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懐 柔

 

懲罰が終わっても剛史は工場に戻れなかった。剛史のように刑務所と闘争をする者が再度出てこない様に、細心の注意をしているのである。又、剛史に扇動でもされたら刑務所が混乱するとの危惧もあるのだ。

 告発は不起訴となり異議申し立ての期間は、刑務所と仙台地検の事前協議により異議申し立てを出来ない様に、仕組まれてしまったまま。未だ、舟木弁護士から事後策が見つかったという連絡は無かった。それに共闘していた鎌川が、手術は成功したのだが術後の経過があまり良くないようで病舎に入ったまま帰って来ない。

 舟木弁護士からの面会と鎌川が、病舎から還るのを剛史は首を長くして待っていた。

 刑務所では六十歳を過ぎると血液と胃カメラ・エコーの検査をする。病舎に連行されてゆく途中。病舎の運動で何人かの受刑者が歩いて行くのが見えた。鎌川でもいないかと目を凝らせてみていると鎌川の後ろ姿が見えた。

(少し痩せたようだが元気そうではないか・・・安心をした)

 医務課での検査では、胃は何でもないと言われ肝臓が、肝硬変末期であると診察された。

 剛史は、納得が出来なかった。

「肝硬変末期であるなら、肝臓に効く薬を出して貰いたい」

東北医大から派遣されている医師は、無碍(むげ)なく剛史の申し出を拒否した。それ以上言うと薬を強要した罪で懲罰の対象になるので口を噤んだ。

 納得がいかないまま、連行されて舎房に入り買い物袋の制作に没頭した。肝硬変末期とはどうもおかしい。きっと医師の見習いのような者だったから誤診だろうと考えて病気の事を考えるのを止めた。

 一時間くらい経った頃。いきなり扉を開錠する音が聞こえた。

「二一八〇番。看守長の面接だ。出て来い」

 独居舎房で意地悪で有名である藤田看守が、大声で周囲に聞こえる位の声を出した。

  独居舎房の取調室に行くと体の大きい柔道でもやっているような大男の看守長が椅子に座っていた。

 言いなれた番号氏名を言って椅子に座ると看守長は、剛史の体の事を聞いて来た。

「肝硬変末期と医務で聞いたが大丈夫か。早く工場に出て体を治すようにした方がいいのではないか」

「体を治すのにはどこでも出来ますよ。然し、治すための薬を出してくれないのでは、直しようがないではないか」

「まっ、本官は医師ではないから体の難しい事は解らないが、大事にしなくては駄目だ。処で君は、独居に入ってどの位になる。何時までも意地を張らないで、そろそろ出ても良いのではないか」

 自分達で独居に入れておいて今更、出ての良いではないかとは、余りにも刑務所は恣意(しい)的ではないかと思った。

「看守長。僕の刑期は後四年半です。だるま大師は、面壁九年僕は、それほど偉くないから達磨大師の半分の四年半で丁度良いと思っているのです」

頭の回転が悪いものばかりいる看守の中でも回転が良いのであろう。看守長は、大きく頷いた。

「独居から出たいと思ったら現在やっている事を止めてくれないか、そうすれば、何時でも本官宛に、願箋を堤出してくれれば直ぐにでも独居から出してやる」

 剛史はこの様な懐柔は、元より見抜いていた。だから看守長の吐く言葉が空々しく聞こえた。

 この頃から、昔から興味を持って時々、行っていた坐禅を毎日一時間ずつやり始めていた。半年近く看守以外は話が出来ない状態である。わざわざ、座らなくても自然に自己の心の中を覗いてしまう。臨済録や碧巌録・無門関は、難しくて良く解らないところがあるが、面白い。何度も何度も読み返していく内に、一〇分の一くらいは何を教えているのが解るようになってきた。

 朝の起床前に、窓を開けて畳んでは違反となる蒲団の上で坐禅をして腹式呼吸をしていると体内の汚れが全部出て行く気がした。

 日曜日の朝食が済んで暫くすると独房の掃除や洗濯物を回収したりする舎房掃夫が剛史の房の前に来た。舎房掃夫は、必要な言葉は、房内の者と交わしても良いのである。洗濯物をゆっくり回収しながら舎房掃夫は、小声で自己紹介をしてハト(不正に連絡する密書)を届けに来た事を伝えてきた。

「自分は、深谷市の八木田一家の若い者で佐野米蔵と言います。大沼さんの事は、官と闘っている偉い人だと聞いて地元の人がそのような事をしているのを知り誇りに思っているのです。俺は掃夫だからこの五舎の中ならどこまでも自由に動けます。何か用事がありましたら遠慮なく言い付けて下さい」

「ありがとう。地元の人に、そのような事を言われると元気が出てきます。用事が出来たら遠慮なくお願いをするのでその時は頼みます」

「解りました。ここの担当の藤田はあくどい奴ですから気を付けて下さい。このハトは、四工場の岸本龍雄さんからのものです。返事を出す時は、俺に行ってくれれば直ぐに、持って行きますから」

 社会では女性に持てるような優しい顔をしている佐野米蔵は、洗濯物を回収しながら剛史の房の前から去って行った。

(ヤクザと言うが好い人のようだ。それにしても故郷の人間に会うという事は、郷愁をかんじるものだな・・・)

 岸本龍雄からのハトを開くと体の事を心配した上で、この様な事が綴ってあった。

『大沼さん。元気ですか。彼方は現在、国家権力と闘っていますが、僕は、何も手助けする事が出来ず心を痛めているのです。宮城刑務所は、看守を含めて人生の掃溜めのような場所です。この様な場所に置いては、正義とは何であるかと疑問を持ってしまいます。刑務所は社会の縮図であると思います。だから僕は、国を愛する者として憂いているのです。この刑務所の中で理由もない看守に拠る暴力は、目に見える範囲のことですが、彼方が義憤を感じてやったことにより無くなりました。僕はどのような状況に置かれても男としての誇りを捨てずに、是非を貫く彼方の姿勢に感動すら覚えているのです。そんな彼方と社会に出て共に、天下国家を心配したいものですが、それは無理でしょうか。しかし、僕は、大沼さんと一緒に宮城に押送になってきて誇りを感じます。彼方は、あらまほしき人です。出所するまで健康でいてくれることを祈っております』

 刑務所のような特殊な社会で共に、生活をした者同士や拘置所から共に、押送になった者同士は、少しの間でも離れていて会うと誠に懐かしく思え、一種独特な紐帯が築かれる。この紐帯は強くその者同士が独房暮らしや病気になった時は、反則覚悟でハトを飛ばして励まし合うのである。

 岸本とは、押送も一緒なら新入訓練も一緒であった。なかなかの論客で好く物を知っていたので剛史とは新入訓練の時から気が合っていた。

 不起訴にして異議申し立てをする機を刑務所と検察庁で逸するように仕組んで、不審犯請求が出来なくなり、舟木弁護士は、未だ、別な方法が見つかっていない様子であるその上、反権力の狼煙を共に上げた鎌川は、心筋梗塞で倒れ、自分は、肝硬変末期であるというので再三、投薬を願い出ても投薬をしてくれないので、自分の死について毎日考えるようになった。

 殆どの宗教書は、チベット語の翻訳ものを読んだ。毎日坐禅をしての読書である。自分の心の奥底に、根ざすものを追及して行くと如何に自分が、愚かな人間であるということが解る。人が独人になった時。どれくらい無力であるか死にたくないという勝手な思いに捉われた。

そのような事を考えている内に、これが地獄であると気づいた。己の気持ちを地獄の底に落としてこそ禅の世界に一歩足を入れたと感じる事が出来た。後は地獄から抜け出すだけである。地獄から抜け出した精神世界の素晴らしさは想像できた。地獄に堕ちたと感じた時。形容するなら机の中の引き出しの中が、色々の者が混ざり合って何処に何があるか分からないような状態の精神が、整理が出来たような爽やかさを感じさせられた。

 このような境涯は、経験をしたことが無いので詩偈を吐いた。

天無窮にして万象を拒まず  (てんむきゅうにしてばんしょうをこばまず)

雲悠々として事物に拘ることなし(くもゆうゆうとしてじぶつにこだわることなし)

地豊穣にして万物を育成する(ちほうじょうにしてばんぶつをいくせいせいする)

水変化すれどもその性は変わらず(みずへんかすれどもそのさがはかわらず)

 

心の地獄を見た時の剛史の境涯であった。この様な生活を三年半も続けさせられた。今、独房に居る事が全く苦にならず「囹圄方丈宇宙を蔵す」(れいごほうじょううちゅうをぞうす)と言う気持ちになり独房生活を楽しんでいた。

 

“囹圄方丈宇宙を蔵す”とは、独房のような小さな部屋を、方丈即ち維摩居士の部屋に見立てこの小さな部屋の中にも大宇宙はある。と言う境涯を示したものである。

 

 

 

女 の 友 情  

 

静代は毎朝。五時に起きスニーカーを履いて近所の大沼湖畔のジョギングを始めた。朝靄が立つ大沼の湖面を眺めながら速歩に近いジョギングである。毎日毎日。大沼の周りを三周するのである。最初の内は、ジョギングを始めると胃が痛んで来た。それでも構わずにジョギングを続けていると痛みは知らぬ内に、感じなくなり、血液が全身を巡回してくるのが感じられるようになってくる。二周目が終わり三周目になるとアドレナリンが脳内から分泌されるのであるのか、胃の痛みは全くなくなり心地良くなってくる。

 塩野医師もこの様子では直ぐに良くなると太鼓判を押してくれた。

「それにしても静代さん。貴女の回復力は早く、目をみはる位良好です。この様子では、もう少しで、僕の所へ来なくてもよくなるでしょう」

「先生のお蔭です。剛史さんの為にも、わたしは、病気などしている暇はありません」

「ゴルフを一緒にラウンドしている時も大沼さんご夫妻の仲の良いのは、傍で見ていて何時も羨ましく感じて、玲と二人で家に帰り玲が『わたし達も大沼さんたちの様に仲良くやりましょうよ』とラウンドする度に言うのです」

 静代は、塩野医師が何時でも変わらない対応をしてくれて、剛史が刑務所に行っても今まで以上に、優しい言葉で励まし慰めてくれるので、この世知辛い世の中にあって人とのつきあいを大切にすることが出来る人は数少ないと実感した。

 

静代は、田安生命に今でも自宅待機のままで、契約を取っている。角田真理子を筆頭に、中村絹江・金井美子・佐野史江・小谷野歩その他の外交員も皆、仲よく切磋琢磨して、売上高を競いあっていた。

その結果。田安保険熊谷支店は、数ある支店中売上高トップになった。当然。支社長の鶴部猪吉は、自分が任されている熊谷支店が、全国に百二十五支店ある中の売り上げトップになったのだから鼻息が荒くなった。パンパンに張った腹を解きだして、営業部に入ってきた。

「支社長。ご苦労様です」

 全員で声をそろえて挨拶をした。

 猪吉支社長は、ご機嫌な顔をして外交部員が皆喜ぶようなことを言い始めた、

「この度は、待皆さんの努力の結果。田安保険全国百二十五支店ある中で売上高トップになりました。これも日頃の皆さんの努力と美貌の賜と信じるところです。この上は、より一層美貌に、よりをかけて努力をしてくれますことを心からお願い申します。当支店売上、五位の以上の者は、来月二十五日、田安生命保険本社に行き、本社社長自ら表彰を致しますので今から、二十五日は、全員出席が出来る様に、時間を空けておいてください。又、この度の売上高トップになりました記念に、ゴルフのコンペを催します。賞品などは、全部支店でご用意いたしますし参加費は入りません。どうか皆さん参加してくれますことをお願いいたします」

「支社長。努力は宜しいですが、美貌はあまりにもお世辞に聞こえます。わたしたちは美貌の持ち主だとは思っておりますが、二十年前のこと支社長は、調子がいいんだから・・・」

 真理子が支社長の言葉尻を捉えて返した言葉に、全員がクスクス笑った。

とにかく、田安生命熊谷支店の外交員同士は、角田真理子を先頭にやる気が出ているし、全員仲よくやっている。先口美千代が居なくなった事でこれ程、社内が宥和されるとは、真理子も静代も解らなかった。

 

 田安生命のゴルフコンペは、市内の「大麻生ゴルフコース」で朝八時の集合で開催された。静代もほとんど好くなった胃潰瘍の心配もなく前の夜に「江南ゴルフ練習場」に行き一〇〇球ばかり打って剛史が刑務所に行って以来。握っていなかったクラブを握り調整をした。ドライバーは調子が落ちていないようである真っすぐ飛んで距離も以前と変わらず出ている。一〇〇ヤード五〇ヤードのショウトアイアンが、実戦から離れているので微妙に、ずれている様な気がするので徹底して打ち込んだ。

 三〇分もしない内に汗だくになった。胃潰瘍の事などはすっかり忘れてゴルフのショットに没頭する事が出来た。実際、静代の体からは、潰瘍は消えていたのである。塩野医師が大事を取って、未だ、通院をさせているのである。

 ゴルフの練習場から家に帰った静代は、シャワーを浴びるとその晩は夢も見ないで眠る事が出来た。

 

翌日、午前八時から田安生命「蜜蜂会」のコンペは、来賓を含めて五十組二百名の大コンペとなった。クラブハウス前に集まった参加者の前にして、支社長である鶴部猪吉が、得意な冗句を交えて挨拶をしてコンペは直ぐに始まった。

静代の組は、アウトから三番目に、スタートをすることに成っている。同伴メンバーは、営業本部長の角田真理子始め中村絹江・佐野史江・小谷野歩の仲良し四人組である。

 ティーグランドの傍に、置いてあるスタート順位を決める四本のステンレスの棒を真理子が持ってきた。

「順番を決めましょう」

 静代の方に四本のステンレスの棒を差し出したので、引くと一番、即ち、オナーであった。

「あら、私がオナーだわ」

 二番目は史江・三番目は絹江・四番目は真理子であった。

 前の組が、セカンドショットを打つのを見計らって静代は、ティーグランドに、上がり目的方向を見定めるとティーアップしてアドレスに入った。静代のルーテンは、流れる様にスムースである・アドレスに立って、チェックする事は一舜の内にチェックして、ゆっくり大きくバックスイングをして、ダウンスイングに入りインパクトから一気に、ボールを叩いた。

「グット・ショット」

「凄いわね。二四〇ヤードくらいは飛んでいるでしょう」

 メキシコ以来。ゴルフから遠ざかっていたのに、静代のボールは曲がることなくストレートに、フェアウエイのど真ん中に飛んで行った。

 次にショットをする者は自然に力んでしまう。まして、静代より若いと自覚している史江である。素振りを五回ばかりしてティーグランドに立った。

 静代には史江の体が、固くなってしまっていることが解った。史江は、身長があるので力では負けないつもりであるようだ、しかし、ゴルフは力ではない。

 史江は、力任せにショットした静代がアッと思った時は、スライスをして右の森の中に消えた。典型的なアウトインのスイングである。

「力の入れ過ぎよ」

 がっかりしている史江に真理子は微笑んで言った。

次は絹江である。絹江は冷静そうな顔をして慎重にアドレスに入った。ゆっくりバックスイングをすると腰始動でダウンスイングに入った。静代にはインサイドからダウンスイングが下りてきているように見えた。案の定.インサイドアウトにクラブは振られて、見事なドローボールであったが、フェアウエイの真ん中に落ちてドローの為に。ランがあってので、左側の深いラフに転がり込んだ。

「ベリーグット」

「サンキュウ」

ゴルフ慣れをして息の合ったやり取である。絹江は相当ゴルフをやるのではないかと静代は思った。

真理子は、ゴルフをやる機会が一番多いだから、ゆとりを持ってアドレスに入ると外連無くドライバーを振った。フエード系のボールは、静代より十五ヤード先のフェアウエイの右側に落ちた。

三人の同伴者は、プロ並みの飛距離を持っている真理子のショットに、感嘆の声を上げた。

「凄いわ―如何したらあんなに飛ぶの・・・」

真理子は、三人に向ってウインクをすると歩き出した。

田安保険の「蜜蜂会」のコンペは、こうして行われ時間の過ぎるのも忘れさせて終わった。新ペリア方式で計算されたスコアを元に、優勝者は静代であった。グロスの優勝者は真理子であった。静代は新ペリア方式の優勝者として、カップと夏物の男子用スーツ生地一着分を賞品として受け取った。色合いが、グレー系統なので、剛史が出所する時に今から仕立て、出所する時に着て貰おうと考えていた。