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吟味のため十カ月の間、江戸小伝馬町の三間牢に入っていた栄五郎が、佐渡に送られてきたのは、遅咲きの越後の桜の花びらが、風に舞う時季であった。

 佐渡カ島の中北部に金北山(一一七二メートル)がある。南面の山裾の平地に間口三間(五・四メートル)奥行十間(一八メートル)の小屋が四棟と、流人を監視する役人の駐在するための小屋が一棟建てられていた。小屋は右から一番・二番・三番・四番小屋と呼ばれて、小屋頭、世話役、棒頭の三役と五十人の流人が、それぞれ収容されていた。

 佐渡金山奉行所に着いた栄五郎は、奉行所の役人に護送されて、監視の役人に身柄を渡されると一番小屋に連れていかれた。役人が小屋頭を呼ぶと、小屋頭の弥七は小屋の戸口に出て来た。

(あれは香具屋の弥七さんじゃねぇか?)

「おお、大前田の俺だよ。館林の香具屋弥七だよ。五年前あんたと須永の釜三郎さんの兄弟分の盃で、見届人を務めさせていたゞいたぜ」

 栄五郎と釜三郎の兄弟分の盃式に列席してくれた時は、色白で面長な面持をして、商家の若旦那然としていた弥七は、金掘りで鍛え上げられた躰の胸を反せて、赤銅色に日焼けした顔に、白い歯を見せて笑った。

「おう。香具屋の弥七さんじゃねぇか。こんな所で会うたぁ奇遇だぜ。鳥も通わぬ佐渡カ島で、上州の人に会えるたぁうれしいぜ」

 久し振りの上州訛りに、流人初日の緊張から解かれた栄五郎は、弥七の傍に寄り、その手を強く把った。

 香具屋弥七は歴とした博徒である。野師のことを香具屋(やし)とも書くので野師と思われがちであるが、弥七の父親が薫物(たきもの)である沈香・丁子・白檀・じゃ香などの香を売る者であったことに、由来しての香具屋である。

 後年、三河国の相撲取り獅子ヶ嶽が、相手をあやまって投げ殺して、国を売った時、栄五郎の口利きでこの香具屋弥七に預けるのである。江戸屋虎五郎である。

「聞いているぜ、大前田の。小伝馬町の牢内で名主を畳の上から、投げ飛ばしたってなぁ。いい気分だぜ」

 当時の小伝馬町の牢獄は、一つの牢ごとに牢名主がいて、牢内を支配していた。牢名主は牢屋同心に拠って選ばれ、名主を補佐する牢内の役付きは、名主が指名して、牢内を上座・中座・下座・小座の四階級に分けていた。上座は名主・一番役・二番役であり、中座は三番役・四番役・五番役で、一番役は台所頭として食事一切を司り、二番役は外部(役人)との交渉を担当し、三番役は囚人の着物、その他一切の物品の監視役、四番役は新入りを指図する役、五番役は食事及朝夕の寝起きを取り締る役である。下座は本役、本役助、詰の本役、助、五器、口役、親方帳代、頭役で一般の日常事務を取り扱い、詰の本役は厠の取締役、助は補佐である。小座は半囚人であるが、半囚人でも外からの牢見舞の多少や有無で待遇も区別された。特に入牢する際に「つる金」を隠し持ってきた者は、優遇された。まさに「地獄の沙汰も金次第」とは、小伝馬町の牢内のことを指しているのである。

 古参の囚人が怨みのあった者や名主や役付の囚人の意にそぐわない囚人は、躊躇なく密殺されていた。

 不条理な虐めや殺人は、日常茶飯事である。地獄の一丁目である。

 栄五郎は旅をしていた頃、小伝馬町牢内の惨状は、入牢経験のある旅人に聞かされ、密かに心を痛めていた。

 小伝馬町の牢内に入って直ぐ、四番役が「つるは持ってきたか?」と口を開くのと同時に、畳を二十枚以上重ねて、傲然として座っている牢名主の所へ駆け上り、牢名主を掴えて頭上に持ち上げ、床に叩き付けて「俺のつるはこれだ!」と栄五郎は、見得を切り、一番役、二番役、三番役が跳び掛ってくると、難無く叩きのめして、気を失わせてしまったのである。

 従って、栄五郎の佐渡カ島流罪が決まるまでの十カ月、小伝馬町三間牢では、残酷な私刑や殺人は一度も無かった。この事実が、先に小伝馬町から佐渡に送られた者より伝えられていたのである。

 ちょっと照れたような面持をして、栄五郎は応えた。

「香具屋さん。あんたもそうだろう。俺らぁ弱い者を虐める奴を見ると、虫唾(むしず)が走り、黙っちゃいられねぇんだよ」

 弥七は吐きすてるように言った。

「小伝馬町の牢内の惨状は、お上は知っていて知らねぇふり。むしろ唆(そそのか)しているだろうぜ。人を人として扱わねぇこの時世は、長くはねぇだろう」

 弥七の言葉に頷きながら栄五郎は訊ねた。

「佐渡ではそんなことはねぇだろうな?香具屋の」

「俺が部屋頭をしている一番小屋に限り、そんなことは絶対ねぇよ。他の小屋のことは判らねぇぜ」

 その時、小屋の戸が開けられて、丸顔で眉が濃く獅子鼻をした小太りの男が入って来た。よく見ると人懐こい眼をしている。男に気付いた弥七は手招きをして男を傍に呼んだ。

「大前田のこの男は、俺の小屋で世話役をしている甲州境村の天野山蔵さんですよ」

 紹介された山蔵は嬉しそうな面持をして、目尻を崩した。

「大前田の貸元のことは、小伝馬町から先に島に来た者から、伺っています。お会いできて光栄です」

「上州勢多郡は大前田の栄五郎です。今日向お見知り置れまして、行末万事御引立の程をお願い奉ります」

 栄五郎は渡世人態(てい)の挨拶をした。

「此方こそ、宜しく御引立の程お願い奉ります」

 山蔵は栄五郎の真似をして、渡世人態の挨拶をしたので、栄五郎と弥七は顔を見合せて微笑んだ。

「部屋頭。大前田の貸元に、棒頭を紹介したいのですが」

「おう、おう。すぐに連れてきてくんな」

 山蔵が連れてきたのは、薹(とう)の立った猿の親玉のような顔をした大男で、国三という男であった。

 こうして、栄五郎の金掘り人夫としての、流人生活が始まった。

 半年後、坑道の落盤事故があり、四番小屋の人夫が三人死んだ。数日して、風邪を拗(こじ)らせたのか四番小屋の人夫が一人死んだ。しばらくすると四番小屋の人夫二人が、又落盤事故で死んだ。

 四番小屋で短期間に六人の死人を出したので、栄五郎、弥七、山蔵、国三は額(ひたい)を集め相談をした。

「四番小屋で逝った者には悪いが、俺達の小屋からは絶対に、死人を出してはならねぇ、皆んな十分注意をして、小屋の者達を見守ってくんな」

 弥七は神妙な面持をして言った。

「それにしても、こんな短い間に六人も死ぬとは、只事じゃねえぜ。何か訳があるんじゃねえか?山蔵さんと国三さん、何か耳にしていることはねえかい?」

 それぞれ思案の面持をしていたが、国三が何かを思い付いて膝を打った。

「実は五日前、四番小屋の丑松が家の小屋に移りたい。小屋頭に頼んでくれと言うので、訳でもあるのかと訊いたら黙っているんで、小屋頭に話さねぇでおきやした」

 国三は目をしばたたき、小鼻を膨らませて、栄五郎、弥七、山蔵の顔を見回した。

「国三さん。丑松に会って小屋を移りたい訳を訊いてくんな。弥七さん。丑松を一番小屋に移すことは、できますかね?」

「役人と総名主の徳右ヱ門さんに掛け合えば、何んとかなるでしょう。いや、絶対に何んとかしなけりゃならねぇ」

 弥七は己れに言い聞かせるように、栄五郎に応えた。

「聞いた通りだ国三さん。小屋を移すことを約束して、丑松に詳しい話を聞いてきてくんな」

 栄五郎に肯いて、国三はのっそりと、小屋を出て行った。

 佐渡の金掘り人夫である流人に対して、金山奉行所は、一日当り一人三合の米と香の物・鰺・鰯の干物等の食料品を、十日毎に支給していた。各小屋五十人分ずつである。例え小屋の者が落盤事故で死亡して、四十一人に減っても五十人分の食料品は支給され、四十人になって初めて、四十人分に減少されるのである。これに目を付けたのが、四番小屋の小屋頭の市五郎、世話役の隆吉、棒頭の記蔵である。落盤を装っての殺人、病人に薬は飲ませず、休ませず酷使して死亡させる間引きである。短期間に六人を殺して間引いた市五郎達は、一日一人当り三合の米の六人分、一升八合それの十日分一斗八升を掠めて、監視の役人を抱き込み、金に換えさせて、折半していたのである。

 国三が訊いてきた事実を知り、栄五郎、弥七、山蔵は、それぞれに市五郎達の非道に対して、抑えることのできぬ憤りを感じた。

「せこい野郎達だ。流人仲間を殺して、食い扶持を掠るとは、市五郎、隆吉、記蔵は勘弁ならねぇ」

 弥七は腹の底から湧き上る怒りに、堪え難いように眉頭を寄せた。

「悪い野郎は成敗するに如かずだ。三人纏めて殺ってしまおうぜ」

 栄五郎は不敵な嗤いを浮べ弥七を見ると、弥七は首肯して嗤った。

 二日後、四番小屋に顔を出した山蔵は、市五郎、隆吉、記蔵達の前で、鞣(なめ)し皮の袋に入っている金の粒を取り出して見せた。

 欲の深い三人は驚いて、目を瞠(みは)り山蔵に頼んだ。

「何処にそれは在ったのだよ?教えてくれ山蔵さん」

 山蔵は三人を翻弄した。

「そう簡単には教えられねぇよ。見付けるのに苦労したんだ。お陰でまだあることだけは判ったから、ご赦免になるまで、じっくり溜めるつもりだ」

 三人の反応を確かめるように、微笑みながら山蔵は、金の粒を皮袋に仕舞った。

「なあ、山蔵さん。頼むから、何処に在るのか教えてくれ、お願いだ」

 両手を合せて、山蔵を拝むようにして、市五郎は懇願した。

「………」

 間を置いて山蔵は、三人を焦らした。

「判ったよ、市五郎さん。棒頭の国三と相談して、三日後に返事するよ」

 欲たかりを前にして、笑いたくなるのを我慢して、山蔵は四番小屋を立ち去った。

「記蔵、おめえは棒頭同士で、国三と親しいのだろう。あの野郎は少し抜けているから、煽てゝその気にすりゃあ金の出場所を教えるだろう」

「へい、判りやした。早速、国三に会って訊いてきますぜ」

 翌日国三に案内されて、廃坑に入った市五郎、隆吉、記蔵は、落盤に因り、岩に押し潰されて、無惨な死体を曝した。

 

 五カ月後、小屋頭をしていた上州館林の香具屋弥七は放免された。栄五郎は、胸に穴が開けられたような、寂寥感に捕われたが、金掘り作業に没頭した。

 栄五郎が佐渡へ流されて二年目の冬。頑強な躰をしている山蔵が、風邪を拗らせて肺炎になり、寝込んでしまった。高熱で真赤になった顔をして、声も絶え絶えに山蔵は栄五郎に、縋り付くような眼をした。

「貸元。俺はもう駄目だ。じきに死じまうよ。俺が死んだら俺の髷(まげ)とこの短刀を、甲州境村にいる弟の天野海蔵に届けて下さい。海蔵には俺の島でのことを、話してやっておくんなせい。お願いだ………」

 蒲団の下から一振の短刀を取り出して、栄五郎に渡すと山蔵は息絶えた。

 山蔵の屈託ない笑顔と、律儀な性格を愛した栄五郎は悲しかった。男泣きに泣きたいのを堪えていると、躰の奥底で慟哭している己れを感じた。

 泣くに泣けない漢に殉じていると、国三が大声を上げて泣き始めた。人相は悪いが、人一倍感情の起伏が激しく、優しい男である。

 不幸は人間の思惑は一切無視をして、連続に訪れるものである。山蔵の四十九日も過ぎぬうち、父親久五郎の死の報せが、兄の要吉から栄五郎の元に届いた。

 弥七との別れ、山蔵の病没、父親久五郎の死、愛別離苦の悲しみと無常感に嘖まれた栄五郎は、島抜けを決心した。

 佐渡の山々に若葉が芽吹く頃、栄五郎は島抜けを決行した。佐渡に流罪となり、まる二年目の春で、栄五郎は二十七歳になっていた。

 甲州郡内境村に永役名主天野海蔵という男がいた。海蔵は甲州郡内内谷村の特産甲斐絹を押えるかたわら、駿河国沼津に廻船業、江戸に薪炭業の出店をして、百姓身分でありながら、豪商でもあった。代官江川英龍の手先となり、間宮の久八を使って、江戸湾台場の築造に貢献した。間宮の久八は、台場築造を行ったことから、大場の久八と言われるようになったのである。

 栄五郎が山蔵の遺髪と短刀を届けた時は、海蔵は弱冠十四歳の少年であった。

 栄五郎が山蔵の島での生活振りや今わの際の様子を報せると、海蔵は利発そうな眼に涙を溢れさせ、いとおしそうに遺髪を擦った。

 兄弟の情の深さを、垣間見た栄五郎は、故郷の大前田にいる兄の要吉を、思い出さずにはいられなかった。

(兄貴、俺は生きているぜ………)

「何時までも、わたしの家に滞在して下さい。そして島の疲れを癒してもらいましょう。わたしの屋敷にいる以上、役人には手を出させませんから安心して下さい」

 毅然とした態度できっぱりと海蔵は言い切った。

 父親が死んだため、既に家督を継いでいた海蔵は後に、竹居の安五郎、間宮の久八、丹波屋善兵衛達を後見した侠気ある人物に成長するのであるが、十四歳にして、侠気ある豪商の片鱗をのぞかせていた。

 瞬く間に一カ月が経った。栄五郎の傍には、大前田から子分の月田の栄次が来ていた。居心地が好いだけに、これ以上甘えてはならぬと考えた栄五郎は、旅に出る覚悟をした。島抜けの大罪を犯した身である。関八州には身の置き処はない。思案を巡らせた結果、大坂に行くことに決めて、海蔵に告げた。

「親分、大坂は駄目です。幕府の直轄領だから、江戸や関八州と同じで、島抜けの身には危険です」

「そうですか。それじゃ京都も駄目ですね?」

「当然です。それより尾張はどうでしょうか?尾張は徳川御三家筆頭です。おいそれと幕府も内政干渉はできないし、独立自尊の家風です」

「判りました。尾張に行きましょう。処で尾張には、何んという貸元がいるか、知っていたら教えておくんなさい」

「武居の安五郎が言ってました。春日井郡の瀬戸に吉五郎という人が一家を構えていて、名古屋城下にも賭場を幾つも持っているとのことです」

「瀬戸一家の吉五郎さん…ですね」

 二日後、海蔵との名残りを惜しんで、栄五郎は栄次を連れて、尾張に向った。

(天野海蔵、若いのに良くできたお人だ。何になるとしても、後生おそるべしと言えるであろう)

 

瀬戸一家に草鞋を脱いだ栄五郎は、近在の賭場を渡り歩いて、博徒としての勘を取り戻していた。関東取締出役の警察権の及ばぬ尾張の領内で、栄五郎は島抜けをして以来、漸く心の安寧を得た。貸元の吉五郎は、物事に拘らぬ豪胆な渡世人で、大前田の大前田のと言って、立てゝくれていた。

 東春日井郡水野村に、北熊一家の貸元実左ヱ門という渡世人がいた。瀬戸一家と縄張りが隣接しているので、子分同士の諍いは絶えず、到頭、一触即発の状態になった。

 蒸し暑い夜であった。栄五郎は眠れず、庭先で鳴く鈴虫の声を聞いていた。この世のものと思えぬ鈴虫の声を聞いているうちに、栄五郎は夢の世界に誘(いざな)われつゝあった。ふと、その時、鈴虫の鳴声がひたと止んだ。栄五郎は隣りで軽い鼾をかいて眠っている栄次を起すと、傍に置いてある長脇差を掴んだ。

「殴り込みだ!北熊一家の殴り込みだ!!

 吉五郎の子分が、急を報せるべく廊下を走りながら、大声で叫んでいる。北熊一家の者が、十二、三人で殴り込みを掛けて来たのである。

 一宿一飯の渡世の義理から、栄五郎は殴り込んで来た北熊一家の者を三人叩き斬った。

 一宿一飯とは、仏語の「一河の流れ一樹の蔭」に由来するとされている。

 これで栄五郎は、尾張藩からも御尋ね者となり、凶状持ちになった。関八州は疎(おろ)か、尾張領にも身の置き所がなくなった。しかし、栄五郎は捕り方の目を怖れることもなく、甲州境村に向った。