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わが家の裏庭に咲く黄色のサクラ


初ミステリー

さくらの樹の下で

別  離

 

二〇一二年一二月のクリスマス・松任谷由美の歌を店内で流している。微かに聞こえる熊谷市ニットモール四階にあるイタリヤ料理店『カプリチョーザ』で田髙守之と奈良沙世が、相向かいで座っている席に聞こえて来る。

 守之は、この春、東洋大学を卒業したばかりであり、沙世は東大文学部を優秀な成績で卒業している。

 エスカルゴのスープを、フランスパンに浸しながら、最近の沙世の変化に気が付いている。

(どうかしてしまったのだろうか?)

二人は守之が熊谷高校二年・沙世が熊谷女子高校二年の時から交際をしているのである。従って、沙世も同じ年だから五年間、恋人同士でいたのである。

「わたしは、もう、貴方とは付き合うことはできない。今夜を最後の夜にして・・・」

「何を唐突に言うのか。僕には理解できない。論理立てて説明をしてくれないか」

 沙世がどのような気持ちで居るのか、分かろうと思い、彼女の眼を見つめようとするのであるが、俯き加減になり顔を見ようとしない。守之から目を逸らせたままである。

「わたし、研究室に残ろうと思っているの。まだまだ文学と歴史の勉強をして、将来は、文学の世界で生きて行きたいの」

「だからと言って、僕と、別れなければならない理由にはならない」

「お願い。わたしのいう事を聞いてよ」

「僕の他に好きな人が出来たのか。僕は許さないぞ」

 沙世は、一瞬、図星をされたように、上半身を左右に揺すった。

 既に、文学部の教授である不動倫一と、抜き差しならない関係に陥っていた。不動は、研究著作も数冊ある東大では実積のある教授で妻がいる。研究のために、埼玉県寄居町にある北条氏の居城である『鉢形城跡』へ行った時に、『鉢形城跡』の対岸にある割烹旅館『京亭』に同じ学部の三人を連れて泊まった夜、部屋に微醺を漂わせて不動が入ってきて嫌がる沙世を犯してしまったのである。大学の教授であるという肩書にものを言わせて、彼女の抵抗を奪ったのである。その後、何かの研究の為、出かける時は必ず連れて行き、沙世の若々しいはち切れんばかりの肉体を玩んだ。この様な関係になると、守之にはない倫一の経験豊かな女の扱いに若い体が従いていってしまった。知らず、知らず、守之には無いものを体が感じるようになり、東大文学部の教授不動倫一と別れる事が出来なくなってしまったのである。

未練もあり、この五年間の事を考えると今すぐに、沙世と別れるのは辛いのは当然であるが、思い切りが好いのも守之の性格である。

「分かった。別れよう。僕が君のことを幾ら好きでも、君が僕を嫌いなら仕方が無い。元気でなぁ」

 好きであっても別れなければならない。二律背反する気持ちを隠して守之は、強がりを言った。

「でも何か大事な事があったら遠慮なく言って、わたし守之と友達では、いられると思うの」

 自分勝手なことを言う人だと思いつつ、微笑を浮かべて沙世に向ってきっぱり言い放った

「僕の事は忘れていいよ。以前、君が僕に万葉集の一首にこのような面白い歌があると教えてくれたのを思いだしたよ。確か、『相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の尻へに 額ずくごとし』万葉首だったな・・・今の僕は、この歌のような心境になった。今度又、出会う事が出来たら、微笑を浮かべて挨拶を出来るようにしようか」

 その言葉を聞いた沙世は、声を出して泣きだしてしまった。本当は、守之が好きで、好きで、たまらないのであるが、女としての喜びを倫一に教え込まれた体は、守之が心の中では好きでも女性経験が豊かで女の扱いが巧なのである。若い女性が、倫一のような巧みなセックスをされたのでは参らないのが不思議である。

 沙世に限らず東大文学部の教授という立場を最大限に利用して、これまでに何人もの学部の女性を泣かせてきたか、自分でも数えきれないほどである。幾ら学識があろうとも、地位や名誉があっても、倫一のように乱れた女性関係があっては、人として見た時に唾棄したくなるのが当然であるが、倫一は教授会でもなかなか尻尾を出すことはなかった。

沙世の泣いているのを余所に、カプリチョーザでの食事代を払って店を出た。クリスマスイブであるので駅前を歩いて行くと恋人同士であろうか、何組ものカップルが、腕を組んで肩を寄せ合い通り過ぎて行くのが眼に付き自分には遠い昔のことのように思え、ぼんやり眺めながら熊谷駅の構内に入り、北口から南口へと通じるアーケイド街を歩いていた。

(学生の頃は、人生というものを青臭く世間知らずの儘、考えどうのこうのと語っていたが、僕は何にも解らなかったのだ。まして、自分の愛する女性の気持ちが全く解らないとは情けない限りだ。女心とはこれ程。不可解なものなのか?・・・まぁいいや。一人で過ごすクリスマスイブがあっても好いではないか。どこかの店にでも寄って、ブランデーでも飲もうかな)

 前を見ると『館』というクラブのネオンが眼に入った。

「いらっしゃいませ」

店に入ると直ぐに、ボーイが笑顔で迎えてくれた。営業とはいえ温かさのある笑顔であり失恋と寒さで心と体まで冷え切っている守之に、温もりを感じさせてくれた。

「ご指名はありますか?」

「僕は、始めてきたのです。あなたに任せますから良い娘をお願いします」

「承知しました」

 数分もしない内に、竹内結子に似た女性が守之の座ったボックスに来て隣に座った。

「何をお飲みになるのですか?」

「水割りを下さい。ブランデーの」

「レミーマタンで宜しいでしょうか」

「結構です」

 竹内結子似のホステスを相手に世間話をしていると何時しか守之も酔いが回ってきてしまった。

最初はホステスが話の主導権を取っていたが、今は守之が饒舌と成り、ホステスを相手に恋愛論を開陳している。守之としては愛について語らずにはいられないのである。

「君、彼氏はいるの?優しくしてくれるの?何年付き合っているの?」

矢継ぎ早にホステスに質問をした。

「わたしは独身です。好い人が居たら見つけてね」

「君のような人が、独身とは思われない。良い彼氏がいて当然だろう」

 このような、話題が盛り上がった時にボーイが守之の席に来てホステスに耳打ちをした。ホステスは頷くと守之に申し訳ないような顔をして言った。

「すいません。あちらから、指名が入ってしまったの。直ぐ帰ってきますから、我慢していてね」

 話の腰が折れてしまったので少し気分が悪くはなったが、商売だから仕方が無いとも思った。

 傍にいたホステスは、守之が座っている席の二つ程前の坊主頭をした恰幅の良い中年の男が、一人でいる席へ行って腰を曲げ挨拶をして座った。

 独りになり、大分酔いが回った守之は歌でも歌いたくなった。さっきから、店のピアノに合わせて貰い。あまり上手くない歌も上手く聞こえている様である。ボーイを呼んで『フォー・ユー』という曲を頼んだ。この曲は、沙世と飲みに行った時、良く歌った曲である。

(僕は未だ、沙世に未練があることが分かった。でも、ここで沙世に対する思いを断ち切らなければ僕は、駄目な男になってしまう)

 七杯目のブランデーの水割を飲み干した時、守之は酩酊状態になっていた。その状態の歌である。歌も上手くないのである。守之が声を張り上げれば張り上る程。店に来ているお客は、守之を見てホステスに向ってぶつぶつ言い始めた。それを勘違いして自分の歌が上手いので、聞いているお客が褒めているのだと思って歌っている。堪りかねたのか、恰幅の良い坊主頭の客がひとこと言った

「自分が解っていないようだな」

歌っている守之にも聞こえる声である。彼女に振られる。歌を歌って憂さを晴そうとすれば馬鹿にされる。踏んだり蹴ったりである。歌い終わったので坊主頭の者の席に行き一礼をして正面の席に座った。

「自分が解っていない事を、貴方は解っているのか」

守之は、丸い顔を綻ばせている坊主頭の者に向って言った。

「解るはずがない。この歳になるまで仏門に仕え経を唱え、回向を重ねて来たけれども、人生も解らないが自分も解らない。解るのは自分も人生も迷路の様だという事だ」

 酩酊している守之には、人生が解らないと言う坊主頭の者のいう事は解るが、どれが本当の自分であるかとか、人生も自分も迷路の様だと言う言葉は理解できなかった。何も理由が無いのに五年間付き合っていた彼女に振られたのだから、人生いや女性は解らないという事だけは酔っている胸に刻み込まれていた。

「君、何があったのか知らないが、余り飲み過ぎては駄目だよ。酒一杯、人酒を飲み、酒二杯、酒人を飲み、酒三杯、酒、酒を飲むという言葉もある。尤も、私も既に何杯くらい飲んだのか分らないなぁー」

ホステスがすかさず言った。

「これで十杯目です。和尚さん

 ははーん、この人はお寺の坊さんか思った。でも面白そうな人だなと興味が湧いてきた。

「君、名前は何というのだね。名前が解らないのでは、酒が一緒に飲めない。自己紹介位したらどうですか」

「僕の名前は田高守之と申します。今、彼女と別れて来たばかりの惨めで寂しい男です」

「私は、川向うの江南にある満賛寺の住職で山岸と申します」

 酔っているらしいが、すっと、立ち上がり和尚は守之に向って合掌をして頭を下げた。それからの二人は、守之が東洋大学哲学部を出ている事を話したら和尚が、飲め飲めと言い次から次へと、ホステスにブランデーの水割りを作らせて守之に飲ませた。 

殆ど、意識がなくなってしまった位に飲んでしまった二人は、店で呼んでくれたタクシーに乗り市街地にある山岸和尚の家即ち、満賛寺に帰った。

 翌日。守之は飲みすぎで、午前十時頃まで、山岸の寺である『高根山満賛寺』の一室で寝ていた。目が覚めたので和尚に挨拶をしようと思い、布団を畳んで部屋の隅に重ね、部屋から出て本堂の方に行った。和尚は、本堂に座り座禅を組んでいた。本堂の板の間に座った和尚は、まるで大きな岩のようである。背筋をぴんっと伸ばした体は、龍が天に上りかけているようである。挨拶のために声をかけようとしてもかけ様がない。隙が無く気高い気が出ているので近寄りがたいのである。

(これが禅か?いや、それにしても、荒ましいものである・・・)

守之は、始めて見る本物の坐禅というものに心が引かれた。

様々な思いが交錯する。沙世の事。今までの事。これからの事。自分の事。思いを巡らせている内に和尚がすくっと、立ちあがった。

「守之さん。観ていたのですか?貴方も失恋の痛みに耐えがたくて、飲んでいたようですが、愛著(あいじゃく)は、財産欲や名誉欲より捨てがたい。如何です坐禅でもしてみますか?」

坐禅に付いては、やっている人もやらない人も、軽々しく口には出せない。何しろ、教外別伝・不立文字・以心伝心を標榜しているからである。よく悟ったという人がいるが、悟ったと思った時は、既に悟りからは離れているのである。地位や名誉・財産・愛欲・といったものは、禅でいう水の流れの様で儚い物でしかなくそれらの諸欲を断って自己が何者であるか、自分の足元を照らして主体性を失わず。

“随所に主となれば、皆之真なり”

などというのだから、座禅を唯、只管(ひたすら)に座ることしかないのである。

坐禅をやってみようかと考えた。

「和尚さん。僕に禅が出来ますか?」

「簡単です。唯、座りに座れば、いつの間にか現在、守之君の頭の中に渦を巻いている事や整理がつかなくなった机の引き出しの中が整理がついたようになり、すっきりするでしょう。道元禅師も言っています『自己をならう』と、兎に角、現在の守之君には坐禅をして,自己の拠りどころは自己のみなり、他人に依止することなかれ。という境涯に至るまで座った方が、良いでしょう」

「そうですか。坐禅は、空や無それに、悟りなどという言葉が、先行してしまっているので、近寄り難いものであるという認識でおりました。僕の場合は、彼女に振られて心に傷が付き女性不信や愛とは人生とは、たった失恋一つだけでその事を敷衍させて考えてしまう。和尚さん。この様な僕は人間として最低な男なのでしょうか?」

 守之は、真剣な眼を和尚に向けて、告白するように訴えた。

   

 

<フリーメイソン外伝>