014





















成田・バンクーバー・バハマ

熱海本家の相馬班長から連絡を受けて、会長のお供で約一ヵ月中南米に行くと知らされたのは一週間前である。

「バハマ・カンクン・アカプリコに行くから、ゴルフウェアとクラブは当然で現金は最低でも、一千万円は持ってくるようにしてください」

一ヵ月もの間外国に行くのだからお金が必要であるのは解かるが、一千万円を用意するようにと言う言葉が気になり、相馬班長に聞き返した。

「一千万円は何に使うのだ。訳でもあるのかよ」

「それはあなたなら、良く解りますでしょう。バハマはカジノの国ですよ。小さい勝負をして日本のいや稲川の親分衆が笑われては腹が立つでしょう」

「よーく解かった。俺も本場のカジノで勝負がしてみたい。相馬楽しみにしている」

平成六年二月一日、成田空港からJALのジェット機に乗った。会長と私達はカナダのバンクーバーに、八時間半かけて着陸した。バンクーバーのホテルは、確か『シェラトン・バンクーバーウオールセンター』であったと記憶している。ホテルの窓ガラス越しの見えるカナダの雪をかぶった山々のカナディアン・ロッキーやその他の山々は、神が鎮座している様な落ち着いた静けさを醸し出している。神を信じない私を敬虔な気持ちにさせてくれた。然し、夕食に食べたステーキは、乳臭く大きいが、固くて日本人には食べられない代物であった。ホテルのガラス越しに見えるヨットハーバーは、モネや若かりし頃の、ゴッホの絵を見ている様な気持ちを引き起こさせる景色である。気候は、カナダは冬である日本から着てきたスーツで、過ごす事が出来たが、私が表現すれば、バンクーバーの寒さは静かなる寒さと言えるだろう。ホテルに着いてからショッピングにも行った。私はバンクーバーの町は日本人が多くいる事を本で読んだことがあるが、その通りでショッピングには英語を話せなくても日本語で話をする事が出来た。私は、自分が好んで着ているベルサーチの店に行った。黒のパンツとメドーサの顔が大きく絵画かれているブルゾンと白と黒の小さな格子のスーツを一着買った。ショッピングをしている内に、バンクーバーの町の道は、桁外れに広いと思った。ショッピングを済ませホテルに帰るとシャワーを浴びて直ぐに、ベッドに入り、眠ってしまった。翌朝、バンクーバーの特別機専用のイミグレーションがなく歩いてジェット機の所まで行きジェット機の背後から、タラップが降りている。この時の為に、会長が身銭を切って借りた一ヵ月三億円のチャーター機に乗り込んだ。

チャーター機はバーや座席のテーブルが下りてくるように改造されたジェット機で、乗っていて何んとなくセレブに成った気持ちにさせてくれた。私が一眠りしている内に、いつの間にか夜に成っていた。チャーター機から、窓の外を見るとアメリカの高速道路沿いにある街灯が、どこまでも続きワシントンに向かってクリスマスツリーの様に東西南北から集まっていた。

(何て綺麗なんだろう。それにしても、アメリカは大きな国である。バハマに着くのは何時に成るのだろう…)

バハマのナッソー空港に降りた私達は、税関の調べも無くフリーパスでチャーター機に横付けにされたリンカーン・コンチィネンタルのリムジンに乗りホテルに着いた。

『アトランティス・パラダイス・アイランド』ホテルである。ホテルはピンク色をした建物で日本では見たことがない紺碧の青空の中に屹立していた。

ロビーに入ると会長や私達全員が声を上げた。

「おーっ、これはなんだ?」

ホテルに一階フロアは全部がカジノに成っていて、スロットからバカラ・トニーワン・様々なカジノの台やその傍にいるディーラーたちが、私達の到着を待っていたように注視した。異様な雰囲気である。一階フロア右側にある受付フロントを無視して、カジノの中をかき分けるようにして、一番奥のエレベーターに、リンカンコンチィネンタルを運転して飛行場まで迎えに来た黒人のホテルの従業員が二名で案内をするとエレベーターの扉は開いた。四機あるエレベーターに全員が乗ると二十数階で止まり、扉が開いた。私たち秘書は会長の部屋である一番奥にあるロイヤル・スイートに会長の荷物を持って入り又驚いた

(何て広くて豪華なのだろう。インテリヤはロココ調ではないか。ナポレオンもこの様な部屋で過ごしていたのではないか…)

会長は部屋の海に面している窓側から何を見ているのか、遠くをじっと眺めていた。しばらく、無言で海の向こうを眺めていた会長は皆に言った。

「それぞれの部屋に行き、荷物をかたずけて少し休め」

そのひと言で皆は、本家班長相馬から、割り振られた自分の部屋に向っていった。全員が二十数階の同じフロアで、私の部屋はエレベーターに近い場所と成っていた。荷物を整理して、時差で体が少し狂っていると思われるのでベッドに横に成った。

何時間寝たのか何分寝たのか分からないが、ドアをノックする音で眼が覚めた。ドアの所まで行くと相馬がいてこれからの予定を告げてきた。

「後、三十分したら会長さんが、部屋から出てきますから、エレベーターの所で待っていてください。本来ならホテルの外に出て食事をするところですが、明日のゴルフのスタートが五時ですから、今日はこのホテルの中のレストランで食事を致します」

「了解した。処でカジノへ行くことは、会長は許可してくれているのだろう」

「髙田さん。我々は博徒です。英語で言う所のギャンブラーですから、カジノへ行こうが何をしようが、会長さんは何も言わないですよ」

「食事が終わったら少し稼ぎに行こうかな」

「本部長や山崎さん達もバカラで勝負をすると言っています」

「そうですか。それでは私も食事が済んだら、カジノへレッツゴーだ」

エレベーターから皆が下り、直ぐ左手にあるレストランに行くと既に、食事の用意がしてあり、直ぐに食事をする事が出来た。食事はフルーツが新鮮でおいしかったという事だけで印象に残っている物は無かった。

食事が済んで部屋に帰り、暫くするとカジノへ行きたくなってきた。博奕打ちの本能が動き出したのである。三百万円ほどバックに入れてエレベーターを降り、バカラの幾つもあるテーブルの傍に行くと同じ秘書である山崎功氏が、少し禿げ上がった頭に湯気を立てながら、バカラの台に向って何か言っていた。この分では相当獲られているのではないかと思った。廻りには、外国人であると思われる人々が、大きくかけている山崎氏を何者であるのかと言う顔付きで見ていた。私が近寄って行き山崎氏に聞いた。

「山ちゃん。勝負は如何だね?」

「おうっ、高ちゃんか、六百万程、獲れてしまったよ。このディーラーの野郎、手品師みたいな野郎で、プレイヤーに張ればバンカーに出し、バンカーに張ればプレイヤーと言う訳だ。手先や周囲の天井なんかよく見ているのだが、仕事(如何様)をしているとは思えない。これから遣るなら髙ちゃん気を付けろよ」

山崎氏は見切りよく、すっと立ってバカラの台から離れた。私は直ぐにバカラの椅子に座らず立ったまま見ていた。

その内、立て続けにバンカーの方へ目が出てきた。

(おおっ、好いツラ(続けて同じ目が出る事)が出てきた。

ここぞと思った私は、今まで山崎氏が座っていた椅子に腰かけ、百万円をディーラーに渡してチップに変えた。私の博奕に対しての持論は、博奕は全部如何様である。と言う一点に絞ることができる。その如何様を見抜いて稼ぐのが博徒であるという誇りを持っている。然し、マカオでもそうであったが、外国の博奕の如何様の手口は複雑で見抜くことができなかった。何回かツラを張りチップを増やしたが、いつの間にか二五〇万円ほど負けた。

(バンクーバーから、飛んできたその晩である。感も狂っているだろう。この辺りで手止めだ…)

バカラの台から立つとキャッシャーの鉄格子が張ってある隣にあるセフティーボックス室に行った。その前には六十歳は過ぎたと思われる黒人がいて、セフティーボックス室のドアを開けてくれた。セフティーボックスには一千万円の金が入れてある筈である。それを確認して、バックに入れ替えセフティーボックスを出ようとしたら、年老いた黒人が、悲しそうな顔をして私を見た。どうして悲しそうな顔をしたのか分からないが、私はパンツのポケットに入っていた十万円を黒人にやった。遠慮をする仕草をしたが、無理矢理手に掴ませると黒人はカジノの方を向き英語で行った。

My daughter works as a dealer at a table ofthe Tony one : do not go?」(娘は、トニーワンのディーラーとして働いています。 行きません?)

トニーワンのテーブルの行けと言っているのだろうと思って私は全く解らない英語で黒人の年寄に話した。

Your going on a table of the Tony one」(あなたはトニーワンのテーブルに行けというのか)

黒人は大きく頷いたので、私の英語は通じたのであると考えて踵を返して、カジノのトニーワンのテーブルに向かった。トニーワンのテーブルは幾つもあったが、一台だけ愛想は良い黒人の娘がディーラーをしているテーブルがあり、直感的にここではと思った。私がテーブルに向って端の席に着くとディーラーの娘は英語で何かを言った。

Welcome to the Bahamas」(バハマにようこそ)

これ位の英語は解るので慣れない英語で返事を返した。

Yes. Thank you」(はいっ、ありがとう)

娘は微笑んで頷き慣れた手つきでカードを配りはじめた。私は試に二つの張る所に迷っている様な素振りを見せてチップを持って手を右左にゆっくり動かして見せた。勿論、ディーラーの顔を見ながらである。私が左にチップを置こうとした時に、ディーラーは大きい瞳を瞬きアイコンタクトを送ってきた。

(ここは駄目だという事だな…)

尽かさず右に置いたら、唇の両脇を上げて微笑んだ。そうかここだなと思い五十万円分ほどにチップを置くとナチュラルで二十の数字が出た。

(勝ったこの調子で行けば、バカラで負けた二五〇万円は直ぐに取り返す事が出来る。何の気なしに黒人の年寄にやったことが幸いをした様である…)

そのテーブルで私は三百万円ほど勝ちバカラで負けた二五〇万円の他五十万円儲かった事に成った。

 

 

Betgolf(賭けゴルフ)

カリブの朝は早い。午前四時ごろから海と空を真っ赤に染める太陽が、昇りはじめると海と空の境目が解らなくなる。

(自然の織り成す綾と言うのか、同じ地球上にこの様な偉大な太陽が有っただろうか。それにしてもこれは凄い…)

ゴルフウェアに着かえて、部屋の外に出ると中谷・近藤・浅井・の同僚の秘書たちは既に、エレベーターの近くに屯していた。岸本本部長や大山秘書室長・本家の班長である相馬と高橋達は会長の部屋に迎えに行っているとのこと、稲川会々長秘書たちは誰もがバハマの朝の太陽に美しさを語り、昨夜のカジノの様子を語っていた。

「高ちゃんよー、俺は悔しくて夜中に起きてまたカジノに行きバカラを遣り、獲られた六百万円は取り還したよ」

山崎功氏が自慢そうに言った。

「好かったじゃないか。博徒だねー」

「ここでは博徒じゃないよ。ギャンブラーと呼んでくれ」

最初に負けていた六百万円を取り返したので、山崎氏はご機嫌である。

「高ちゃんはバカラでもやったのかい」

「バカラで二百五十万ほど獲られ、トニーワンで取り返し、五十万儲かったよ。五十万位ではカジノの方も痛くもかゆくもないから、放っておいてくれるだろうから、それ以上は取らずに帰って来たよ」

横浜の一ノ瀬一家の総長であり稲川会の会長秘書でもある浅井信吾氏が、不思議そうな顔をした。

「ここのカジノは途轍もなく大きい。これもマフィアが経営しているのだろう」

「それは当然だ。ディーラーだって、人が良さそうにニコニコして、愛想を振り蒔いているが、一皮むけばやばい野郎ばかりだ。だから俺たちとちっとも変らないので俺たちの気持ちが良く読めるのだ」

二代目会長の時から秘書であった中谷が知ったかぶりをして言った。

「まあ、こんな処であんまりカジノに熱くなるのは馬鹿だよ。それより今晩、ニューヨークのマフィアのボスのジョージ・ダワチーノが来ることに成っている。ジョージは日本に来ているから、俺は先代会長に言われ東京で接対をしたことがある。面白い男だ」

この様な話をしていると会長始め本部長・室長・班長が会長を囲むようにして歩いてきた。秘書たちは既に、空けてあるエレベーターの中に会長をいざなった。高速エレベーターは、何秒もしない内に一階に着いた。急いで隣りのレストラン行き新鮮な果物ジュースとパンで朝食を済ませホテルの正面入り口に横付けにされたリンカーンコンチィネンタルのリムジン三台に分乗して『宝ケイゴルフクラブ』へ向かった。『宝ケイゴルフクラブ』はデック・ウィルソンが設計をした島の植物群に、囲まれたバックティーからは全長六九八五ヤードの古典的に作られているゴルフ場である。外国は何処でもそうであるが、クラブハウスは日本の様に大きくはない。私達が『宝ケイゴルフクラブ』に着くと既に、ホテルからリクエストが済んでいるので直ぐにスタートをする事が出来た。パーティーのメンバーを決めるのに少し時間が掛った。それは私達のパーティーのメンバーに誰が入るかである。私や近藤総長は掛け金が大きくても好いのだが 岸本本部長が入ると賭けのスケールが違う。下手に負けると一千万円や二千万円は直ぐに無くなって仕舞うからである。結局、勝負事が好きで後の、静岡の名門一家である大場一家を継承した山崎功総長が入る事に成った

「お手柔らかに頼みます本部長」

「はい、はい、こちらこそ、お手柔らかに頼みますよ」

貸きりのようなゴルフ場でアウトとインに別々に別れ、それぞれのパーティーがティーショットを始めスタートをした。このゴルフ場はいろいろな発見があった。二・三ホール行くとラフの左にバナナの木が三本ばかり植えてあった。好く見ると、小さなバナナが大きい葉の元に固まって幾つも生っていた。私は自然に手を出してバナナを一本捥ぎり皮をむき口に入れた。

(甘い…こんな美味しいバナナ食べたことがない…)

矢張り自然になっているバナナは、こんなに美味いのかと思って驚いた。直ぐに一束捥ぎって、岸本本部長と近藤・山崎氏の三人に食べさせた。

「おいっ、おいっ、バナナってこんなに旨いのか」

本部長が感心した様に言った。他の二人も感心をしてもう少しバナナを採って行こうと言った。私はバナナの木の傍に戻り今度は三房ばかり捥ぎった。

賭けゴルフの方は、本部長の調子が悪い様で私たち三人に負けていた。その原因は風である。ホローと思えばアゲンスト・アゲンストと思えばホロー時差で感が狂った本部長は島の周りにある海からの風に翻弄されていた。

更に、面白い事が起こった。本部長のティーショットが、コースの左側にある名は解らないが、ヤシの木のあたり木の幹に止まってしまったのである。私達のゴルフは「ありの儘に打つ」を原則にしているので、木に登ってスイングをしなければならない。それでないとロフトボールと見做されて二打罰を加えられる。一打一万円でやっているのだから、三人に二万円ずつ払わなくてはならない。総合のスコアも二打違うと四人ともスクラッチでやっているので負けて三人に百万円ずつ払った他、スコアが悪い分だけ三人に支払わなくてはならない。

ヤシの木にボールが止まり、二打罰を受けてからは本部長のプッシュは、各ホールで三人にかけてきた。この様な時は本部長が、幾らプッシュかけて来ても勝てない。ゴルフはメンタルなスポーツである。負けず嫌いな本部長は、普段からヤクザとしての姿勢にも表れているが、ゴルフの時にはあまり出さない。だがこの日は違った。負けてもプッシュ・プッシュ・プッシュの攻勢である。余りのも本部長のスコアが悪いので近藤総長と私は首をひねる位であった。

(過去にこんなに悪い時が有っただろうか、本部長は如何したのだろう…)

そんなことを考えながら、フェアウェイを歩いて行くとギャァギャァと騒いでいる鳥の鳴く声がした。声のした方を見ると何の木は解らないが、オウムが三羽木の枝に止まり鳴いていた。

(こんなに自然が生かされているゴルフ場など、日本には絶対ないな。バハマならのことであろう…)

美味しいバナナと木に止まった本部長のボール・それの木に止まっていたオウムを見ながら、ハプニング続出であった『宝ケイゴルフクラブ』でのプレイは終わった。計算をしてみると私は本部長に、二三〇〇万円勝っていた。ホテルに帰り部屋でシャワーを浴びて、本部長の部屋に、二三〇〇万円を請求に行くと渋い顔をして、本部長は言った。

「ゴルフは今日だけではない。これから先一カ月弱、続くのだから最後に清算をするようにしようじゃないか」

「好いですよ。今日の負けは、二三〇〇万円ですから覚えておいてください」

「とっくにメモして有るぞ。心配するな。明日は0にしてやるからな」

「この調子では日本に帰ったら、もう一軒家が建ちますよ」

「この野郎言ったな。明日は踏み潰してやるからな」

こうして、バハマ第一日のゴルフは終わった。

(未だお昼前である。午後からは海に出てジェットスキーに乗って遊ぼうか…)

 

 

Bahamianthyme(バハマタイム)

ゴルフ場で昼食を食べて来ていないので、少し遅めの昼食を食べようとして一階のレストイランに降りて行った。レストランの隅の席には、三人雇った私達の通訳の一人がいた。

Is it meal?」(食事ですか?)

Yes, that's right.」(おうっ、その通り)

私は高校時代少しやった勉強とヤクザになり、英語位は話せるようにしたかったので、東京の白銀に一緒に住んでいた香代子が一橋高専を出てアメリカにホームステイしていて英会話には堪能していたので英語を教えて貰っていたことがあり、途中で稲川会々長秘書と成り、時間がなく止めてしまったが、挨拶程度は、英語で喋れるようになっていた。そして六本木のカジノに遊びに来ている外人と時々話をするようにしていたのである。

「髙田さん。英語が話せるのですか」

「話せない。見よう見まねじゃない。見よう聞き耳だ」

日本人のくせに、外人の様に両腕を竦ませて驚いたようなアクションを通訳はしてみせた。

(この野郎。日本人のくせに外人に成りきっている。そう言えば、口髭もおもしろい…)

私はメニューに眼を通して、肉料理とサラダそして、フルーツを注文した。その前にコーヒーを持って来させた。コーヒーは三十分ほどして私のテーブルに届いた。

「少し、遅いのではないか」

無言で黒人のウエートレスは私の席を去った。コーヒーを飲んでガラス越しに見える薄いピンク色をした浜辺を行き交う者達を眺めているうちに、料理を注文して一時間も経ってしまった。

(何をしているんだ。このホテルだってバハマでは一流なのではないか、余りにも遅い…)

私は気が短い方であるので通訳を呼んだ。

「よう、料理を注文して一時間もしても来ないという事は、どうゆう事だと聞いてくれ」

「ここは遅いのです」

「遅いにも加減がある。いいからウエートレスを呼んで聞いてみろよ」

「承知いたしました」

A visitor calls it」(お客さんが呼んでいます)

通訳の言葉を聞くとウエートレスは、怠慢な態度で私のテーブルに来た。

I am angry whether the meal which I orderedhas not yet come because it is late.

(注文した食事がまだ来ない。余り遅いのでどうかしたのかとお客は怒ってる)

困ったような顔をして通訳はウエートレスに言った。

The Bahamas is paradise of the world. It iscalled Bahamian time place healing everyday fatigue, to take it easy relaxedly.」( バハマ、世界のパラダイスです。リラックスして気楽にやるために遅いのです。それは、日常的な疲労を癒やしているバハマの時間と呼ばれています)

この様な会話に成ると私には、チンプンカンプンで解らない。直ぐに通訳に聞いた。

「何と言っているのだ。このウエートレスは」

「バハマはこの世の楽園です。普段の疲れをいやす所です。遅いのはバハマ時間と言うのだそうです」

「解った。バハマ時間か、国が違い住んでいる者が違うと、こんなにも考え方が異なるのか、俺は食事はいらないからと言ってくれ」

「これから海に行くのでしょう。食事は取って行った方が好いのではと思いますが」

「バハマ時間に附き合ってはいられないぜ」

『アトランティス・パラダイス・アイランド』ホテルの裏は直ぐに薄いピンクの砂の浜辺だった。白のショートパンツだけで歩いていると、黒人の青年たちが何人か傍に寄って来て周りを囲みながら、自分で知っている日本語をそれぞれに口に出した。

「忍者」「侍」「刺青」「芸者」「柔道」

余りにも面白いので空手の型をして青年たちに言った。

I am a yakuza」(俺はヤクザだ)

It is a splendid tattoo」(素晴しい刺青だ)

何度もそのような事を私に言って、私が歩いて行く方について来た。少し歩いて行くとジェットスキーが五・六挺浜辺に止まっていた。これは貸すものであると思ったので、ジェットスキーの傍で番をしている黒人の青年に聞いた。解からない英語を使うのもほどほど嫌になっていたので。親指と薬指で円を作り言った。

「おいっ、幾らだ!」

そして私は尻ポケットから千円札と一万円札を出した。

すると青年は愛想笑いをしながら千円札を3枚抜き取った。

One hour」(一時間)

「そうか一時間だな」

How much is it per day?」(一日当たりいくらだ?)

青年は一万円札を指さした。毎年、会長の招待で熱海の初島で夏の海を楽しみジェットスキーが、大好きである私は、救命着を着るとジェットスキーのアクセルを握り思い切り、空と海との境界が、解らないようなカリブの海の色に魅了されながら、目的も無く海の中に滑りだした。サンゴ礁で海の色が群青色と言うのか、それでいて透けて底まで見える海の中を走っていると頬を過ぎる風が何とも気持ちが好くジェットスキーのアクセルを緩める事は無かった。

無心である。只、海の上を走るだけである。髪の毛は後ろに引き込まれる。気が付いて横を見るとイルカが五・六頭ついて来ていた。試に私がハンドルを切り鋭角に曲がり走るとイルカは付いて来た。

(カリブの海はこんな所だったのか。ここに連れて来てくれた会長に感謝をしなければ成らない…)

暫く行くと先方に、小さな島の様な物が見えたので、それを目指してアクセルを目いっぱい絞り込んで走って行った。

少しずつ島は近くなってきている様であるが、走っても、走っても島には到着しない。でも、行こうと決めた以上、何としても行かなくてはならないという様な使命感が湧いてきた。カリブの海の上を飛ぶようにして、走り漸くして島の近くに来ることができた。

どんどん近くなってくる島を見ているとどうやら、人が何人もいるらしい。その人たちも動きを見ながら私の乗るジェットスキーは島の直ぐ傍まで来た。島にいる人たちは白人であり、身に何も纏っていなかった。

(何でだろう。女性も大分いる様子だし可笑しいな…)

念のためと思いあまり大きくない島を一周しながら、目を凝らして島に居る人達を観察した。島のあちこちにいる白人は、全員が全裸である。私は島に上陸することは避けるべきであると考えた。そして、全裸の白人たちを見ている内に、ここはヌーディスト島ではないかと思った。

(そうか、きっとヌーディスト島なのだ。外人は健康維持に全裸で太陽の光を浴びると聞いたことがある。そういう人たちの集まりか、邪魔をしてはいけないこの島から去ろう…)

ジェットスキーの先端を立て急回転をすると私は沖で待っていると思われるイルカを見つけながら、ジェットスキーを全速力でカリブの海の上を飛ぶようにして、『アトランティス・パラダイス・アイランド』ホテルが小さく見える方向にカリブの海上を飛んで行った。暫くすると、待っていたという様にイルカが傍に寄ってきて私のジェットスキーに随走して来てくれた。