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忠 次 郎 一 家 を 名 乗 る

 

一五歳の時に川越の栄五郎の所に来た国定の忠次郎は、渡世人としての修行で努力に努力を重ねていた。矢張り、後世名を残すものは努力をするものである。

大前田一家の庭に咲く梔子(くちなし)の白い花の甘い香りが、初夏の風に乗って家の中に漂ってくる頃。栄五郎は、忠次郎を、百々の紋次の跡目にしようと思った。紋次は、栄五郎の親の兄弟分で栄五郎にとっては叔父御分である。紋次からの頼みで、俺は引退するから跡目を栄五郎の眼に叶った者を俺の跡目として、見つけてくれと頼まれていたのである。

栄五郎は、忠次郎に言った。

「明朝、寅の刻(午前五時)ここを発って上州に行く忠次郎伴をしてくれ」

唐突な栄五郎の言葉に、忠次郎は一瞬戸惑ったが上州に帰れると知り忠次郎は、眼を輝かせて答えた。

「承知しやした。出立は寅ノ刻ですね」

その夜忠次郎は、四年ぶりに故郷の上州に帰れると思うと喜びで眠れなかった。

一昼夜に四〇里(一六〇キロ)の道を走ったとされる栄五郎と腰に一貫目(三・七キロ)の玉石を下げて、十歳の時に、馬庭念流の本間道場へ通っていた忠次郎である。二人の足は速く、日のあるうちに上州国定村に着いた。

「よく来て下さった栄五郎さん。忠次郎も一緒だな」

百々の紋次の家に行くのは、明日の朝と決めてあるので、栄五郎と忠次郎は、貞然との久闊を除して、その夜は、遅くまで話し込んだ。結果、忠次郎はお尋ね者でも何でもなく、唯の上州無宿であることが分かった。

四年前に忠次郎は、山桜の鎌吉の首を切り落として、旅に出たのであるが、肝心の鎌吉の首と死体が無いのである。それもその筈、非人の寅造が、忠次郎の恩義に報いる為、鎌吉の首と死体を一人で埋めてしまったのである。埋めた後、自分も喉を斬って自害してしまったのである。寅造の身を殺し以て、仁を為す行為に、忠次郎の鎌吉殺しは、闇に葬られてしまったのである。

十五歳で浩松を斬って旅に出てから佐渡ヶ島で流人生活をして、島抜けそして旅から旅の凶状持ち人生の辛酸を嘗めつくしている栄五郎は、心の底から忠次郎の殺しが、闇に紛れてしまった事を喜んでくれた。

「好かったなあ忠次郎。好かった。好かった」

村人達は、鎌吉は赤城山の天狗に食われて、忠次郎は天狗にわれて赤城の山中で修行させられていると噂されていたのである。

養寿寺に一泊した栄五郎と忠次郎は、翌朝、百々の紋次の家に向った。

紋次の家に着いて紋次の寝ている部屋に通された。紋次は布団から身を起こして、掻い巻をかけて座った。

栄五郎と忠次郎は居住まいを正した。

「叔父御、長年の無沙汰を顧みず推参いたしやした。身体の按配は如何でしょうか?」

「おう、栄五郎、何時も珍しいものを送ってきてくれてありがとうよ。おらあ長くはねぇよ。お前(めえ)の親父の久五郎が冥土で待っているからそろそろ行くぜ」

「叔父御。あんまり寂しい事を言わねぇでくんな。もっと長生きをして、この栄五郎に、孝行させてくださいよ」

「お前には十分やって貰っているぜ」

栄五郎は、旅先で珍しいものを見つければ紋次の家に送り届け一家の賭場の上がりを斛(こく)()り(隠居取り分)として、留保しておき紋次に届けていたのである。

「栄五郎。俺もこのざまじゃ縄張が死守りできねぇ、お前の眼に叶った者はいねぇのかい?居るならその者に、跡目を譲り俺(おら)―引退するぜ」

栄五郎は大きく頷くと忠次郎を見た。

「この忠次郎は国定村の生まれで、四年前に山桜の鎌吉を斬って、儂の所に草鞋を脱いで修行中だが見どころがある漢だ。たって叔父御が誰かというのならこの忠次郎を推薦しますぜ」

紋次は、労咳で窪んだ眼で暫く忠次郎を凝視した後、二・三度領いた。

「好いだろう、忠次郎に俺の縄張は全部譲ろう。栄五郎後見人に成ってやってくれ」

「叔父御承知をした。唯、忠次郎には、国定一家を名乗らせてやりてーそれでいいかい?」

「異存はねぇ、栄五郎」

急転化、百々の紋次の縄張を受け、国定一家を名乗ることに成った忠次郎は、鳩が豆鉄砲を、喰らったような顔をした。

「紋次の貸元。栄五郎さん。手前は渡世の右も左も分からねえ駆け出しです。折角の御言葉で誠に在り難く存じますが、縄張りを死守りする自信がありません。従って、その器ではないので、辞退させてもらいます」

忠次郎の言葉を聞いて紋次と栄五郎は、顔を見合わせて微笑んだ。

「そんなことはねぇ、お前―は、もう一人前の渡世人だぜ忠次郎」

と、薦める栄五郎と紋次に二度辞退をして、三度目に忠次郎は引き受けた。

「謹んでお受け致します。この上は、鋭意努力をして、頑かります縄張りを死守り致します。付きましては、今後共、宜しくご嚮導(きょうどう)願います」

忠次郎は、正座をして畳に両手を付き深々と頭を下げた。

見事な行蔵(こうぞう)である。紋次と栄五郎は、縄張りを忠次郎に譲り国定一家を名乗らせる事の正しさを知った。

こうして忠次郎は、大前田栄五郎を後見人として、百々の紋次の跡目として国定一家を名乗ることに成ったのである。

紋次の家を出ると赤城の御山から初秋だというのに、冷たい風が吹いて来た。後年、国定忠次郎の波乱万丈の渡世を暗示しているようである。

「忠次郎、好かったな一家を構えたらこれだけは忘れるな。渡世人の遣ることは御上の正義と一致しない事がある。でもよう言ったことは必ず守り遣ろうと思ったことは何があってもやり遂げ一度頼まれた事があったら必ず実行し、自分の身を投げ打ってでも他人の為に奔走し在と亡、生と死の境目を渡った後でも、己の遣ったことに驕らず遣ったことを自慢してはいけねえ」

「この忠次郎、良く分かりました。栄五郎さんの御言葉、肝に刻んで、向後、渡世を執り

ます」

栄五郎は、忠次郎のこういう素直さが好きである。忠次郎も栄五郎を親分とは言ってはいないが、心の中では、それ以上の思いを寄せている。

忠次郎が国定村に帰るとき栄五郎六分忠次郎四分の兄・弟になった。忠次郎が、子分でも好いというのを、栄五郎の兄弟分と言って渡世を執れば何かと都合が良いという親心からの兄弟分である。

この後、国定村に帰った忠次郎は、栄五郎の肝いりで百々の紋次との跡目盃をして、盆開きの花会をしたのである。その頃から、島の伊三郎との確執が始まり栄五郎同様、凶状持ちとなり信州に旅をしたり赤城山に籠ったりするのである。

事を為し、名を上げる者は必ずと言ってよい位、苦難の道を歩かされる。

天という偉大なものは、これと見込んだ者に試練を与えて、成長をさせるものなのではないだろうか?

 

故 郷 の 山 々

 

栄五郎が川越に来ていつの間にか十年の年月が流れた。喜多院の額紫陽花が、昨日の雨に濡れて所々露となり残っている朝、川越藩松平直恒公の御側用人・内島隆ノ介が、郎党の黒川覚蔵と大畑醒司郎を引き連れて、大前田一家にやってきた。

若い者が、丁重に部屋に通すと大声で言った。

「おい、火急の時ぞ、栄五郎、拙者の前に罷り出て参れ吉報じゃ」

朝早くから何事であるのかと思った栄五郎が、御側用人の待つ部屋に行くと、言葉とは裏腹に、人の好い顔をして隆ノ介は、部屋の床の間を背にして座っていた。

「栄五郎。上州前橋に帰りたくないか?そこでだ、拙者、殿に御進言申し上げた。殿は拙者の言う事は、大概の事は聞いてくれるのだ。この事は、栄五郎にも善きことでありこの松平家にも善い事である」

この頃、前橋で渡世を執っていたのは、白銀町(現本町)に居る関口文之助こと白銀屋文之助という名前は立派であるが、もの解りが悪く喧嘩が強い訳でもない無いのに前橋を牛耳り子分が三百人もいる渡世人ではあるが、渡世人ではないような悪い事に対しては、知恵の回る親分がいた。

栄五郎としては、白銀屋と聞けば、佐渡ヶ島に送られる直接の原因となった、穴熊の御富士の賭場での御富士殺しをしている。忘れようにも忘れられない一家である。

白銀屋の代貸しの五十嵐万五郎・升屋浅吉。原万蔵・橋本粂吉という下部屋の貸元が、如何様は遣るわ堅気は、泣かせるわと手が付けられない程の悪の限りを尽くしていたのである。

前橋を代官領としている川越藩でも手を焼いていたのである。その話を聞いた御側用人が直恒公に進言したのである。

「殿、毒を以て毒を制すという言葉がありますが、前橋の博徒奴を栄五郎に掃除させたら如何でしょうか」

「相分かった。栄五郎を前橋に帰して、悪党どもを成敗させよ」

この様な川越藩の事情があり栄五郎は上州に帰れることに成ったのである。

栄五郎が、上州に帰ってくるという事は、御側用人内島隆ノ介が故意に流布させたので、瞬く間に関八州に広がっていった。

これを聞いた白銀屋一家は、下部屋の貸元達を親分の文ノ助の所に集めて相談を始めた。

「栄五郎の野郎、十九年前に、家の御富士を叩斬っておきながら、おめおめと好く前橋に帰って来られるものだ。舐めている。若い者で腕の立つものを選んで殺るしかねー万五郎・浅吉・腕が立ち腹の座った者を至急集めておけ」

体が大きいだけで、渡世人のいろはも分からず、唯、金欲だけは人の何倍も強く女好きの我利・我利亡者の文ノ助は、内心怯えているのに強がりを言っていた。

結論を出すのは速いが、一家の中には、栄五郎を叩斬って、男になろうと思っている腹が座った良い若い者は、何処を見ても居ないのが現状である。文ノ助をはじめ、万五郎・浅吉・万蔵・粂吉たちは、既に怯んでいるのである。子分を観れば親分は分かるというが、この親にしてこの子あり、腹が座っていない親分の下には、腹の座っている子分は居ない。

自分たちの怯懦な心を紛らわすために、この貸元達は、芸者を呼んで酒を飲み始めた。

「如何ってことはねぇや、大前田の栄五郎ごときが、前橋に来たって、味方はいねぇし、何がこの土地のことが分かるんだよ、世話ねぇよ」

「丁度好いから、兄弟分のお富士の仇を打ってやるぜ」

栄五郎に如何様を仕掛けて、十九年前に殺された穴熊のお富士と兄弟分の万蔵が、芸者の腰に手を回していった。

上州の貸元達は上州には大前田栄五郎という大親分がいると知っている為、遠慮をして前橋には入り込まないのである。白銀屋という一家は、渡世の立て引きをまったく分からない。自分たちが栄五郎の眼に見えない恩恵を受けている事すら気が付かないのである。

栄五郎は、御側用人内島隆ノ介からの話を聞いてから、前橋に行く段取りを着々と進めていた。

十年の歳月をかけて川越に根を張り築いた縄張りを誰に任すかが一番の問題で、前橋に行くのは白銀屋を除いては、周り中の貸元達が、栄五郎の帰るのを首を長くして待っているのである。

上州に帰れば今、売り出し中の国定忠次郎だっている。

只、心配なのは、上州も冷害で、百姓たちは飢饉に襲われていることである。東北地方から始まった飢饉は、燎原(りょうげん)の火の如く上州にも広がってきているのである。

生れ故郷の人達が飢えで苦しんでいる姿が瞼に浮かんでは消え浮かんでは消えていった。

白銀屋一家の掃除は、それ程気持ちの負担にはならなかった。渡世人の仮面をかぶり渡世を執っている者は、その仮面をはずしてやれば、それで済むと考えている。

白銀屋程度では、栄次が簡単に始末を付けてくれると思っていた。

(それにしても、二十四年か・・・長いようで短かったな…)

白銀屋一家の将来を暗示するかのように、利根川の河原の枯れすすきが赤城颪(おろし)になぎ倒されて 觜細(はしぼそ)ガラスが煩く泣き騒ぐ頃、栄五郎は生まれ故郷の上州に入り、前橋の表町の大泉寺の直ぐ傍に一家を構えた。天保五年晩秋である。

文殊院の燿山や大場の久八・江戸屋虎五郎の勧めもあって、上州での栄五郎の親分としての立場をはっきりさせるために、今まで盃を受けてなかった者や前橋一円の博奕打ちの貸元に栄五郎は盃をやることにした。

盃の準備は、文殊院の燿山・江戸屋虎五郎・大場の久八・武井の安五郎それに、国定の忠次郎が着々と進めた。栄五郎の盃を受ける者は、十二人で大久保一家の初代となる中島の栄助を除いては、後の大前田一家四天王と十哲と呼ばれる者で、渡世人としての器量は充分持っている漢達である。

親分の世話になっているからと言って、それは本当の意味の子分としての地位を確保したという事ではない。親分子分の結縁の誓盃儀礼を通過しなければ、確固たる集団の一員とは見做されないのである。

しかも、一旦盃を貰った以上、文字どおり親分の為、一家の為に、粉骨砕身して尽くす関係になるのである。従って、盃式は渡世人の間では、頗(すこぶ)る重要な意義を持つ集団加入の契機場面であるから古来からの格式作法と厳粛な雰囲気を有するところの秘密的様式により執行されるのである。

この度、大前田栄五郎の子分の盃を貰う者は次の通りである。

後に、江戸屋虎五郎と大場の久八を入れて、大前田一家四天王と言われる。浅部村の貞造・新堀村の倉造、十哲と呼ばれる石井村(富士見村)の周造 駒形の米八・三島の佐重郎・鳥取村(前橋市)の内田和一・三島の精次郎・羽根村の専衛門・足軽町(大胡町)の徳兵衛・室沢村(宮城町)の清造・菅谷村(嵐山町)の源次郎・栄五郎実兄の大胡の要吉十二人と若いが渡世人として、筋を弁えて、堅気を絶対に苛めないと言われた大久保村の中島栄助にも子分としての盃を遣ることにした。

栄助弱冠二十四歳の時である。

大前田一家の三階大広間で 盃は厳粛に執り行われた。

取り持ち人(媒酌人)  文 殊 院 の 燿 山

見届け人        国 定 の 忠 次 郎

見届け人        大 場 の 久 八

見届け人        江 戸 屋 虎 五 郎

見届け人        八 木 田 捨 五 郎

見届け人        竹 居 の 安 五 郎

他、上州・武州・駿河・甲州の錚々たる貸元達が列席して大前田一家親子盃は、執り行われた。

先ず、一同恭しく床の間に、掛けられた中央・天照皇太神 右・八万大菩薩 左・春日大明神の三神と捧げものが置かれている祭壇に向かって礼をした。

礼が終わって、一同向き直って座を正すと口上人である月田の栄次が第一声を発した。

「本日のお目出度に付きまして、私に口上を申し上げろとの事ですので一言口上を申し上げます」

こうして、盃を受け子分に成る者の姓名と、見届け人・取り持ち人の姓名が呼び上げられた。

次に、見届け人である国定忠次郎が、重層感のある好く通る声で口を開いた。

「ご苦労な事です。不詳私、縁あって当家貸元の舎弟です故、確りと見届けさせていただきます。どうぞ式を執り行ってください」

口上人の栄次は、程よい間を置いて言った。

「只今、見届け人であります国定の貸元からお言葉がありましたので、媒酌の方どうぞ席にお着きください」

席が定まると口上人が神前の捧げものに切火をかけお灯明点けた。

「親分、大前田栄五郎さんが、貞造・倉造・周造・米八・和一・清次郎・専衛門・徳兵衛・清造・源次郎・要吉・栄助の十二人に盃を下げることに成りました。これをご報告いたします」

と神前に報告をすると口上人は下座に戻った。

媒酌人である文殊院の燿山は、列座に向って言った。

「数ならぬ私に、盃を取れとのお言葉に従いまして、盃を取らせていただきます。盃の順序が間違いましたらお許しをこうむります」

息を止めなくては観ていられない程の気迫を込めて、媒酌人の文殊院の燿山は、川がさらさら流れて行くような手慣れた動作で、三宝に乗せてある盛り塩と鯛を箸で突いて盃に入れて行く、塩・鯛・を盃に入った酒によく混ぜて、盃を作り新子分に成る者達に言った。

「いよいよ、これから親子盃をする。この盃を背負った以上、一家に忠義、親には孝、たとえ妻子が食わずにいても親分の為、一命を捨てる覚悟でこの盃を飲んでください」

このように威厳ある言葉には、今後の集団内社会関係の確定、新しい子分への役割が示されているのである。

盃の作法に付いては、武家の伊勢流と柏流との流れが在りそれらが、その一家流に解釈されて現在に至り関東と関西の違い。的屋と博徒との違いが出来てきたのである。

盃式が終わり、宴席となった。儀式の緊張から解放された貸元達も酒を飲みながら話を始めた。

義理と言えば何処にでも行き義理を果たしている八木田の捨吾郎が言った。

「前橋には、白銀屋文ノ助が居るが、今日は来ていねぇな」

和太郎が、応えていった。

「ちらし(回状)は出したのですが、何か都合でもあるのでしょう」

和太郎の言葉を聞いた国定の忠次郎と大場の久八・武井の安五郎・江戸屋虎五郎たちが、敏感に反応した。忠次郎が口を切った。

「文ノ助の野郎。兄貴を舐めているんじゃーねぇだろうな。兄貴を舐めているんなら、今すぐ野郎の所に行って、叩斬って遣らなけりゃならねー」

気が早く、喧嘩が三度の飯より好きで、兄貴分の栄五郎を神様のように思っている大場の久八と竹居の安五郎は、忠次郎の言葉を聞いてお互いの顔を見合わせると頷き合った。

(兄弟、親分を舐めた野郎は、叩き斬るしかねぇ。帰りがけの駄賃に殺ってしまおう・・・)

大場の久八と竹居の安五郎は栄五郎を崇拝している。舎弟分にはなっているが、それは栄五郎が久八と安五郎に、大前田の舎弟と言わせて、関八州はおろか東海道筋でも二人が、渡世を執りよければ良いという栄五郎の親心であることを、十分に弁えていて、それほどまでに、自分たちの事を考えてくれている栄五郎を舐めたりした者が居れば、絶対に許さない。白銀屋の話を耳にしてから白銀屋の事は、話題にはしなかった。

盃式の後の宴席がお開きに成った後、久八と安五郎は、伴の若い者を二人ずつ連れて眼と鼻の先で渡世を張っている白銀屋文ノ助一家へ殴り込みをかけた。

白銀屋では、大前田一家は盃をしている訳だからまさか今日の殴り込みは無いと踏んでいた。

「は、は、は、白銀屋文ノ助は何処に居る。い、い、居たら出て来い。た、た、た、竹居のども安様が、そ、そ、その首を貰いに来た」

二十人ばかりいた若い者は、突然大声を上げられて、見てみれば、眦の吊り上がった怖い顔をした渡世人が、何人かで来ているので、驚いて仕舞い慌てふためいて、右往左往するだけで、長脇差を抜こうとする気が全くなく最初から士気をそがれてしまった。

士気が有る無しに限らず久八と安五郎は、加減はしない。近くに居た若い者を、同時に叩斬ってしまった。

「ぎゃー助けてくれー」

「痛ぇよーいきなりはねえじゃねえか」

土足で家に上がり込むと、瞬く間に、二・三人を斬ってしまい久八が言った。

「文ノ助は何処だ。居るんなら出てこい」

この声を聞いた文ノ助は、怯えて押し入れの中に隠れてしまった。更に、布団の中に潜り込んで息を潜めていた。だらしがない親分である。この様に、堅気の弱い人に強く、渡世人の強い者には弱い者が、前橋を仕切っていたのである。久八・安五郎と二人の若い者は、十人ばかり叩斬ると斬られてとち狂っている若い者に聞いた。

「文ノ助は何処に居る。教えなければ殺すぞ」

「お・親分は、奥の部屋です・・・俺を助けて下せー」

あまりにも、意気地が無いので、拍子抜けした二人は、血が滴る長脇差を手にして、奥の部屋に踏み込んだ。部屋に見当たらないので、足で押し入れのふすまを押し開けると人の気配がした。

布団を全部引き出して見た。手を当ててみると人の居た温もりが感じられた。

この時は既に白銀屋文ノ助は、押し入れの天井板を外し、天井裏を這いずり家の外に出て様子を窺いながら逃げてしまった後であった。

散々、家を家探しをしても文ノ助は居ないので久八は言った。

「意気地のねぇ野郎だ。こんな者を相手にしていたんじゃー世間に笑われるぜ。兄弟。この辺で引き揚げようかい」

「分かったよ、その辺の死に損ない。よーく聞いておけ渡世の義理を果たさねぇで、大前田一家に逆らったら文ノ助を地獄の底まで追いかけて行って必ず殺すぜ」

白銀屋の問題は、安五郎と久八が簡単に片付けてしまった。