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接見禁止の四年間

愈々、無言の行に始まりである。まさか四年間も接見禁止をされるとは夢にも思わなかった。高を食って、せいぜい一年位のものであると考えていた。然し、自分で四年間も人と話をする事ができなければ、人間どうなるという事すら考えず、人の心の苦しみなどお構いなしの裁判官は、世間と人間を知らない唯の、司法試験を受かっただけの最低な人間である。私は社会にいる時に群馬県南牧にある黒瀧山不動寺の長岡良円和尚から禅の手ほどきはして貰っていた。一年に数回行くだけで悟りや無だとか空には全く関係がなく、ただ座るだけであった。接見禁止と言う無言の行が始まった時に、この際だからどの様な事に成るか分からないが、坐るだけ坐ってみようという気持ちに成った。私に於ける本格的坐禅の始まりである。然し坐禅と言うものは難解な物で、坐れば坐るほど次から次へと、消えては浮かび浮かんでは消える雑念から離れる事は出来なかった。それでも腹式呼吸をしながら、坐禅を続けた。一つの事に集中できるようになった時は、三年以上経過をしていた。朝二時間・夕方二時間その他の時間は弁護士に頼んで儒教と禅の本を差入れて貰い読み続けた。碧巌録・無門関・臨済録いずれも難解で私の手におう事ができなかった。独房での生活でも運動は一週間に、二度ずつ狭い場所で行ったり来たりする運動をする事が出来た。運動場への行き帰り、私は古いコンクリートが、剥き出しである拘置所の通路の亀裂にタンポポが咲いているのが目に留まった。タンポポは社会にいる時にゴルフ場でボールに間違えて、腹を立ててアイアンでなぎ倒した覚えがあった。然し、この時に観たタンポポは、私の琴線に触れた。

(こんなコンクリートの亀裂に生えているタンポポは、何て生命力が強いのだろう。花もよく見ると綺麗ではないか…)

この日から運動に行く時は、周囲に眼を光らせ歩いて行くようになった。青空の様に青くすっきりしている小さな花も見つけた。何と言う花であるかと思い部屋に帰り広辞苑で調べると『大イヌフグリ』とあった。

(何て酷い名が付けられているのだろう。植物学者と言うものは詩的情緒がないのかしらん…)

だから私は今でもタンポポと大イヌフグリが大好きである。そして坐禅を始めると、今まで何とも感じなかった花を見て感動する自分は、何者であるかと思うようになった。散々考えて考え抜いた時に、これは、私の持って生まれた善性であると気づいた。

(俺にもそんな心が有ったのだな…)

そんな思いで四年目を迎え、上告却下の通知が裁判所から来たので直ぐに懲役に成る為に上訴権の放棄をした。この頃は坐禅イコール短歌で、自分が可笑しく成らないようにしていた。その時の短歌をいくつか紹介をして、東京拘置所生活の章を終わりにする。

 

群生すタンポポに遊ぶ鶸たちの黄色き羽は花に染まるぬ

競いあい春の陽に咲くタンポポの黄色い花が羨ましけり

けたたまし音を立て駆られるタンポポの群生の後土煙の空しき

葉桜の緑目に染む今朝の窓昨夜の悪しき夢を洗いて

十年の刑期残せし免業の獄に空しくトゥモロウ流れる

芥子粒のごとき思いをもてあまし狭き独房悩み溢れる

懇ろに喪うことも出来ぬまま母身罷りて一年が過ぎ

母の死と別離裏切り様々で強迫観念心さいなむ

眩暈してCTスキャン潜る時シャッター音は老いの身竦ます

苦しみのはざまで喘げば死せしもの楽で良いから来いと言う

苦しくも生きながらえて故郷の土踏まずして何で死なりょう

めくるめく煩悩溢れ戸惑いし五十路の獄に有漏の身を知る

佛僧の安居に見紛う趺坐をして卯の花くさし獄に書を読む

独房の格子の枡に一字ずつ文字当て入れて短歌読む梅雨

鉄窓で羽化せし蝉の抜け殻を幽かにゆるがせ秋風の吹く

拙きは承知で私がこの様な短歌を詠み坐禅をして、己を保っていた事を知ってほしい。自分で好んでややこしい問題に入り、最後は投獄されて人間の尊厳まで否定されそれでも尚、男としての誇りを捨てず生きてきた私にとって、東京拘置所の接見禁止の四年間は話に聞けばひどいと思うだろうが、私にとっては天が私に人間修行をする場所を与えてくれたと今に成り思える。私の座右の銘は『吾道は一を以てこれを貫く』私の一はヤクザであるが、一を貫いた先には何があるかは分からない。想像するに本来持つ人間としての穢れのない心が、生れた時のように帰ってくるような気がする。生れて年を取りながら汚れ更に、老いの身に成り、汚れた物を取り払い生まれた時と同じ心に成り死んでゆくのが、人間として一番幸福であるのであろう。この先、私は何年生きるか分からないが、努力をして今までに着いてしまった生きて行く上で付着した心の汚れを払い、悔いを残さず死んでゆきたい。

 

懲役十二年の刑期を裁判所から申し渡され、東京拘置所に四年六ヵ月拘留されていたので私が服役する年数は、長期刑の最低限である残り八年と成った。再犯長期刑務所の事をLBと言うが、宮城刑務所に収容されているLBは、新聞やテルビで社会を騒がせたものが多く無期囚も百二十人もいた。だから、この刑務所では、悲喜交々で様々な人間模様を見ることができた。私も左翼の友人が出来その鎌田氏と刑務所側の理不尽な頻発する収容者暴行事件に対して、たった二人で闘争の狼煙を上げるのである。然し、鎌田氏は心筋梗塞で倒れ、私は規則違反をしていないのに独房送り、挙句は癌に成り、手術をして治ったと思ったら妻の死を知らされる。天と言うものは、私を人間的に成長させる為に、これでもか、これでもかと言う試練を与えてくれた。