「長脇差だけなら何んとかなるが、飛道具を持って来られたんじゃあ、敵う訳がねえ。取り敢えず徳太、おめぇの実家の離れにでも身を躱すから、案内しろ」

 主馬は腹を括って、この喧嘩を完遂する意志は、毛頭ないようだ。

 徳太の生家は、玉村下新田の八幡宮のすぐ裏にある。父親の徳兵衛は名主である。

 与六分にある主馬の家から、主馬と徳太は、徳太の生家の離れに移った。藤七と和蔵は、二十人からの助っ人と共に、主馬の家に残った。

 国定一家の殴り込みは凄かった。浅次郎を先頭に、安五郎、沢吉、久次郎、それに幸次郎達の腕利きの元気者が、主馬の家である玉村一家に雪崩れ込み、長脇差で斬り、槍で突き、薙刀で払って、短銃で撃ち、忽ち、十五、六人を斃した。幸次郎の活躍も目覚しい。阿修羅の如き国定一家の戦い振りに、玉村一家の助っ人達は怖れをなして、四散した。

 民五郎を騙し討ちにした張本人は、主馬、藤七、徳太、和蔵の四人である。この四人は何んとしても捉えて、民五郎が殺された利根川の中州の山王堂に連れて行き、民五郎がやられたように、躰を切り刻んで利根川に放り込むことが、民五郎の供養になると考えている、浅次郎と安五郎、それに沢吉である。

 散々、引っ叩かれて、荒縄でぐるぐる巻きにされた藤七と和蔵は、国定一家の子分達に囲まれている。

「主馬は何処へずらかった?」

 浅次郎と沢吉が、思いっきり藤七と和蔵を蹴り上げた。

「知らねぇよ……」

「判った。それじゃあ、死んで貰うだけだ!」

 浅次郎が言うと同時に、だーん!と短銃を撃つ音がした。魂消た子分達が藤七を見ると、藤七の太腿に小さな孔が開いて、血が流れている。幸次郎が撃ったのである。

 沢吉は、幸次郎の状況判断の的確さに、感心した。

「次は心の臓を狙うぜ、藤七」

 浅次郎が凄むと、藤七は怯えて口を開いた。

「親分は、徳太の実家の離れにいますよ。板割の……」

「そうか、それじゃあ、徳太の実家に案内して貰うぜ」

 浅次郎は、藤七の隣りで神妙な面持ちをしている和蔵を促した。縄を解かれた和蔵は、浅次郎と沢吉達十人を案内して、八幡宮の裏にある徳太の実家に向った。安五郎、久次郎達は、玉村一家に残った。

 徳太の実家の門まで来ると、和蔵は門の中を覗いて、離れを指差し、浅次郎に頷いた。浅次郎を先頭にして、国定一家の子分達は、離れに殺到した。その隙に乗じて、和蔵は姿を晦ました。和蔵が逃げたのを浅次郎達が知ったのは、主馬と徳太を捉えて、意気揚揚として門の所に来た時である。

「しまった。和蔵の野郎に逃げられた」

 久次郎が、如何にも残念であるといった面持ちをして言った。

「和蔵が幾ら逃げても、やがて捉えられる。取り敢えず主馬を引っ捕えたのだから可(よし)としよう」

 主馬と藤七、徳太の三人は、民五郎が殺された利根川の中州の山王堂に擦()って行かれた。

「板割の片輪者で、満足に歩けねぇ俺を殺っても、仕様がねぇだろう。命だけは助けてくれねぇか?」

 命乞いをする無様な主馬を、まのあたりにして、幸次郎は思った。

(此奴は漢じゃねぇ…)

 五挺の短銃は一斉に火を吹いた。

 浅次郎が促すと、子分達は三人の屍体を利根川の水辺に運んで、三つに切り刻み、流れに放り込んだ。

 目には目、歯には歯、を以て報いる国定一家の喧嘩は、凄絶そのものである。

 国定村の養寿寺には、銃身に丸に忠の字が、銀象嵌されている、短銃がある。忠次郎が使用した物である。忠次郎は武器に対しては、独特な感覚を持っていたのである。

 

「主馬と藤七、徳太の三人は、三つに切り刻んで、利根川に放り込みました。これで民五郎の兄弟も、成佛してくれるでしょうぜ」

「そうか、浅次郎。好く殺ってくれた。家の者に怪我をした者はいねえか?」

「親分。国定一家の子分には、そんなどじはいませんや」

 浅次郎の言葉に頷いた忠次郎は、二十両の金を浅次郎の前に置いた。

「浅次郎。ご苦労だった。これで皆を遊ばしてやってくれ」

「親分。それはありません。俺は兄弟の仇が討てましたし、皆も国定一家の者として、当然のことをしたまでです。第一、親分は懐が決して楽じゃねぇ。それは代貸や手前ぇが好く判っていることですぜ」

 浅次郎の、親分を慮る気持は嬉しい。それでも、民五郎の仇を見事に討ち果した子分を犒ってやりたいのが、親分である。

「浅次郎。それじゃあこの金は、民五郎の供養を済ませた精進落しに使ってくれ」

 忠次郎は、眼を見開いて浅次郎に言った。怒られていなくても、忠次郎に正視されて、慄然としない者はいない。浅次郎は、これ以上は辞退できないと思った。

「親分。ありがとうございます。それでは民五郎の供養を済ませた精進落しに、この金は使わせて貰いやす」

 浅次郎は、二十両の金をおし戴いた。