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『総長への道』       

 

 元三代目稲川会々長秘書 髙田燿山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目  次

はじめに・・・・・・・・・・・・五

愚連隊について・・・・・・・・・五

山口乙矢事件・・・・・・・・・・七

深谷の愚連隊・・・・・・・・・・九

的屋の真実・・・・・・・・・・・十三

高校に行くのを止める・・・・・・十七

女を寝取ったマーボー・・・・・・二十

武富士の過去・・・・・・・・・・二十三

老人施設花みずき理事長・・・・・二十六

次郎と言う男・・・・・・・・・・二十八

深谷運輸社長焼死事件・・・・・・三十一

天命を知ると言うこと・・・・・・三十四

第一次頂上作戦・・・・・・・・・三十五

松本少年刑務所・・・・・・・・・三十七

晴天の霹靂・・・・・・・・・・・四十五

任侠第一歩・・・・・・・・・・・四十九

盃を貰う(親子盃式)・・・・・・・五十四

渡世人は博徒である・・・・・・・五十九

賭場と丁半博奕・・・・・・・・・六十三

ソ連製マシンガン・・・・・・・・六十五

本当の侠客・・・・・・・・・・・六十七

柏崎。浅草そして御宿・・・・・・五十九

博徒の仁義・・・・・・・・・・・七十四

山田電機創立期・・・・・・・・・七十七

代行二人・・・・・・・・・・・・七十九

香具家一家の大隅・・・・・・・・八十一

熊谷に事務所を出す・・・・・・・八十四

落兄ィの不審死・・・・・・・・・八十六

暴走族退治・・・・・・・・・・・八十八

狡兎死して走狗煮られる・・・・・九十二

三代目山口組田岡親分の死・・・・一〇〇

いい恰好し・・・・・・・・・・・一〇四

神戸刑務所善哉事件・・・・・・・一〇七

大野一家二代目・・・・・・・・・一〇九

山一抗争の時・・・・・・・・・・一一一

住吉会掘会長宅襲撃の犯人・・・・一一四

任侠・・・・・・・・・・・・・・一一六

人は石垣人は城・・・・・・・・・一一九

談合との関係・・・・・・・・・・一二〇

集まる若い者・・・・・・・・・・一二二

アフリカケンネル・・・・・・・・一二五

虎のドンとの思い出・・・・・・・一二七

道場での修行・・・・・・・・・・一三〇

大澤三金吾瞑目す・・・・・・・・一三四

渡世最大の本葬儀・・・・・・・・一三四

四九日・・・・・・・・・・・・・一三五

我が道を行く・・・・・・・・・・一三七

盃の意義について・・・・・・・・一四〇

総会屋小川薫・・・・・・・・・・一四二

瓢箪から駒・・・・・・・・・・・一四五

三代目会長の温情・・・・・・・・一四七

岸本卓也本部長・・・・・・・・・一五〇

三代目稲川会々長・・・・・・・・一五二

日本興行銀行の闇・・・・・・・・一五五

部落解放同盟上杉佐一朗・・・・・一五七

成田・バンクーバー・バハマ・・・一六〇

Bet golf(賭けゴルフ)・・・・・一六三

Bahamianthyme(バハマタイム)・一六五

心広く体躯豊なり・・・・・・・・一六八

ドル相場の違い・・・・・・・・・一七〇

Cancun(カンクン)・・・・・・・一七二

Acapulco(アカプルコ)・・・・・一七四

A heart andheart(心と心)・・・一七六

児玉誉士夫と丸の内胡蝶・・・・・一七九

アクテオ上場の裏・・・・・・・・一八〇

ジャンボ尾崎事務所襲撃・・・・・一八四

髙田組襲撃班・・・・・・・・・・一八七

起訴・・・・・・・・・・・・・・一八九

小菅拘置所に移管される・・・・・一九一

サンクチアリ・・・・・・・・・・一九三

接見禁止の四年間・・・・・・・・一九五

小菅から宮城刑務所へ・・・・・・一九七

バイアグラ&豚ウィルス・・・・・一九八

反権力闘争の狼煙をあげる・・・・二〇一

義の弁護士舟木友比古先生・・・・二〇三

終わりなき闘争・・・・・・・・・二〇五

坐禅てなんだろう・・・・・・・・二〇七

内なる修羅・・・・・・・・・・・二一〇

さらば友よ・・・・・・・・・・・二一二

出所・・・・・・・・・・・・・・二一四

内田光子ピアノ演奏を聴く日々・・二一六

初代髙田一家総長・・・・・・・・二一九

逮捕者続出・・・・・・・・・・・二二一

パソコン教室に通う・・・・・・・二二四

実話時報・・・・・・・・・・・・二二六

天と共に・・・・・・・・・・・・二二八

終わりに・・・・・・・・・・・・二三〇

 

 

 

 

 

はじめに

この物語は私の歩んできたヤクザ渡世の蹉跌の記録であり、一つのフィクションも入っていない。若い頃は、自分で意識をしていなかったが、男とは強くなければならないという事が、完全に行動に表れていたような気がする。だから、根性がない等という言葉は一番忌避していたし、喧嘩に勝ことと、泣きごとを言わないという事が至上であり、私たちの目指す所でもあった。今振り返り見れば赤面の至りであるが本当に強い男は喧嘩ばかりではなく精神的に強くなければならないし、優しさも持たなくてはいけない、時には薄情に成れる事も強い男には必要である。若い頃の私たちは今思うと本当に子供であったと思わざるを得ない。でも、この様な人生の一部があり、今があるという事を私は忘れない。言い換えればこの頃、私がいたから現在の私がいるのである。

青春それは無軌道な事ばかり、それが本当であると思い行動した。だから、後悔は一つも無い。禅の本を読むと『随処に主となれば立つ処皆真成り』とあるが、私たちの青春は誰が教えたのでもなく自分で考え、自分で行動していたのだから、皆、真・即ち、本当の事であったに違いがない。

更に、ヤクザになり、好むと好まざるのに拘わらず、振幅の大きい人生を送らなければ成らなかった事は、天が私に試練を与えてくれたのであろう。然し、私は何時何処でも如何なる状況でも真剣に生きてきた。真剣に生きるという事は多くの物事を学ばせてくれたと思っている。だから振幅の大きい人生を歩ませてくれた天に感謝をしているのである。ヤクザは必要悪である。社会悪ではない。然し、一部の者を対象にして、暴力団・果ては、反社会的勢力と呼び平等であるはずの法を捻じ曲げて弾圧を加えている。この様な現実にヤクザは、沈黙を守っている。それも他を批判しないと言うヤクザの美徳ではないだろいうか。

とにかく、ヤクザとはどのような考えを持ち行動をするか、この本を読んで少しでもヤクザに対する考え方が変わってくれることが、私の願いでもある。

 

 

 

愚連隊について

先ず、如何して愚連隊と呼ばれるのか、愚連隊であった時は解からないで周囲から「お前達は愚連隊だ」と呼ばれて何となくそうゆうものであるのかと思っていたが、ヤクザ渡世が長くなると先輩達から教えられたのか、物の本で読んだのかは忘れたが、今ははっきり言えるようになった。

この愚連隊と言う言葉の発生は「ぐれたい」「ぐれる」「はぐれる」「曲がる」「物事が変な具合に成って予期通り行かない」などであるが、要するに曲がって不良青少年に成ることである。そうした「ぐれた」者の団体を差すところから出たとされている。

特にこの言葉の初期は暴力系より窃盗系に用いられた様である。この愚連隊と言う言葉は明治時代からあった言葉で現在は「反グレ」等と呼んでいる様である。

現在の愚連隊を区分してみると次の区分のどれかに相当していると考えて良いだろう。

  1. 遊び仲間から移行した小暴力の非行集団で組織性はなく闘争性による結合。

  2. 居住地関係の非行集団。

  3. 居住地は分散しているが面識関係を契機として集団化したもの。

  4. 番長・幹部・会員等の組織を持つ役割分化した集団。

  5. その他、ヤクザ集団への志向性の強い者。

    このうち二,三はリーダー格の少年が何らかの関係においてヤクザとの関連を持っている事が往々にしてある。

    昭和三十三年、東京一円における組織性の高い愚連隊は三十八派、鹿十団、三声会(東声会)鳴門組、三友会等々その数一三〇〇人がいた。その中には博徒や的屋の外縁的な団体もあった。現在も同じようであるが大体において博徒といっても、飯が食えないので愚連隊を自分の一家に引き入れて、若い者や舎弟にして、のほほんと親分や兄貴分に成る者がいる。それも金の為と言うように愚連隊の実行力や腕力を買ってその外部団体にしているのである。

    ことに、この様にヤクザ及び的屋からの働きかけによる下位グループの形成、即ち、盛り場を中心とする最近簇生の遊戯的非行集団を自己の傘下に吸収。再編成し、一方に集団の自由活動を許すと共に他方、これをひも付きにするという傾向が誠に顕著である。

    愚連隊は時代の変化に即応して「人は私の事を喧嘩が上手いというが私は若い者を殴った事も殆どないし、怒鳴りつける事も少ない。大体好きにさせておく。小遣いがどうしても必要と言う時は無理しても都合してやる」と言った人間関係の面や「今の若い者は仁義等と言うと笑い出しますよ。私自身お控えなすっての仁義等切れないし覚える気もない。大体仁義に外れたと言って指を詰めさせたら、それだけ一家の戦力が減るじゃないか」と言う様な暴力感覚の合理化などみられる。

    昭和三十年の一年間警視庁の検挙した愚連隊の年齢層を見ると一三三五名中一八歳から二十歳の年齢層が四十八,二パーセント、一五歳から一七歳が三七パーセント、二一歳から三十歳までが十四歳が〇八パーセント、三一歳以上が〇九,六七パーセントという構成を示している。そして、その年齢層の高い部分ではその集団の大幹部、更にヤクザの一種に成っている者が含まれている事はとは言うまでもない。

    後楽園の競輪場に進出していたボクサー崩れの布戸酉蔵の布戸一家、或いは万年東一の万年一家やその一派の一斉検挙された安藤組、築地の白井組、等々は既に本格的なヤクザで、若いグループとは区別しなければならない。

    布戸は博徒住吉一家の大親分阿部重作の子分であったが、何時でも親分の言う事を聞くとは限らぬ勢力を樹ていた。同じく阿部親分の身内とされていた寡っての浦上信之(人きり信)浦上一家は、銀座警察と称し、若いグループの東声会、三声会を掌握している新橋警察の町井一家と共に著名であったが、かれの勢力のごときは時として親分を凌ぎ、いわば客分的な幹部の取り扱いを受けていた。

    これらは、前述の非行集団的愚連隊より更に上位の。有力な集団である。一体戦後の博徒や的屋は実力第一で、従って博徒親分と称しても実際は元々愚連隊出身でその腕力度胸を買われてその一家に属している内に、やがてその跡目を継ぐに至った者も少なからず含まれている。破笠一家の親分入村貞治は元々愚連隊であるし、有力な上万一家の親分(後の住吉会会長)碩上義光も博徒に成ったが愚連隊の遍歴をへており、更に又、浅草の的屋の大親分の芝山益久も旧愚連隊の出身と言われている。

    この様に愚連隊と一口に言われる者には、色々の段階の者を含むのであるが、後者に至るほど組織化の度合いが高くなり、構造性は明確となって伝襲型の親分子分への接近を示すのである。すくなくても、専門化、職業化が強く成れば、どうしても伝統的な組織を持つ集団に関連付けを持たずには、その基盤を固くすることができないのである。博徒、的屋の集団は、愚連隊の浮動的、遅援的な構造と違いより高度の制度的集団としての強い組織や勢力を有している。個人的にも愚連隊としての生活に深入りしてくると、それだけ敵も多く生じ、それからの自己防衛の為には、相互に集団間の連絡や全体的な秩序、ことに明確な連帯制度の確立したこの集団に属する事が安全を計る途となるのである。親分の盃を貰うという事は、それだけヤクザ社会全般における自己座標軸の確定、防御、攻撃の集団保障を享受する事に繋がる。尚、ここに制度的集団とは、慣習性と公認性と組織性を備えた集団を意味する。この場合、公認性とは、言うまでもなく、彼らの社会内における公認、それぞれの集団系譜の是認であり、組織性とは、散発的な行動の集合では無く、行動の規則性、継続的な人間関係、分節と統合の内部の堅確な枠組み確立及びその有機的な活動の存在を示すものである。

    愚連隊に付いてはこれ位にしよう私もヤクザの盃を貰うまでは隠しても隠しきれない真正の愚連隊であったのだから。

          

     

     

    山口乙矢事件

    深谷市の唐沢堤の桜が散り、若葉が眼に染みる頃。深谷警察から黒塗りのセドリックに乗せられて、刑事に貰った煙草を両手錠のままで吸いながら、当分この街には帰ってこられないと思いながら、着いた先は浦和少年鑑別所であった。

    罪名は傷害と恐喝、どっちにしても少年院に送られるのは確かで、不良の先輩達に、少年院の事は聞かされていたので、好奇心満々であった。古い事なので今は忘れたが、入所に対しての注意や鑑別所の規則・生活について鑑別所の職員に、いやになるほど聞かされ雑居房の一室に入れられた。共犯の岡野秀雄は三室に入れられたと記憶している。

    岡野は元稲川会相之川一家岡野組の組長である。

    想い起こせば一九六〇年だから、山口乙矢が社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺した年である。この当時の少年達にとり山口乙矢は、ヒロイズムの頂点に立った存在である。鑑みるとこの事件以来、右翼を自称している者の中から、山口のような純粋な気持ちで『身を捨てて仁をなした』少年があっただろうかそれは歴史が証明しているのである。

    さて、私であるが、入室する時不良は不良の仁義が有る。

    「深谷から来ました。髙田宰夫です。宜しく頼みます」

    「おう、深谷ねぎか」

    四人いた先室者の内・部屋長らしき者が、鷹揚でありながら、威嚇心丸出しで鋭い目付を態として、私を睨みながら応えた。この頃の私は、喧嘩が強く切れるのも早かった。

    「何をはったりを掛けているのだ。喧嘩ならいつでも上等だ!」

    一勢に部屋の者が立ち上がったが、私は既に、部屋長と思しき者の襟首を掴んで引き寄せていた。すかさず右パンチを左頬に浴びせてやった。其の儘、後ろに部屋長は倒れてしまった。

    それを見ていた三人は、急に闘志を失った様に、床を向きうなだれ眼を伏せてしまった。そして、聞こえるか聞こえないかの声で一人が言った。

    「失礼をしてすいません。一応罪名は、誰にでも聞くことに成っているのです」

    「解った」

    了解したと言う意味もあり、部屋の者達に微笑んだ。

    するとパンチを見舞われて倒れていた部屋長が起き上がり、正座をして私に謝った。

    「深谷の髙田さんですか。噂では聞いていたのですが、部屋長の立場として、能書を言った事でしてお許しください」

    「いいって事よ。この中の者は皆、楽をしている訳ではないから、仲良くやろうぜ」

    私が前・部屋長に代わり、浦和少年鑑別所の一室のボスになったのは、たった十分、騒ぎに気が付いた職員が、早々扉を開けて補導課に連行をした。

    「髙田、ここで入所して直ぐに喧嘩をしたのは、お前が初めてだ。これで少年院送りは間違いがない」

    大きいデスクに座っているのだから、偉い人なのだろう。デスクの上には補導課長と書かれた札が置いてあってデスクの前に立たされた。

    「手を後ろに組め、歯を食いしばれ!」

    デスク越しにいきなり、左頬へ平手打ちが飛んできた。はったりでやっているのが歴然としているのいでウスラ笑いを浮かべ、今度は左頬を偉いと思っている補導課長へ突きだした。

    「左の頬を殴るなら右の頬も殴ってくれよ」

    課長は一瞬、躊躇の色を浮かべたが、私を恫喝した。

    「髙田、お前は必ず特別少年院送にしてやるからな。ここでも確り面倒を見てやるからな」

    何を脅しているのだろうと思い。笑いだしたくなった。

    「有難うよ。態々、特別に面倒を見てくれるとの事ですが、どうせ俺は特別少年院に送られる覚悟してきている。特別に面倒を見て貰わなくても結構」

    「生意気な奴だ。後で泣きを見るな、これから少年院に送られるまで独居で生活しろ」

    「上等だぜ! 何を言ったってここに居るのは、二十八日間だけじゃねーかよ。やれるものなら俺に何でもやってみろよ」

     私と課長の遣り取りを一部始終見ていたのが、同じく三房で暴れて補導課に連行さて来ていた岡野秀雄である。

    課長に対する不貞腐れている態度と行動を見ていて思ったという。

    (俺はこの男とは将来必ず兄弟分に成りたい…)

    後年、本当の兄弟分なってから岡野が、鑑別所での思い出をしみじみ語ったものである。

     その後、独房に入れられて二十六日目に、家庭裁判所の審判が有った。

    私は在宅試験観察になり、岡野は委託試験観察となった。だから私は家に帰る事が出来たが、岡野は茨城県にある保護施設に送られた。二ヵ月後、岡野は草加の豊田を連れて保護施設から逃走して、私を頼ってきた。それ以来。岡野が堅気になるまで岡野と豊田そして、私の友情は固く結ばれていた。豊田は住吉会高橋組の豊田組長であり、岡野は元稲川会相之川一家の岡野組組長であった。何かの折、岡野は私が浦和少年鑑別所で何をしたか、つくづく話した。

    「兄弟、浦和鑑別所で課長に、締めらた時、兄弟はキリストの言葉を知っているのかと思った。キリストは右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと言っている。今になり、あの当時、兄弟がキリストの言葉を知っている訳がないと思うと、兄弟に凄さに魂消たよ」

    私は小学五年の時に、女の子を虐めている同級生を見て、女の子を助けようとし、女の子を叩いて虐めていた板倉をそれ以上に、引っ叩いてやった。

    それを見ていた宮川元帥を言うあざ名が付いている軍隊帰りの先生から、革のスリッパで嫌になるほど引っ叩かれた。それ以来、先生に対する不信感が出来、勉強は大嫌いになった。只、剣道だけは誰にも負けたくないという気持ちがあり、一意専心して励んだ。喧嘩は不敗神話を創っていた。不良少年・愚連隊・ヤクザを重ねて五十年、思い起こせば感慨深いものがある。それぞれ脳裏の深く刻み込まれている。特に、この年の十一月に同世代である山口二矢が、社会党の委員長である浅沼稲次郎を刺殺した事件は思い入れ深き事件として、脳裏に刻み込まれている。

    この事件を知り、同世代でもあった山口二矢に甚く共感できた。

     

    ―千早ぶる神の大御代とこしえに仕えまつらん大和男は

     

    一七歳の少年がこの歌を詠み、この歌を詠みながら、浅沼委員長の左わき腹を刺し更に、短刀を水平に構えて左胸に差し込んだのである。

    山口は東京練馬少年鑑別所で独房の壁に歯磨き粉で右翼としてのメッセージを書き残した。

    「七生報国・天皇陛下万歳」

    そして、シーツを破いて鉄格子に下げて自分の首を掛けて縊死したのである。

    従って、山口の勇気と潔さは、後年ヤクザとして生きてきた私の心の中に刻まれ何時までも、忘れられない思い出であり、影響力を与えたと自覚している。