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天 命 是 な ら ず

 

剛史が独房で日中は、買い物紙袋の成作に精を出した働き。夜は、独房、唯一の楽しみである読書に没頭する日を続けて三年の歳月が流れた。

「弁護士面会だ、支度をしてくれ」

主任担当の小田桐の声がしたので、水道の所に行き手を洗い衣類の乱れを直して、立ち上がると施錠の音がして扉が開いた。

「面会は誰ですか」

「決まっているじゃないか。舟木弁護士だ」

 面会所に行き舟木弁護士と顔を合わせると先生は、病み上がりのように痩せていた。どうしたのかと心配をして訳を聞こうとしたら先生の方から口を開いた。

「実は、酒の飲みすぎで肝臓を悪くしてしまい入院をしていました。私が面会に来ないので大沼さん。やきもきしていたのでしょう。迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「先生、もう体の方は大丈夫なのですか」

「大丈夫ですよ。さて、例の件ですが、こうなったら民事訴訟で行くしかありません。唯、大沼さんが被害者ではないので、被害に在った受刑者を見つけてください」

「先生それは無理です。僕は現在。独房生活をしています。他の受刑者と話も出来ません。如何したら、小野に暴力を振るわれた受刑者を探したらよいか見当もつきません」

 舟木弁護士は、しばし考えている様子であったが、顔を上げて剛史を見た。

「現在。元明治大学の教授で菊田幸一弁護士が『監獄人権センター』で刑務所の人権問題に取り組んでいます。ここで、警備副隊長に暴行を受けたという者が、三名人権センター訴え出ています。民事では勝てる可能性が高いのですが、この様な現状では菊田教授と共闘するのが得策ではないでしょうか。今までの大沼さんが得た情報を『監獄人権センター』に堤出して共に戦う事にしますか」

三年半以上独房生活をして、坐禅にのめりこんで仕舞っている剛史である。拘るという事が禅に於いて一番悪いのを知ってしまっている。ありのままに生きて流れる水のように自然に、己の心に逆らわないと常に心がけていた。

「先生。僕は国家権力によって、逆らう事が出来ない受刑者を理由も無いのに暴行を加えるという理不尽に、義憤を感じて行動を起こしました。僕と鎌川さんが行動を起こすという事により、この中に入っている受刑者にも自分という者をもっと確り持ってもらいたいという気持ちもありますし、一番の理由は警備副隊長のような。血も涙も無い没義道の者に対して大鉄槌を下したいのです。菊田教授も中々やる人と聞いています。この際ですから共闘する事も良いでしょう」

「解りました。今後、その様に進めましょう。民事は被害者が、この刑務務所の医師に診察して貰った診断書が、三名共あると言っているから、もしかしたら、裁判で勝てると思います」

「如何にしても、この度の宮城刑務所の看守に拠る暴行事件は、社会の知るところとなりました。当初の目的は、達成されていると思って好いでしょう。後は民事の法廷でここの暴行事件が全国にさらされることが、今後の為にも良いでしょう」

話が長くなると舟木弁護士も予定があると思い剛史は、この辺で話を終わりにしようと思った。しかし、この後、舟木弁護士の方から鎌川に会うと言って面会を切り上げた。

房に還ると又、何百枚もある紙袋を作る材料の紙を数えはじめた。後、半年で社会に出る事が出来る。ここでは苦しい事ばかりあったが、剛史にとっては対人間や国家権力の恣意・怠慢等日本国が乱れてきている事を、身を以て感じる事が出来た。

(この様な刑務所官僚たちがいるのであるから、他の省庁の官僚たちも似たり寄ったりであるに違いがない。日本の国は何処へ行ってしまうのだろう・・・)

 

剛史は、自分が生れ愛する日本の将来を案じた。政治家が派罰争いに終始して国民の声は、二の次として、官僚は自分たちの権益を守るために、ごり押しの法案を作成して、検事や検察官は名誉と地位が欲しくて、事件の捏造は恒常化している。何が本当で何が本当でないか国民は、不況もありそれからの回避も含めて、戦線恐々としている。剛史は右翼ではないが、国を憂いずにはいられなかった。

だが幾ら、日本の国の将来を憂いても、満期が来るまで出る事が出来ない受刑者の身である。

自分を高めるために、儒教書を始め佛教書・歴史・芸術とあらゆる分野の書物を読破した。最後に行き着いたのは、佛教でも佛教らしからぬ坐禅であった。

己の愚かさに気づいた時、初めて人間から人になれたと思えた。今は、禅的精神の究極と自分で思った「拘らない心」「垣根を持たない」という精神的区域に入り込もうとしていた。

後、半年で社会に帰る事が出来て愛する静代にも会える。出所して暫くは、体がゆうことを利かないと考えられるので、静代を連れて近くの温泉にでも静養に行こうと思うと。静代の優しく微笑む顔が浮かんできた。ゴルフもやりたい。ゴルフ場つきの温泉にしようか、伊香保や水上のホテルに宿泊すれば、ゴルフ場は取ってくれるしシステムになっているから、静代の意見を聞いてからでも遅くない等と買い物袋を制作しながら、剛史は出所してからのことまで考える様になった。

 こうして、半年の月日は、否応なしに経過して行った。出所日の一週間前に静代が面会に来た。

一時は痩せてしまっていた静代が、健康そうな顔をして頬を膨らませて話をする様子を観て安心をした。

(静代は言わなかったが、きっとどこか具合が悪かったのだろう。でも、もう大丈夫のようであるので、ひと先ず安心した。五年という刑期は、判決を言い渡された時は長いと思えたが、務めてみると短いものである。しかし、人生の縮図とも掃溜めとも言われる刑務所は、現在の社会を映し出す鏡でもあるようだ。それを知っただけでも僕にとっては勉強になった)

「あなた。もう直ぐですね。この日が来るのを静代は一日千秋の想いで待っていました。ご苦労様でした。ところであなたのスーツを作っておきました。気に入って貰えると嬉しいのですが、出所当日は差し入れが駄目だというので今日持ってきました」

静代は、スーツが入っている箱の蓋を取り、スーツを取り出した。自分の好みのグレーで少しブルーが入っている様な洒落た感じがしたので微笑んで静代を見た。

「気に入ったよ。静代。君は何時でも僕の好みを解っているな。さすがわが愛する妻だよ」

「気に入ってくれてありがとう。わたし本当に嬉しいわ。出所する時に着て頂戴」

 何の変哲も無い会社を定年になった一人の男と妻が人の命を救って、挙句の果てに社会の荒波に翻弄され、剛史は刑務所まで勤めさせられて刑務所では、徹底的に、苛められて、なおかつ、夫の帰りを待つ方の妻も殺人者の妻であるというだけで、差別をされ様々な嫌がらせを受け生きてきた。愛するが為に、お互いに心配をかけまいと、自分に降りかかった災難を一言も喋らず今日まで来たのである。剛史も剛史なら静代も静代である。熟年夫婦の愛というものを感じない訳には行かない。

「あなた。当日は何時に出られるの」

「早朝出所の願箋を出して、遠方という理由で五時までには出してくれるそうだ」

「では、新幹線は無理ね。わたし車で来るわ」

「大丈夫か。ここまではかなり遠いではないか」

「大丈夫だわよ。こう見えてもわたしは運転の名人ですから」

 来週に出所出来ると思うと面会も短くても良いようになって仕舞う。立会いの看守が面会の終わりを告げる前に、二人の面会は終わった。

 東北の梅雨は長い。七月であるのに未だ、空は、薄暗く曇っていた。

湿度が高いのであろう異常なくらい蒸し暑いのである。面会が終わり刑務所を出てタクシ

ーを待つ間、静代は空を見上げながらハンカチ―フで、首筋を流れる汗を拭いていた。

 

 

 

オ ー ル ド ブ リ ッ チ で 蝉 が 哭 く

 

平成二十四年七月二十三日、大沼剛史は宮城刑務所を出所した。三日前の七月二十日に出所の為に、昼夜独居から上がり房というやはり独房に移された。日中から上がり風呂と言われている風呂に入り五年間の垢を落とした。

そして、出所の一日前まで朝からテレビを点けたままの舎房で、七月二十三日の午前三時半に起こされるまでこの房に居るのである。

受刑者は、出所十日前頃から興奮をして、睡眠が良く取れないものが多くいるが、剛史は、既に坐禅をしたことにより「垣根を取る」という事が、出来ていたので通常と変わらずに、日中読書をして消灯になればぐっすり眠る事が出来た。垣根を取るという事は、先ず、生と死・刑務所の中と外・自分と他人・今日と明日等という境目の事を垣根と表現しているのであって、この様な境涯に達するっことは並大抵な事ではなかった。

だから剛史は、出所の前の晩も九時に寝て三時半に起き歯を磨き洗面をして、私物を纏めておいた。

四時になると宿直の看守が、扉の鍵を開けて小声で言った。

「二一八〇番・大沼剛史出所だ」

 剛史は返事をしないで房から出た。昨日で、自分が裁判所で言い渡された刑期は、追わっている筈である。何も威張るだけしか能がない看守に、返事をして卑屈になる事は無い。天下晴れての社会人である。

 出所の為に、衣類を着換たり領置をしてある私物を確認する部屋で、当直看守長が来て身分帳を見ながら優しい声を出して言い渡した。

「二一八〇番・大沼剛史さん。本日出所です出所後は、二度とここへ来ることが無いように生活をしてください」

 五時五分前に、警備隊が五人来て剛史の両脇を固めた。

「それでは行こうか」

 剛史は立ち上がると、おもむろに、歩き出した。一歩・二歩・三歩と着実に自由の地を自分の意志で歩いた。刑務所の建物を出て門の所に行くと引率をしてきた警備隊の一人が,剛史の称呼番号が印刷されている用紙と写真が添付されている物を渡した。

「番号。指名」

「二一八〇番・大沼剛史」

「はい解りました」

 服役中とは全く違った丁寧な言葉ずかいで門番の看守は言った。

 

 門の向こうには、静代が優しく微笑む姿が見えた。剛史と顔が合うと丁寧に頭と下げた。

その姿に、静代の万感の思いが込められているのが感じられた。

門の外に出ると静代が嬉しそうに微笑んだ。

「あなた。ご苦労様でした」

「うん、君の方こそ、苦労をかけたね」

 静代は車の助手席の扉を開けると剛史が座るのを見届けてドアを閉めた。反対側の運転席に戻るとドアを閉めて、剛史の方を見てにっこり笑い。直ぐに前を見て運転を始めた。

 車が仙台南インターを上り関東方面を走り始めた時であった。

「あなた。出所したら何を一番したいと思っていたの」

「何もかも忘れてゴルフをしたい」

「解りました。後は、わたしに任せて頂戴」

 静代は剛史に、言われていた訳でもないが、出所したら、まず、最初にゴルフが、やりたいというに決まっていると考えていた。

 でも、この日の記念になるようなゴルフ場は、何処にあるのだろうと考えていたら、刑務所に行く前に、『スコットランドのセントアンドリュウスに行きたいなー静代』と言ったのを記憶していたので、イギリスではないが、日本のセントアンドリョウスに、連れて行きたいと思っていた。

 仙台刑務所には、良い思い出は無かったが、良き出会いはあったと思っていた。邂逅それはその人と出会い。良くても悪くても影響を受ける位のものなくては邂逅と言えないと自覚していた。

(鎌川さんは如何して居るのだろうか。あの人には教えられるところが多くあった。無期という出口がない暗渠に入りこんで仕舞った状態で、何があっても自分というものを見失わずに生きられる人だった。心筋梗塞という病気を抱えてあの寒い仙台の刑務所を務めるのは、さぞかし、大変な事である。生きて出て貰いたい。出てきたら、まず、最初に会いたい人だ。それに岸本龍雄氏だが、後一年で出る事が出来る筈だ。見識家でもあったが、一点の稚気がある所が良い。きっと出てきたら懐かしくなって、僕を訪ねて来るだろう)

 刑務所の中と違って、目まぐるしく変わって行く風景を眺めながら、感慨に浸っていると運転をしている静代が声をかけた。

「あなた。七時半には、大田原にあるセントアンドリュスに着くわ。アンドリュウスで、朝ご飯を食べてハーフでも好いからランドしましょうよ」

「それは願ってもない事だ。でも静代。ゴルフの道具がないではないか」

「ご心配ご無用、この日の為に前もってペリカン便で、アンドリュスに道具は送っておいたわよ」

 静代のやることは用意周到である。剛史が、何を考え何をしたいか、結婚して以来。考えぬ時は無かった。だから、現在の剛史の気持ちは、手に取るように解るのである。

「君は僕には良くできた妻だ。僕は君のような妻を持って誇りに思うよ」

「あなた。わたしは妻として、当たり前のことをしているだけです。改めて褒められると照れて仕舞うわ」

 軽くこぶしを握ると静代の額の部分を、こつんと、軽くたたいた。静代は、舌を僅かに覗かせて照れたような仕草をした。

 七時三十分に、大田原市にあるゴルフ場セントアンドリュウスに着いた。

 オープンしたばかりのクラブハウスに、入って行くと静代が、一般の客が入る場所とは別なコンペンションルームに案内をした。余り大きくない部屋の扉を開くとテーブルの上には、剛史の出所の為のお祝い料理が並んでいた。

 赤飯は元より鯛・その他、この様な洋式のゴルフ場では用意できないものばかりである。

 驚いた剛史の顔を見て頷き微笑んだ。

「今日はあなたが出所したお祝の記念の日よ。どのようなお料理を揃えたら良いか解らなかったから、率直にここのシェフに聞いて作ってもらったの」

「静代。本当にありがとう」

 鯛に箸をつけて、赤飯を口に入れひと通りの料理に、箸を付けた剛史は一言いった。

「美味しいなー静代。社会の料理がこれほど美味しいとは夢にも思わなかった」

「あなたが喜んでくれて幸福です。九時にスタートですからそれまでゆっくりしましょう」

 セントアンドリュウスの周囲の山々は、夏の日に照らされて夏山蒼翆にして滴る如しという形容がぴったりの様相を示していた。

 静代の気づかいでオールドコースだけをランドする予約を取っていた。

 オールドコースは、クラブハウスからモノレールに乗って五分位で、オールドコースのキャディマスター室の前に着いた。直ぐに、一番のティーグランドに歩いて行った剛史は、おもむろに、ドライバーを取り出すと思い切りドライバーを振った。ボールがどこへ飛んで行こうがお構いなしである刑務所でつもりに積もったうっぷんを払うが如く、ゴルフを良く知っている者とは思えないショットである。ボールはフックをして左の森の中に消えた。

「オービィーを出して、こんなに気持ちが良いとは、思わなかったよ」

「彼方もう一球いかがですか」

 ゴルフについては一寡言持っている剛史は、マリガンはしたことが無い。自分に厳しく人には優しくをモットーにしている。だが今日は、静代の言葉に甘えてもう一球打ってみたいと思った。今度は、ゆっくり大きくスイングをした。

 ボールは、フェアウエイど真ん中に落ちて転がって行った。

「グッドショット。あなた。飛距離が落ちていないわ。さすがだわ」

「サンキュウベリーマッチ」

 にこにこ笑いながら剛史が言ったので、静代は漸く剛史が、昔に様に闊達な気持ちに戻りつつあるのを感じた。

「あなた。わたしのティショットを見ていてね」

 静代は、基本に忠実なスタンスを取って、ドライバーを打ち下ろした。ボールは、剛史の帰りを喜んでいるように夏の青空に高く飛んで行った。

「静代。ベリーグットだよ」

「ありがとう。あなた」

 こうして、二番・三番・四番・五番・六番ホールまで来た。

 七番ホールを見た剛史は、感激した様子である。

「静代。見て見なさい。あの橋は、ゴルフの聖地セントアンドリョウスにあるオールド・ブリッチと同じだよ。よし、このホールは、スコットランドに行った気持ちで、精神統一をして真面目に、目いっぱいチャレンジしてみよう」

「あなた。やってみて」

 剛史は、ボールを飛ばしたいと思う時は、スイングをゆっくり大きく力を抜いて振りぬくようにしている。剛史がショットするとボールは、ストレートボールでオールド・ブリッチの前の池の手前で止まった。静代も負けずに、フエァウエイ真ん中にボールを飛ばしてきた。このホールは、セカンドが難しくできている。残る距離が剛史は、一三〇ヤード静代は、一六〇ヤードである。まず、剛史が九番アイアンでセカンドをショットした。ボールは高くあがりピン横二メートル程のグリーンに落ちた。次に静代がセカンドをショットした。得意な四番ウッドでショッとしたボールは、池を越えてグリーンの手前からピンの下四メートルに付いた。

 気分が良いからか、愛がそうさせるのか、二人は知らぬうちに手を繋いでグリーンに向かって歩いていた。

 静代は幸福感に浸っていた。剛史も幸福感に浸っていた。

(愛するあなた。漸く静代の所に帰ってきてくれたのね・・・)

(静代。苦労を掛けたね。僕はもう馬鹿な事は決してやらないと誓うよ・・・)

グリーンの近くに行くと、直ぐ傍の林で哭くのか、蝉しぐれが、二人の幸福を囃子たてる様に聞こえてきた。

                                      完

 

 

 

お わ り に

 

僕は恋愛経験が少ない。だから愛というものが、どういうものであるか、良く解らない。だが、この歳になると人生経験だけは人に負けない位に持っている。素晴らしいと思う夫婦愛をも見てきている。いやだなーと思う夫婦仲も見てきている。そのような、見聞をもとに、僕がこれこそは、夫婦の愛であるというものを見て書いたのが、この小説である。    人生の掃溜めと言われている刑務所で、自分の生き方を貫く大沼剛史とそれを支えている妻静代の思いやりある行動。この行動にこそ形は変われども、僕は、熟年夫婦の愛の究極があると考えている。いや。愛だけではない。生きて行く上で人としてなくてはならないものは、人を慮り人の気持ちになれるという事である。夫婦や恋人だけでなく周囲の人たちに人を慮る気持ちが敷衍(ふえん)したなら、平和で心優しい人が多く住む日本が出来る。世界が出来ると信じて止まない気持ちでいる。

     

平成二十四年 十月 九日

 

断腸花がようやく咲いた秋のたけなわ