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胃 潰 瘍

 

剛史から手紙が来て現在、取り調べの為に、独房に入れられていると書いて来た。理由は、隣の役席にいる深谷市に本拠があるやくざの一家の若い者が、風邪をひいて四十度からの熱が出ているのに、刑務所側が放置していたので自分で持っていた風薬のアスピリンを無断でやった事で取り調べ中であるという。

この件では、取り調べに最低二十日、懲罰は、やはり二十日は打たれるだろう従って、この手紙が届いてから三十五日は面会が出来ないだろうと書いてきているので静代は、手紙が届いた日、一月三十一日から三十五日目にあたる三月七日に、仙台にある宮城刑務所に面会に行った。

面会で見る剛史は、大分痩せていた。

「あなたどこかお加減でも悪いの、少し痩せたのではないでしょうか」

「うん。別に体の悪い所は無い。少し運動不足のようだな。心配する事は無い」

「でも、あなたは、何事も真剣になりやりはじめると、後を振り向かない人だからここの看守さんたちに憎まれてはいないかと心配しているの」

 刑務所権力と闘っている事を静代には、一言も話していないし手紙にも書いていない。長年の夫婦であるので解っているのではないかと思ってしまう。

 実際。静代には剛史が、眼に見えない敵と闘っているように思えた。きっとこの中にも理不尽な事や非人間的な事が多くあるのではないかと考えていた。

「それより君の方が痩せたように見えるが、体でも悪いのか」

「わたしは元気よ。毎日あなたと散歩をした大沼の畔を二周ずつ歩いているの、今は、鴨がたくさん来て大沼も騒がしいわよ」

「懐かしいなー静代僕が、出所したら社会にいた時のように、二人で毎日散歩をしようよ」

「わたし楽しみにしているわ。そうそう、今年は如何した事か、鴨が何時もの倍は来ているの」

「何故だろうな。静代よくパンを持って行って鴨にやったな」

「あなたとの思い出は沢山ありますが、メキシコへ行ったことも忘れる事が出来ない思い出ですが、あなたの会社が、お休みの時ゴルフに行かない限り、必ず大沼の畔を散歩しました。あの思い出が、わたしには懐かしくて堪らないの。人間というものは、些細な事であるけど小さな事でも思い出しては、幸福感を味わう事が出来るのね。家に帰る事が出来たら又、大沼の畔を一緒に散歩してください」

「好いだろう。君と大沼の畔を散歩する姿を思い浮かべて、ここの理不尽と闘って行くよ」

 話してしまって剛史は、はっとした。ここで刑務所と闘っている事は、静代には話をしないと決めていたのである。

「何か大変な事をやっているのね。止めて下さい。わたしは、あなたの正義感の強い所は好きです。でも、ここへ来た原因も正義感からできてしまった事です。もしこの中で正義を振り回したりすると一徹なあなただけに,出所する事が出来なくなるのではと心配です」

「僕は、何時何処でも、どんな立場にあっても、自分で信じた道は、信念を持って歩むと決めて生きてきた。それを知らない君でも無いじゃないか」

 これ以上。剛史と話をしても、一度言い出したら梃子でも動かない性格を知っているだけに、剛史が今、刑務所側と闘っているという事を知っただけで良いと思って静代は、話題を逸らせた。

「今年は埼玉でも雪が多くて近所の農家の人たちは困っているの、去年辺りから気候が異常になってきたようね」

「太陽系の星が、惑星直列に入ってしまっているから、太陽の働きが、通常より強まっているからだろう。大自然の運行は、誰にも換えることは出来ない。換える事が出来るという者は、似非宗教家、霊媒師・易占師・若しくは、天を冒瀆している馬鹿者だけだ」

「わたしは、難しい事は解らないですが、日本の国は、四季があり四季折々の移り変わりにより変化して行く様子が、日本人として自慢なの、ほらあったでしょう。道元禅師でしたか『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり』 この様な気持ちで一年を暮したいのだから、気候の変化に敏感にならざるを得ないわ。特に、冬の雪など降り続けているとあなたが寒さに、苛まされているのではないかと、心配で仕方が無いの、仙台は雪が多いのでしょう」

「僕は寒さに強いから大丈夫だよ。僕のことは心配しないで良い」

 面会の終わり時間が近くなったようなので静代は、さりげなく言った。

「わたしは、健康であるし心配しないでね。あなたも無理をしないでお務めをして頂戴。水の流れのように『岩もあり 木の根もあれど さらさらと 唯さらさらと 水の流れる』良い歌ですわね」

 静代が、何を言おうとしているか、良く解っていた。

(心配を掛けると思うが、已むに已まれない状態になっているのだよ・・・)

 

面会を終えて新幹線の窓から眺められる東北の景色は、何処を見ても白一色で次から次へと白い雪が目に映り雪の世界に吸い込まれてゆくような錯覚に陥った。

(此の儘、雪の世界に落ちて行くのかしら・・・)

 

  剛史の面会から三日経った。静代は、食事が喉を通らなくなって、胃がきりきり痛む、食生活は通常と変わらない生活をしている。如何したのだろうと思い。市販の胃薬を飲んでみたが胃の痛みは変わらない。仕方が無いので同級生の夫が医師をしている深谷市の小島クリニックに行き塩野医師に相談をした。塩野医師はストレスによる胃炎。若しくは、潰瘍でもできたのではないかと診察してくれた。

「一度。胃カメラの検査をする必要がありますな。君。今度の検査日は、何時になっていますか」

 塩野医師は傍に付いていた女性の看護師に聞いた。

「先生。来週の火曜日です」

 五十歳位の経験豊富である様な看護師が応えた。

「来週の火曜日の午前十時までに来てください。胃カメラを見て僕が判断をします。取り敢えず、胃が痛まないような薬を出しておきますから、決められて時間に飲んでください」

「先生。本当にありがとうございます。それでは、宜しくお願い致します」

 剛史と共に友人ともいえる静代に、改まってお礼を言われると、塩野医師も照れて仕舞い苦笑いをした。

 薬を飲むと胃の痛みは一時的には和らぐが、剛史が、刑務所の中で、持って生まれてきた正義感を発揮して孤立でもしていると思うと静代の胃は、きりきり痛んだ。歯を食いしばって我慢をしていると剛史が刑務所に行っている間に起きた嫌な事が、次から次に思い出されてきた。

 田安保険の方は未だ、自宅待機の状態で仕事をしていたので、気分転換を図る為に、家を出て大沼の畔を散歩してみた。散歩をしながら大沼に、悠然と泳いでいる鴨達をぼんやりと眺めているといつの間にか胃の痛みは忘れてしまう。静代は、自分の病気はストレスに拠る物である事が自覚できた。

 

 胃カメラの検査の日が来た。午前十時までに小島クリニックに行くと直ぐに、胃カメラの撮影をする為の部屋に通された。ベッドに横になり口の中に、スプーレ式のキシロカインという痛み止めを撒かれた。十分もしない内に口の中が麻痺してきた。

「大沼さん。口の中が痺れていますか」

 胃カメラの専門であると思われる看護師が静代に聞いた。

「はい」

「それでは、胃カメラを口の中から入れますので、少しでも、痛いと感じたら手を挙げて下さい」

看護師は、静代の胃の中を入念に撮影した。十分位。胃の中に異常がないかを見て少しでも疑わしい場所があれば、カメラのシャッターの音をさせて撮影をしていた。

「これで胃カメラの撮影は終わります。後は、この写真を見て先生が判断をしますから、診察室の方へ行ってください」

 診察室に行き塩野医師の前に座ると塩野医師は、撮影された胃の中のフイルムを見ながら頷きながら診断をした。

「静代さん。貴女は、何に神経使っているのですか。これは明らかに神経性胃潰瘍です。このまま放置しておけば癌になってしまう。幸いにして今は、胃潰瘍に効果が非常にある新薬が開発されている。僕が処方するから、隣の薬局で貰って行き指定された処方通り飲んでください」

「承知いたしました。先生。お手数をお掛けいたしますが、宜しくお願い致します」

「お願いいたしますも何もないじゃないか、貴女の御主人と僕。貴女と僕の妻の玲は、ゴルフまで一緒にやる仲間ではありませんか。貴女の病気は僕がいる以上、絶対に大丈夫だから心配はしないで、僕が言った通りの薬を飲み続けてください」

 小島クリニックを出て車の運転をして家に向う時、静代は、何か気分転換になることをしなければと考えていた。

 車のウィンドウ越しに見える、深谷市の工場団地の中の産業廃棄物の会社の煙突から異臭が流れていた。

(現実の社会は、汚れた物も綺麗な物を内包して動いているのね。清濁併せ飲む気持ちで生活をしてゆかないときっと、ストレスで胃癌になってしまうかも知れない・・・)

 

 

 

懐 柔

 

懲罰が終わっても剛史は工場に戻れなかった。剛史のように刑務所と闘争をする者が再度出てこない様に、細心の注意をしているのである。又、剛史に扇動でもされたら刑務所が混乱するとの危惧もあるのだ。

 告発は不起訴となり異議申し立ての期間は、刑務所と仙台地検の事前協議により異議申し立てを出来ない様に、仕組まれてしまったまま。未だ、舟木弁護士から事後策が見つかったという連絡は無かった。それに共闘していた鎌川が、手術は成功したのだが術後の経過があまり良くないようで病舎に入ったまま帰って来ない。

 舟木弁護士からの面会と鎌川が、病舎から還るのを剛史は首を長くして待っていた。

 刑務所では六十歳を過ぎると血液と胃カメラ・エコーの検査をする。病舎に連行されてゆく途中。病舎の運動で何人かの受刑者が歩いて行くのが見えた。鎌川でもいないかと目を凝らせてみていると鎌川の後ろ姿が見えた。

(少し痩せたようだが元気そうではないか・・・安心をした)

 医務課での検査では、胃は何でもないと言われ肝臓が、肝硬変末期であると診察された。

 剛史は、納得が出来なかった。

「肝硬変末期であるなら、肝臓に効く薬を出して貰いたい」

東北医大から派遣されている医師は、無碍(むげ)なく剛史の申し出を拒否した。それ以上言うと薬を強要した罪で懲罰の対象になるので口を噤んだ。

 納得がいかないまま、連行されて舎房に入り買い物袋の制作に没頭した。肝硬変末期とはどうもおかしい。きっと医師の見習いのような者だったから誤診だろうと考えて病気の事を考えるのを止めた。

 一時間くらい経った頃。いきなり扉を開錠する音が聞こえた。

「二一八〇番。看守長の面接だ。出て来い」

 独居舎房で意地悪で有名である藤田看守が、大声で周囲に聞こえる位の声を出した。

  独居舎房の取調室に行くと体の大きい柔道でもやっているような大男の看守長が椅子に座っていた。

 言いなれた番号氏名を言って椅子に座ると看守長は、剛史の体の事を聞いて来た。

「肝硬変末期と医務で聞いたが大丈夫か。早く工場に出て体を治すようにした方がいいのではないか」

「体を治すのにはどこでも出来ますよ。然し、治すための薬を出してくれないのでは、直しようがないではないか」

「まっ、本官は医師ではないから体の難しい事は解らないが、大事にしなくては駄目だ。処で君は、独居に入ってどの位になる。何時までも意地を張らないで、そろそろ出ても良いのではないか」

 自分達で独居に入れておいて今更、出ての良いではないかとは、余りにも刑務所は恣意(しい)的ではないかと思った。

「看守長。僕の刑期は後四年半です。だるま大師は、面壁九年僕は、それほど偉くないから達磨大師の半分の四年半で丁度良いと思っているのです」

頭の回転が悪いものばかりいる看守の中でも回転が良いのであろう。看守長は、大きく頷いた。

「独居から出たいと思ったら現在やっている事を止めてくれないか、そうすれば、何時でも本官宛に、願箋を堤出してくれれば直ぐにでも独居から出してやる」

 剛史はこの様な懐柔は、元より見抜いていた。だから看守長の吐く言葉が空々しく聞こえた。

 この頃から、昔から興味を持って時々、行っていた坐禅を毎日一時間ずつやり始めていた。半年近く看守以外は話が出来ない状態である。わざわざ、座らなくても自然に自己の心の中を覗いてしまう。臨済録や碧巌録・無門関は、難しくて良く解らないところがあるが、面白い。何度も何度も読み返していく内に、一〇分の一くらいは何を教えているのが解るようになってきた。

 朝の起床前に、窓を開けて畳んでは違反となる蒲団の上で坐禅をして腹式呼吸をしていると体内の汚れが全部出て行く気がした。

 日曜日の朝食が済んで暫くすると独房の掃除や洗濯物を回収したりする舎房掃夫が剛史の房の前に来た。舎房掃夫は、必要な言葉は、房内の者と交わしても良いのである。洗濯物をゆっくり回収しながら舎房掃夫は、小声で自己紹介をしてハト(不正に連絡する密書)を届けに来た事を伝えてきた。

「自分は、深谷市の八木田一家の若い者で佐野米蔵と言います。大沼さんの事は、官と闘っている偉い人だと聞いて地元の人がそのような事をしているのを知り誇りに思っているのです。俺は掃夫だからこの五舎の中ならどこまでも自由に動けます。何か用事がありましたら遠慮なく言い付けて下さい」

「ありがとう。地元の人に、そのような事を言われると元気が出てきます。用事が出来たら遠慮なくお願いをするのでその時は頼みます」

「解りました。ここの担当の藤田はあくどい奴ですから気を付けて下さい。このハトは、四工場の岸本龍雄さんからのものです。返事を出す時は、俺に行ってくれれば直ぐに、持って行きますから」

 社会では女性に持てるような優しい顔をしている佐野米蔵は、洗濯物を回収しながら剛史の房の前から去って行った。

(ヤクザと言うが好い人のようだ。それにしても故郷の人間に会うという事は、郷愁をかんじるものだな・・・)

 岸本龍雄からのハトを開くと体の事を心配した上で、この様な事が綴ってあった。

『大沼さん。元気ですか。彼方は現在、国家権力と闘っていますが、僕は、何も手助けする事が出来ず心を痛めているのです。宮城刑務所は、看守を含めて人生の掃溜めのような場所です。この様な場所に置いては、正義とは何であるかと疑問を持ってしまいます。刑務所は社会の縮図であると思います。だから僕は、国を愛する者として憂いているのです。この刑務所の中で理由もない看守に拠る暴力は、目に見える範囲のことですが、彼方が義憤を感じてやったことにより無くなりました。僕はどのような状況に置かれても男としての誇りを捨てずに、是非を貫く彼方の姿勢に感動すら覚えているのです。そんな彼方と社会に出て共に、天下国家を心配したいものですが、それは無理でしょうか。しかし、僕は、大沼さんと一緒に宮城に押送になってきて誇りを感じます。彼方は、あらまほしき人です。出所するまで健康でいてくれることを祈っております』

 刑務所のような特殊な社会で共に、生活をした者同士や拘置所から共に、押送になった者同士は、少しの間でも離れていて会うと誠に懐かしく思え、一種独特な紐帯が築かれる。この紐帯は強くその者同士が独房暮らしや病気になった時は、反則覚悟でハトを飛ばして励まし合うのである。

 岸本とは、押送も一緒なら新入訓練も一緒であった。なかなかの論客で好く物を知っていたので剛史とは新入訓練の時から気が合っていた。

 不起訴にして異議申し立てをする機を刑務所と検察庁で逸するように仕組んで、不審犯請求が出来なくなり、舟木弁護士は、未だ、別な方法が見つかっていない様子であるその上、反権力の狼煙を共に上げた鎌川は、心筋梗塞で倒れ、自分は、肝硬変末期であるというので再三、投薬を願い出ても投薬をしてくれないので、自分の死について毎日考えるようになった。

 殆どの宗教書は、チベット語の翻訳ものを読んだ。毎日坐禅をしての読書である。自分の心の奥底に、根ざすものを追及して行くと如何に自分が、愚かな人間であるということが解る。人が独人になった時。どれくらい無力であるか死にたくないという勝手な思いに捉われた。

そのような事を考えている内に、これが地獄であると気づいた。己の気持ちを地獄の底に落としてこそ禅の世界に一歩足を入れたと感じる事が出来た。後は地獄から抜け出すだけである。地獄から抜け出した精神世界の素晴らしさは想像できた。地獄に堕ちたと感じた時。形容するなら机の中の引き出しの中が、色々の者が混ざり合って何処に何があるか分からないような状態の精神が、整理が出来たような爽やかさを感じさせられた。

 このような境涯は、経験をしたことが無いので詩偈を吐いた。

天無窮にして万象を拒まず  (てんむきゅうにしてばんしょうをこばまず)

雲悠々として事物に拘ることなし(くもゆうゆうとしてじぶつにこだわることなし)

地豊穣にして万物を育成する(ちほうじょうにしてばんぶつをいくせいせいする)

水変化すれどもその性は変わらず(みずへんかすれどもそのさがはかわらず)

 

心の地獄を見た時の剛史の境涯であった。この様な生活を三年半も続けさせられた。今、独房に居る事が全く苦にならず「囹圄方丈宇宙を蔵す」(れいごほうじょううちゅうをぞうす)と言う気持ちになり独房生活を楽しんでいた。

 

“囹圄方丈宇宙を蔵す”とは、独房のような小さな部屋を、方丈即ち維摩居士の部屋に見立てこの小さな部屋の中にも大宇宙はある。と言う境涯を示したものである。