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義の弁護士舟木友比古先生

私が友人と成り知己にまでなった鎌田俊彦と言う人物について紹介しておくこととする。一九四三年(昭和十八年)五月、中國満洲に生まれる。一歳半の時、家族と共に父親の出身地である秋田県に引き上げる。六十年代末に、学生・労働者・市民が集まったベトナム反戦、反権力闘争に学生として参加するも、圧倒的な警察力・機動隊の前に倒れる。そこで、閉塞した状況を打開し、肥大化した警察力に打撃を与えるプロパガンダ(政治的宣伝)闘争としての〝爆破闘争〟に立ち上がる。一九七一年 九月・十月に連続して爆弾闘争を行う。更に、一九七一年十二月二十四日に新宿伊勢丹デパート前の交番・追分派出所に、クリスマスツリーに偽装した爆弾を設置する。通行人の避難と爆弾処理車の到着の十分な時間を見て新聞社に、予告電話をしたが、取り上げられず爆発し、警察官が重傷を負い通行人数人が負傷するという唯一の失敗爆弾闘争と成る。そして、一連の交番爆破は『黒ヘルグループ』の犯行とされる。その後、指名手配されるが、八年余の逃亡の後、逮捕され、九十一年二月、最高裁判所で『無期懲役』が確定する。同年五月、宮城刑務所に収監されて、懲役刑に従事することに成る。現在、より色濃く季節と共に変化する獄窓からの光と風の中で、外側の社会と内側の社会の変化を敏感に感じ取る生活から生まれる〝意見〟を発信続ける。この様な男と私は無二の友人となり、切するが如し摩するが如き毎日の生活をしていたのである。

私が無断交談・鎌田氏が不隠な言動で処遇部門に連行をされて私は、警備隊長と遣り会ったが、就業取り調べとなり、鎌田氏は本格的取調べとして取り調べ房に入れられて、自分の部屋に帰ってくることはなかった。

(ふざけやがって、俺の親友を取り調べに入れやがり、何を考えているのだ。この際だから告発でもして、刑務所と戦うぞ。本当の男が如何いうものであるか見せてやる…)

翌日、工場に出ると担当看守の千田から、願箋を貰い弁護士面会願を出した。弁護士は鎌田氏の事件の弁護をした舟木友比古先生で、普段から鎌田氏に何かあったら舟木先生に依頼して貰いたいと言われていた。

先生と初めて面会をした時、私は驚いた。先生は東京辺りの弁護士と違いスーツなど着ていない。古びたダウン・ジャケットを纏い擦り切れた小さなバックを片手にぶら下げて、面会室に入ってきた。弁護士面会は立会がいないから、正面に相対して坐り先生の顔を見てから、眼を正視した。

(只者ではない…)

私は感じた。先生も私を見つめた。冷静さと知性が溢れている目である。坐禅を毎日している私の神経は研ぎ澄まされている。その研ぎ澄まされた眼で私が真剣な眼差しをして、人を見ると大概の者が眼を逸らしてしまうのだが、先生は眼を逸らさず私の眼を鋭く見つめながら口を開いた。

「この様な官を相手取る事件では、大概の者が途中で挫けてしまう事が多く、私達は、二階に登らせられ梯子を外された思いを何度したか解りません。髙田さん。もう念を押しますが、この事件最後までやりますか」

「先生私の座右の銘は『吾道は一を以て之を貫く』です。私は天に唾を吐くような事は絶対にしません」

先生は私の言葉を聞くと厳しかった顔の頬を緩めた。

「貴男は蒲田さんと同じ人間ですね」

先生が弁護を承諾してくれたので私は既に、電報で細かく書いた事の詳細を話した。

「この刑務所は前から、問題が多くある刑務所です。髙田さんが告発する看守の暴行事件も起訴にはなりません。考えても見て下さい。刑務所も検察庁も同じ法務省の管轄下にあります。それだけでも不利と言わざるは得ません。然し、未だ奥の手があります。公務員が事件を起こした場合、即ち、この件では『公務員特別凌辱罪』に当たりますので告訴が不起訴に成っても『不審犯請求』と言うものができます『不審犯請求』は弁護士である私が今度は、検事役に成り行う事ができます。ですから、髙田さんが最後まで遣り抜くとうのなら、収容者に無差別な暴行を加えた警備副隊長は、処罰することができるでしょう」

「遣ります。例え私の身に何が起ころうと、私は最後まで戦いたい」

「戦いましょう。刑務所の職員であるから、収容者に暴行を加えて良いという事はありません。是は是・非は非で行かないと人生悔いが残ります」

その言葉を聞き私は舟木弁護士が好きになった。

(流石・鎌田さんが信頼している先生だ。この人も男だなー…)

この後、鎌田氏と面会をするからと言い、先生は面会室から出て行った。こうして、舟木先生との出会いがあり、この事件ではライターの亀井洋二氏や明治大学の教授であり日本の刑法学者では高名である菊田幸一教授などと言う人物に会う事が出来るように成ったのである。私が、弁護士を依頼したことにより、宮城刑務所との闘いの火蓋は切られた。私は唯、鎌田氏が、『不隠な言動』と言う規則違反で独房から帰って来ないのが、心配であり、処遇部門の最高責任者である処遇首席に面接をした。処遇首席は、銀縁の細い眼鏡をかけた如何にも私は、インテリであると言う顔をしていた。

初めて処遇首席の顔を見て私の慧眼は、この様な出世主義者では話に成らないと感じた。それでも、鎌田氏を何とか工場に還して貰いたいから、処遇首席に下げたくない頭を下げた。

「鎌田さんは、何も規律違反をしていません。直ぐに工場に還してください。鎌田さんは宮城刑務所の良心です」

「宮城刑務所の良心?」

「そうです。鎌田さんのような人が、いないと凶悪犯ばかり、収容されているこの刑務所は可笑しくなってしまいます」

「解った。早急に取り調べをさせて、工場に還すようにする」

利巧ぶっているようで、馬鹿な処遇主席は自信を持った顔で言った。

「それと、ここの警備副隊長は、のべつ幕なし懲役に暴力を振るっている。この様な事は看過出来ない。あんたも看守の親分なら、理由なき暴力を止めさせてくれないか」

塚原の事件を刑務所善人説にする為に、懲役悪人説に仕立てた仲間であり、看守に直に指示をする立場でありありながら、処遇首席は知らぬ振りをした。

「その様な事は報告に上がって来ていない。うちの看守は暴力など振るわない」

好くも、ぬけぬけと白々しい事が、言えるものであると感心をした。尤も、塚原のワイン・煙草・携帯・供与事件では、この処遇首席も最低限の処分を受けるであろうし、現在起っている暴力事件が、暴露されれば生涯、現在の地位から上には昇級出来ない。だから、暴力事件が有ったとしても、もみ消す立場である。

「ここでは暴力事件は起きていない。報告も上がっていない。余計な心配などしないで六工場で静かに務めていてくれないか」

「私はこの眼で警備副隊長の小野進が、隣の房の者に、焼きを入れたのを見た。この件については告発するから承知してくれ」

私の言葉を聞くと処遇首席はむっとした顔をした。

「刑務所を相手に戦う事に成るぞ。勝てると思っているのか」

「思ってはいない。それより人間はどのような弱い立場でいても、是は是・非は非の精神で生きて行きたいものです」

私とこれ以上、話しをしても、埒があかないと思って、処遇首席は自分から席を立って工場へ連行する看守を呼んだ。

「鎌田さんの事は頼みますよ。処遇首席」

「解かっておる」

細い体の肩を怒らせて、処遇首席は部屋から大股で出て行った。

 

 

終わりなき闘争

一週間ばかり取り調べ独居にいた鎌田氏が工場に還ってきた。何時もの様に、微笑みを浮べ私の隣の席で作業を始めた。そして、作業をしている振りをして下を向いて小声で話しかけた。

「今日は運動があるでしょうから。運動時間に、この後の対策を相談しましょう」

「了解しました。これからは、この刑務所の看守全員が敵であり、奴らも必ず私達の一挙手一投足をどこかで、監視していることでしょう。気が許せません。鎌田さんも気を付けてください」

「多分、懲役を使い喧嘩を吹っかけて来るとか。部屋に反則品を置くという様なことでしょう。如何せん汚い奴ばかり、お互いに気を付けましょう」

午後に成り運動はあった。懲役同士で話をする事が許されている場所は運動場の隅にある藤棚の下である。藤棚の下でベンチに座りながら開口一番私は鎌田氏を慮りこの様な事を言った。

「鎌田さん。この件について彼方は、表面に出ないで私にアドバイスをしてくれれば良いですから」

工場にいる時から、私は考えていたのである、それは宮城刑務所に収容されている無期刑の者が出所したという話は聞いたことがなく、二十年に一人くらいは出る事もある事を知っていたからである。

だから、これから鎌田氏と私で行おうとしている対刑務所との闘争はそれでなくても、仮釈放の可能性が薄い無期刑である。鎌田氏の一縷の希望も奪ってしまう事に成るからである。私の言葉を聞き鎌田氏は、肯定も否定もせずただ笑っていただけであった。

「高田さん。僕はもう面会で弟に一流週刊誌に、この事件が掲載できるように知り合いの処をあたってみろと言っています。既に『サンデー毎日』が大々的に、宮城刑務所の看守の収容者暴行事件を何週かに渡り掲載します。刑務所という所は社会と高い塀で隔離されています。隔離された状態だから、中でどんな事が起きても外に漏れる事はありません。それを承知で違法行為を看守がする。許される事ではありません」

私はこの正義感と責任感と是非の心を持つ鎌田さんが、無期懲役を打たれた事に納得がいった。

「とにかく、この闘争は負ける訳には行きません。そして私達が戦う事により、今まで鳴き寝入りをしていた同囚が、眼を覚ましてくれれば好いですね」

「担当看守と言う羊飼いに追われて、毎日自分の意志はなく動作時限の通りに動いている内に、人間は骨貫きにされ餌を求めるだけのヒツジに成ってしまいます。自分は何のために生まれてきたか。ここの懲役たちは考えたことがないでしょう。私達が戦う事により、懲役たちを覚醒させましょうか」

『サンデー毎日』は鎌田氏が、事件の詳細を綴った手紙を弟さんに出し、それを『サンデー毎日社』に届けて記事に成った。

更に、フリーライターの亀井洋二氏が、宮城刑務所まで何回も足を運んで書き上げたものであるが、取材の為に総務部長に面会を申し込んだが断られた。宮城刑務所看守暴行事件は、暴行を受けた者三人が刑務所に入っている者の人権を守るための『監獄人権センター』に訴え『監獄人権センター』が民事で訴えを起こした。その為に私の処へ『監獄人権センター』の副所長であり、法務大臣の諮問委員をしている明治大学の菊田幸一教授が来て事件の事情を聞いた。そして、忘れられないのは、数いるヤクザの親分の中で、大阪の清勇会の川口和義会長から、心熱きハト(密書)が飛んできたことである。

川口会長は自分でも冤罪と戦っていて既に、二十年以上経過して未だ、毅然として冤罪を晴らすべく裁判を続けている男である。

ハトには様々なことが書いてあり、『私に出来る事があれば何でも言ってください』と結ばれていた。然し川口氏に私は何も頼まなかった。だが川口会長は動き出していた。それは看守暴行事件の民事裁判の証人が、刑務所側から圧力をかけられた時に、説得すべくハトを証人に飛ばして、翻意するように諫めたが、それが発覚し府中刑務所に移送されてしまった。私が夜間独居に移室した時の三房ばかり、隣に居て色々気を使ってくれた、宮城刑務所にいた数少ない男の中の男である。この時に川口氏は冤罪の裁判をしていたので私は、色々気を使ってくれたお礼の意味でこんな歌を贈った。

 

穿てども鏨の立たぬ岩でさえ草木の根の張る時も来るらん

 

またその隣の房には四代目山口組竹中正久組長に、ヒットマンとして石川裕雄達と共に我が身を省みずして飛んだ田辺豊記氏がいた。夜間独居の先輩として舎房掃夫に言い付けて、室内の備品まで新しいものに代えさせてくれた。

無期刑なので未だ、宮城刑務所に入れられている。田辺氏にも短歌を二首贈った。

 

朝露のきらめきに似たたまゆらの男の道の夢の儚き

益荒男の夢のさくらは散りぬれど目くるめく世にやがて咲くらん

 

鎌田氏の最初に贈った歌は鎌田氏が人に頼んで私に渡してくれと言って持って来させた深紅の紅葉の葉一枚を何故私に渡したのだろうと考え詠んだものである。

 

革命の夢の潰えし無期囚にわさたれし紅葉血の色をす