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髙田組襲撃班

肝臓が悪くて病院通いをしていた私は、到頭『武蔵野病院』院長松村嘉夫先生から入院を命じられた。仕方がないので中学校の同級生でもある松村先生に私の体を預ける事にした。然し。先生は酒を飲んで暴言を吐く癖があり、奥さんと別れたばかりであり。診療が終わった夕方に成ると私を病室まで迎えに来て酒を飲むことを誘った。

「髙田さん。今日は美味い寿司を取ってあるから、寿司で飲もうよ」

松村の奴何を考えているのだと思った。

(こいつも奥さんと別れたばかりで、寂しいのだろう。少しばかり付き合ってやろう…)

病院の隣にある自宅に行くと食卓テーブルに、寿司の飯台が置いて有り、必ずビールが五・六本冷やした物が揃えてあった。

私はこのころ、ビールは飲まなかったが、別に飲めない口ではないので、しらばっくれて先生に附き合った。その内に毎日ビールでは飽きてしまうので、昼間の内に付き添いの若い者に言い付けて熊谷の八木橋デパートの地下商品売り場まで行かせ『シャトームートンロートシルト』を買って来させるようになった。その日『シャトームートンロートシルト』を先生に飲ませるとその日から先生は、ワインファンに成ってしまった。然し、肝臓が悪くて入院している患者が、先生と毎晩飲んでいること自体正常ではないので、ワイングラスを傾けながら先生に言った。

「ようっ、俺は肝臓が悪くて入院しているのだぞ。それを毎晩先生であるあんたが、酒飲みに誘う少しおかしいのではないか」

酔眼をしているが、医師らしい顔をして真剣に応えた。

「医師の俺が付いているのだから大丈夫だ。そんなこと心配しないで飲んでくれ。ワインは体に良いのだ」

私が以前に言った言葉を持ち出して、ワインの瓶の底を持って私のグラスにワインを注いだ。日中は若い者が誰かしら面会に来て雑談をして帰って行く、髙田組本部長の松本が来た時に、松本が心配そうに成塚のことを聞いた。この件について私は若い者に、誰にも話をしていなかったが、私の車の運転手をしている小池がお喋りなので、本部長の松本に成塚のことは喋ってしまった。

「親分。僻みが強い野郎はしつこいですよ。虎の威を借りる狐ですから、何も言えなくしてやることが第一です。成塚にケジメを付ければそれ以上、何も言わないでしょう」

「松本あんまり心配をするのではない。俺は俺の遣り方でこの件を何とか抑えるから見ていてくれよ」

小柄で無表情の松本は、何かを決した様な顔に成り応えた。

「自分はやることはやりますから、親分はここに寝ていてくれれば好いですよ」

髙田組本部長の松本は直ぐに、拳銃を持ちだして話を付けようとする性格であるので心配をして私は松本に言った。

「本部長。この件は俺が何とかするから。手出しは無用だ!」

「解かりました…」

松本本部長はその晩、案内を小池にさせて、内島隆行を連れ東京の新橋レンガ通りにある成塚の会社で、ジャンボ尾崎の事務所でもあるビルの扉に向い三発の弾丸を撃ち込んで来たのである。私は病室のテレビを見て臨時ニュースでこの出来事を知った。

(やってしまったか松本、こうなったら仕方がない。この件で松本たちが逮捕されない様に、気を付けさせなければならぬ…)

その日の夕方、松本は内島を伴い私の病室を訪れた。

「親分。面倒くさいから何発かお見舞いしてきました」

私に言える言葉は一つだけである。

「松本、ご苦労さん」

この事が有ってから、私の周辺は静かに成った様である。

「成塚の腰のあたりに、二十二口径をブチ込んだ方が好いのではないかと言った秘書仲間も沈黙を守っていた。それもその筈、拳銃を撃ちこむことにより、成塚に対しての「ケジメ」は着いた訳であるから、ケジメの執り方が私の考えている方向とは別な方向に行ってしまったが、この件について秘書仲間の一人は何も言わなくなった。

堅気の会社でもそうであるが、社長や会長の直ぐ傍に居る秘書や側近と言われる者は、社長や会長の気持ちを忖度して行動をするのが当然であるが、余りにも上の者に信頼を受けると自分の意見を社長や会長の意見であると錯覚してしまうのである。この為に苦労するものが出てくるのである。私はこの様な物は獅子身中の虫と呼んでいる。私の入院生活もすっかり病院に成れて、読書三昧の日が続いた。愛読書である『荀子』を枕元に置き起きている時には適当にページを開き漢文の持つ味わい深さや『荀子』が説く所の「議兵」や「君道」・「王政」等読みながら神戸刑務所で勉強をしたことやその仲間の事を考えていた。

私の病室は窓の傍に貝塚の木があり、夕方の成るとつくつく法師が、鳴きはじめ、何とも言えない寂寥感に襲われた。

(もうすぐ秋が来るのだな。蝉の命は短くてこの世に生まれて七日とか、懸命に生を全うしている。偉いものだな…)

今日かぎりの命と知ってか知らずして、命の限り、つくつく法師は啼く、私は子供の頃から、山を駈けめぐり遊んでいた。だから小動物にも愛情を感じて成らない。小動物の懸命に生きている姿は、私の琴線を打たずにはいられない。生ある物すべてが大自然の子供であると思っている。だからヤクザを遣っていても人を殺せという命令はしないし、自分でも人を殺した事がない。だがヤクザの世界は相手が弱いと観たら直ぐ舐めてくる。それだから孫子が言う通り『常日頃か武威を示しておけ』と言おうことを実践してきた。そして髙田組は抗争を遣らずに、その速きこと風の如しではないが、抗争の原因を作った相手を直ぐに攫って来て焼きを厭と言う位入れて渡世の筋を教えて返すのである。

その為には拳銃を持っている数は、何処の組にも負けなかった。拳銃を多く持つイコール孫子が言う武威を高めるという事に繋がると考えていたからである。それだけではない。幾ら、拳銃があるからと言って他組織に舐められない事に繋がることはない。若い者を何人も部屋住みまでさせて、言葉と自分の生きている現実を見せて教育をした。病院で自分と自分の組織を振り返り、感慨の浸る日が多くなった。忘れもしない。平成十年八月三十日警視庁愛宕署員が「銃砲刀剣類不法所持違反」の逮捕状を持って『武蔵野病院』の二階一番奥のある私の病室に五・六人で来た。

直ぐに、院長が飛んできて愛宕署の捜査員に大声で怒鳴った。

「肝硬変で動けない病人を連れて行くことは、医師として許す事が出来ない」

「それほどまで、髙田の体は肝硬変が悪化しているのですか」

「言うまでもない。医師の私が証明しているのだから、病人の事は医師の指示に従えば良い」

「解りました。署に戻り髙田の状態を上司に報告をして、どのように取り扱うかは決めたいと思います。明日また、参りますのでその際は、先生宜しくお願い致します」

この日は先生の権幕と医療は法を優先するという問題もあったので、愛宕署員は大人しく帰って行った。愛宕署員が帰ると直ぐに、松村医師は私の胸からカテーテルを差し込み点滴が大量に食道に流れるように繋げた。

「これで、ご飯を食べなくても、何日も保つ高田さん。覚悟をしてこれからは、ご飯を食べないでください。この状態では法的にも逮捕すること事態違法です。私は髙田さんに如何なることがあっても逮捕はさせません」

翌日、一応逮捕の形を取り、私に片手手錠をかけてベッドに繋ぎ二十四時間見張りが付いた。夜中、いぎたなく眠る警察官が拳銃を横に転げ出して、大きな鼾をかいているのを見て、拳銃を拾って逃げて仕舞おうとも思った。

 

 

起訴

この様な状態で、毎日病院で私は本を読んでいた。傍にいる警察官は病室を飾る置物と考えていた。だから朝の洗面と歯磨き・日常の用便以外はこの者達とは口を聞くことはなかった。

(本当にうっとうしい奴らだな。第一暑苦しい…)

弁護士は稲川会本部長岸本卓也を無罪にした松本和英先生を本部長が送り込んでくれた。松本先生は二日置き位に面会に来てくれた。警察の持ち時間二日を過ぎたら検事調べがあるはずであるが、それも無く二十二日の拘留は付いた。勿論接見禁止である。一日置き位に香代子が先生と一緒に 病院の使用人のような振りをしては花瓶の花を取り換えに来てくれた。そして私の顔を見つめて帰って行った。人と人は顔を見つめ合うだけで気持ちが通じるものである。私は病室に先生とくる香代子の眼を全ての想いをこめて見つめた。単調な日々は長く感じる。私の楽しみは読書だけに成った。香代子が先生と来てくれる時は又、別な喜びを感じた。

単調でつまらない時もあるが、そのような時には幕末の志士である高杉晋作の詩を何度も何度も低い声で吟じていた。

きっと自然に晋作の詩を吟じる事で、自分を奮い立たせていたのだろう。

 

書を読んで深く思いをめぐらせれば

心の病日々に治まる

かくも効く薬石を知らず

十年下獄遅きをただ悔むのみ

 

晋作が野山獄で詠んだ詩である。強いがりを言っている様な気もしないでもないがまだ若い晋作の心意気を感じないわけには行かない。同じく野山獄で詠んだ詩を二つばかり紹介しよう。

 

獄につながれてますます心奮い立つ

私の栄枯は他の人とおなじはずがない

楽しみの中に楽は宿るといおうけれども

私の知る真の楽しみは苦中にあると

 

この最後に紹介する晋作の詩は、晋作が禅でもやっていたのではないかと思える位、禅の偈に近いものを感じる。

 

身は駕籠の鳥のように繋がれていても

心は流れゆく水のように悠々たり

夜ひとり床に伏して

怪しき夢に魂は六十余州をさまよう

 

あんなに若くして、惜しまれ世を去った高杉晋作の傍若無人とさえ考えられる生き方に、私は魅了されていたので、この様な窮地に落ち入っても心静かに病院生活を送ることができた。私のベッドの折り畳みテーブルの上で、香代子に太田園に行き買って来て貰って置いて有るお茶を急須に入れて、備え付けのポットからお湯を注ぎ頃合いを見計らい一杯のお茶を飲むときは、つくづく高杉晋作の詩を実感しながら、ゆっくりとお茶を口の中に含んで味わっていた。

平成十年逮捕をされてから二十二日が経過した。一度の調べも無く私は起訴に成った。

刑事訴訟法では違法である。どうしても私を松本たちがやったジャンボ尾崎事務所襲撃の主犯としたかったのである。この事件の発端は私にあることは間違いがない。事件の構成要因として全ての事は解ってしまえば勿論、無理にでも共謀共同正犯として使用者責任を取る形で、逮捕は免れず裁判でも有罪を受けるのであるが、この当時、現在のように暴力団新法が、ヤクザの人権を認めない悪法に改悪されていない時代である。まして私自身の供述調書も無いのである。この様な刑事訴訟法に謳われていない事で起訴をして、裁判を始める事に病院にいる時から決められていたのである。何故この様な無謀な法の執行をしたかと言えば、都内のカジノから警察官が賄賂をもらっているのを承知でバカラを遣り私のいう事を聞かない店に拳銃を撃ちこませ三・四軒潰させて警察官の賄賂の道を切ってしまったからである。所謂、意趣返しである。

 

 

小菅拘置所に移管される

平成十年十月九日、『武蔵野病院』の病室しかも逮捕拘留の身で五十二歳の誕生日を迎えた。午前十時ごろ先生の後について、花束を持った香代子が病室に入ってきた。部屋の隅に置いて有る花瓶を持ち、外の洗面所から水を汲んで来て花を差し香代子が形を整えようとした時だった。

「その様な事は禁止されています。この人は被疑者ですから」

警察官の、その言葉を聞いた先生は上品な顔の眼を大きくして怒鳴った。

「ばかものっ! 何を規則が如何のこうのと言っているのだ。人の情けを知れ情を知らず、警察官たるものが好く務まるな」

警察官は下を向いてしまった。この時は、私も先生の言葉を聞き気持ちが、スカッとした。私は警察官に向い了解を求めた。

「おいっ、花位飾っても良いだろう」

無言で警察官は頷いた。この様な事があった翌日、弁護士の中村和英先生が来た。

「如何ですか。身体の調子は」

「まあ、まあ、ですよ。何しろ、ご飯が食べられなくては、どうしょうもないですよ…」

「それは解りますが、武蔵野病院の先生が、あまり髙田さんを庇っていると医師の資格を剥奪される場合があるという事を忘れないでください」

「医師の資格の剥奪とは、誰が言っているのですか」

「実は接見禁止の接見許可を貰いに検察庁に行きましたら、元の同僚検事がいましてね。髙田さんのことについて検察が、東京拘置所にも医療施設があるのだから、移管してしまえという意見が強いとの事で、もし移管を医師が邪魔をするなら逮捕をして、医師の資格を剥奪させてしまおうと言う話ができているとのことなのです」

「そうですか。私としても同級生であり、こんどの事でもこれ程、庇ってくれた先生です。医師の資格を剥奪させる訳には参りません。お遊びもこの辺が潮時でしょう」

私がお遊びもこの辺で潮時と言ったので、中村弁護士は胸を反らして驚いた仕草をした。それから十月の二十七日まで病院にいたが、愈々警察のお迎えが来た。

その時に看護婦で私の係りの人が、警察官に向っていった。

「お風呂に入って貰い体を綺麗にして、ここから出て行って貰いたいと思いますが、良いでしょうか」

警察官たちは、お互いの顔を見合わせながら、上司と思われる者に了解を求めた。

「あまり長い時間でなければ良いでしょう」

こうして片手手錠をした儘、紐をお風呂の外で警察官が持ち、私は看護婦さんに全身を洗ってもらった。

「髙田さん長くなるのでしょう」

「うん、十年くらいかな」

私より二・三歳上と思われる看護婦は、驚いて涙を流してくれた。

「髙田さん色々よくして貰いました。ありがとう。会えるかどうか解りませんが今度会った時は健康でいて下さい」

「ありがとう。看護婦さん」

お風呂から出て、体を拭くと直ぐにスーツに着かえた。

着かえが終わると直ぐに、両手に手錠をかけ直し、ズボンのベルト通しに手錠が付いた縄を差し込んで、後ろで敵縛り縄の先を二人の警察官が持った。

上司と思える者が出発の号令をかけた。

「さあ、皆行くぞ!」

病院の玄関まで行くと先生と何人かの看護婦がいて皆が、お辞儀をしてくれた。先生は豪快に力強い声で、私に最後の別れを言った。

「今度会ったら、また飲もう!」

「先生迷惑を掛けたな。ありがとうよ!」

そして、護送車の窓がしまると、前後に私が乗る護送車を車で挟んで出発した。行き先は如何も東京拘置所がある小菅の様である。私は手錠をされたまま座席の背後に、体をもたらせるとその儘、眠ってしまった。通ってきた道は多分、東北道であろう。インターチェンジの下り坂を下りるのが解り目を覚ますとそこは東京拘置所であった。私物検査から血圧・身長・体重の測量すべてを済ませるとビックリ箱(九十×九十の便所のような建物)に一時間ばかり入れられて、扉を空けられたら、看守が偉そうな声を出して、私に東京拘置所内での行き先を告げた。

「髙田、五三一番・これから病舎に行くからついて来い」

「……」

黙ったまま看守について行くと何時まで経っても病舎には着かなかった。尤も病舎は東京拘置所で、一番奥に建っているのである。漸く歩いて、病舎に着くと看守は病舎の廊下をどんどん先に進んだ。着いたところは病舎の一番の奥の部屋であった。何カ月ぶりに何百メートルも歩いたので部屋についた時は息が切れていた。

「明日から、警視庁の調べが始まる。話すことを整理しておく事だ」

(このうす馬鹿野郎。何を聞いたような口を聴くのだ…)

直ぐに、夕飯のパンが出たので全部食べて眠ってしまった。翌朝、朝食の時に食事を配る配食夫が言づけとハト(密書)を白衣の下に隠して持ってきた。

それは全部髙田組の若い者からの報告である。私と同じ事件で逮捕されたのは、本部長の松本高雄・内島隆・小池義幸で、小川薫事務所襲撃で逮捕されたのが、組長代行である田中嘉人・荒木健司・髙島睦その他、橋上賢治と日本政治経済新聞社の編集長である野口利秋の八名である。

直ぐに私は自分の領置金が幾らあったか思い出した。

(確か、二万百円位はあるはずだ。取り敢えず全員に二十万円づつ弁護士を呼んで領置金を百六十万円渡し、皆に二十万円づつ差し入れをしてやろう…)

直ぐに、病舎の担当看守に報知器を出して呼び、電報発信願いを提出した。直ぐに許可されて、電報を出すと中村弁護士は午後に成り面会に来た。弁護士の顔を見るなり私は言った。

「先生俺の処の者が八人もここへ入っている。百六十万円先生に宅下げしてあるからその金で、田中・松本・内島・荒木・高島・野口・橋上・小池の八人に二十万円づづ差し入れしてやって下さい」

「解りました。それでは、髙田さんの領置金がなくなってしまうのですか」

「大丈夫です。歯ブラシ・歯磨き・石鹸・タオルを買う金位は何年も持ちます」

その翌日から警視庁の捜査官が、二人で来て私に対する取り調べを始めた。私は直接行動していないし、正直な所、成塚の事務所即ち、ジャンボ尾崎の事務所を襲撃することを松本に使嗾した事もない。何日調べても無言でいるので、長田と吉田と言う捜査官は馬鹿みたいな子供だましのような事を言ってきた。

「俺も長田・吉田も高田も田が付くきっと先祖が、何か関係があるのではないだろうか。だからこの辺で仲よくして、話をしてくれないか」

こじつけも甚だしい、長田部長の話を鼻であしらい私は、はっきり言った。

「この様な違法捜査を続ければ、俺はこの問題を告訴する用意がある。それでも知らないことを喋れというのか。お前達は俺を攻める事は、自分の首を絞める事に成るぞ」

昨夜の貰い酒が、聞いて居眠りをしていた吉田だという捜査官がびっくりして目を覚ました。

 

 

サンクチアリ

私は同時期・髙田組の者が八人もどうして、警視庁に逮捕されるように成ったのか、疑問に思った。警察が一つの組を集中的に壊滅するように、大勢逮捕するのには必ず警察の独りよがりでしかない大義名分があるはずである。

私は弁護士に聞いてみようと思ったら、その日、弁護士の中村先生が午後に成り面会に来た。不躾ではあるが先生に聞いた。

「先生。この度は私の組で、八人も逮捕者を出してしまいました。犯罪を犯せば、逮捕されるのは当然であるとは思いますが、集中的に組員を逮捕するという事の裏には何かがあるのではないですか」

「聞くところに因りますと、二カ月前から警視庁に暴力団髙田組壊滅本部が、設置されていたとの事です」

「埼玉県のヤクザを警視庁でやることからして、以上です。髙田さん。虎の尾を踏んだのかも知れませんね」

「虎の尾ですか…」

私の頭の中は、目まぐるしく回転をしていた。未だ、裁判の期日は決定されていないので、これと言う話をしないで弁護士は面会を終わり帰って行った。

部屋に帰り私は冷静になり、東京で起こした事で虎の尾を踏んだような事が有ったか否か考え始めた。

東京は魔界である。政治家・官僚・警察・その他諸々の鬼が、自分たちの権益を守るために、そこへ足を入れたものは容赦なく権謀術数を駆使し追い出そうとする。そして、罰を与える。罰を与える事により自分たちの権益に二度と足を踏み入れない様にする為である。『一罰百改』の実践である。自分たちの権益はイコール金である。生活の資金でもあるのだ。私は私が東京で歩んできた道を振り返った。

一、カジノの件

二、ジャンボの件

三、フリーメイソンの件

四、東京スポーツ新聞の件

この四件に絞れた。この中でも虎の尾を踏んだと思える事は、カジノの件が一番濃厚な線である。この当時、都心の軒並みカジノが経営されていた。元々、カジノは違法である。違法と分かっていながら、取り締まらない警視庁も異状である。だが、カジノを経営するのには次の様な裏があった。平和総銀事件と言うのを覚えている者は、多くいると思うが、その平和総銀事件で銀行側の小宮山家の大番頭である次郎丸嘉介は、表面に出てこなかった。次郎丸嘉介は、竹下昇と平和総銀の小宮山一族の間を行ったり、来たりして、平和総銀事件の黒子に徹した。

その為に事件が発覚しても、逮捕されることはなかった。平和総銀が破産をしてからは、自分で千葉県内と静岡県の伊豆に、ゴルフ場を経営していて財界の裏工作をしていた。次郎丸嘉介には、三枝と言う四十代の秘書がいた。この秘書は次郎丸に似てやり手で通っていた。三枝が次郎丸嘉介の関係を最大限に使いカジノの世界で、三枝を通さなければ都内でカジノ店は経営出来ないシステムを作り上げてしまった。それはどうゆう事かと言うと、違法であるカジノを経営するのだから、取締側に話を付けなければどうしょうもない。三枝は次郎丸の名前を最大限に使い警視庁の各方面本部長にまで食い込んで行った。

先ず。都内でカジノを経営したい者は三枝を頼る。三枝は何処どこでカジノを遣りたいと言っている者がいますが、何とか許可を出してください。と言う手紙をカジノを遣りたい地区に当たる本部長の奥さん当てに出す。返事は勿論奥さんが三枝に返す。この奥さんの手紙が、曲者であり、開店許可を出す警視庁の課の課長に大きな箱一つを、お土産の持って行きなさいと書かれている。大きな箱とは一千万円の事である。指示に従ってカジノを経営したい者がカジノを取り締まる風俗課の課長に、一千万円入った箱を渡して、許可申請をするのである。その時に課長は言うのである。

「店がある所轄署の係りに良く言っておくから、大事にしてやってください」

カジノを経営したい者は、警視庁に言って課長に聞いたことを三枝に伝えると、三枝はこういうのである。

「所轄の係りを大事にするという事は、毎月、百万円ずつ呉れて遣る事ですよ」

赤坂のサーカス・サカースと言う店は、畠山ミドリと言う昔の歌手の兄が経営していたが、警視庁に一千万円持って行き、毎月赤坂署のカジノ係りに、百万円づづ渡していたが、それを聞きつけた別な警察官が、俺にも毎月百万円寄こせと言って警察官同士で争いが起き新聞沙汰に成り、逮捕され警視総監も辞職した。この様な事を考えると私は東京と言う魔界のサンクチアリに足を踏み込んだのは確かな事であると思えてきた。こんな事実を知りながら、カジノの店に拳銃を撃ちこませ四軒ばかり閉店に追い込んだのである。然し、カジノに拳銃を撃ちこんだ件では、警察は何も調べをしなかった。その事を捜査すれば必然的の自分たちが、カジノからヤクザの様にカスリ(用心棒代)を取っていたのが公に成ってしまうからである。如何にしても、東京の警視庁は腐っている。カジノの一件だけをとってもこれであるからして、警視庁にサンクチアリはまだまだあるに違いない。

魔都東京は、今日も既得権益を守る戦いが、政治家や官僚・警察たちで続いている事であろう。日本の国の将来を考えた時に、現状を憂えるのは私だけであろうか。この東京拘置所での四年間は接見禁止である。接見禁止とは弁護士以外とは親族であっても話は出来ず手紙のやり取りもできず。本の購入も出来ない。こんな非人間的な措置は、幾ら裁判所でも許す事が出来ない。人道的問題である。接見禁止の理由として、接見禁止状に書いてあるのは次の通りである。

その理由として

一、被告人は証拠隠滅の虞がある為に、被告人の弁護士以外との接見を禁止する。

接見禁止は第一回公判が開かれればそれで好く。幾ら否認をしているからと言っても事件を起こしていない者に、事件を認めろと言われても証言のしようがない。

最近、冤罪事件の真相が解かり無罪を勝ち取った人が多くいるが、あながち警察の調べだけが悪いとは言えない。検察庁・裁判所にも責任があるのは勿論の事である。私は、朝夕の点呼で自分の番号の五三一番と言うだけで、四年間人と話す事ができなかった。然し、この四年間で言語障害は起きてしまったが、私は坐禅と短歌で自分が可笑しく成らない様に務めた。だから、今考えるとこの四年間は、現在の私にとって素晴らしい天が与えてくれたプレゼントであったのであろう。

小鳥の声に心を慰められ、運動場の片隅に咲くタンポポに力ずけられ、大自然に生かされていると感じたのもこの時からである。そして、阿修羅のような生き方をしてきた自分にも、野に咲く名もない花に感動する善性があるのが解ったのも四年間の接見禁止のお蔭であると今は感謝をしている。