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わが家の裏庭に咲く黄色のサクラ


初ミステリー

さくらの樹の下で

<フリーメイソン外伝>

序 文

唯、天下破れば敗れよ。世間は、滅ば滅ばよ。人はともあれ我が身さえ富ば、一段栄耀様に振る舞わんとなるけりー

『応任記』に書かれている通りの時代である。

 三権推任を辞退して、天皇家の特権である暦の変更、諸大名を京都へ呼びつけての馬揃いで正親町天皇は、信長に威嚇されたととり、朝廷の権威を真っ向から否定したと考えていた。正親町天皇の意を挺して公家である近衛前久・観修寺春豊・吉田兼見が、明智光秀を当時の武士では一番の尊王家であると狙いをつけて使嗾し革命家織田信長を京都本能寺で逆(し)いたのは天正十年(一五六六)六月一日である。

 信長は若い頃から近侍していた臨済宗の僧、沢彦(たくげん)が、信長の人物の大きさを看破していて徹底して「富国強兵策」を植え付けさせ岐阜の稲葉山城を陥落させたあとに、稲葉山城を周の分王にならって「岐阜」と呼ばせる様にして『天下布武』という印章を使うように進言したのである。

 徳川家康が、檀家制度を採用して宗門を保護し自ら佛教徒であったのとは違い信長は完全な無神論者で寧ろ、宗門に対して憎悪を感じていたのである。

 比叡山延暦寺は西洋に例えれば、バチカンと同じである。

そのバチカンと変わらない宗教的権威をなんの躊躇いもなく焼き撃ちしてしまい更に、伊勢長嶋と北陸では一向衆徒を数十万人殺している。石山本願寺では、本願寺に小早川勢が応援して熾烈な戦いをしている。

この為に、世界で最初に鉄の船を造ったのが信長である。

 佛教徒から信長を見れば、悪魔に見えたであろうが、信長自身、六点大魔王を名乗るっていたのであるから、れっきとした思想と権力それに自信がなければできないことである。

 十九世紀のニーチェが無神論を叫んだと時、ヨーロッパはものすごくショックを受けた。マキャベリが、君主の中の君主であると絶賛したチューザレ・ボルジァが大好きであったニーチェが、信長の存在を知ったなら賞賛を惜しまなかっただろう。

近代の思想に邪魔なものは、全部叩き殺すそれが信長の国創りである。特に、女人禁制の寺に、女人を連れ込み稚児など抱え昼間から酒を飲み、僧兵は武力にものを言わせて寺社領の農民からは年貢を酷い程、搾取してどれくらい国に損失を与えているか理解していたのである。近代は日本にはないと言うが、信長こそが日本の近代の開き手では無いのか。

 信長の経済思想は商人的で、家康が農業政策者であれば、商業政策者である。堺・博多を抑えれば儲かることを知っていたのである。百姓から米を収奪するより、貿易利潤の方が大きいことを解かっていたのである。

 信長はかっての氏族社会の長ではなく非常に機能的な武将群を自分で作り上げた。それを動かしているのだから独裁権を十分に発揮できたのだが、軍議の時、最初に誰かに発言をさせている。そして、甲論乙駁(こうろんおっぱく)させた後に、どちらかの意見の上に乗る形をとる。そうすると反対して居た者も納得して、信長の自主性を担ぎ上げたことになるのである。

本能寺の事件の前、信長から出陣の命令を受けると明智光秀は直ぐ本国の近江坂本に帰り戦備を整えた後、二十六日丹波篠山に行き翌二十七日京都愛宕山に詣で二度・三度籤を引いている。信長を攻撃する決心がまだつかなかったのである。

 翌日、そこへ連歌詞の里村紹巴を招き発句の会をもうけた。

   ―ときは今あめが下知る五月哉―

 「ときは」は、光秀の出自である土岐氏を言ったものである。そしてこの百韻を神殿に納めて帰った。この時、既に、信長を討つ覚悟はできていたのである。

 二十九日、鉄砲・弾薬・食糧などの荷物、約百荷を備中に向けて発進した。そして六月一日、信長の小姓森蘭丸から京都に出て信長の閲兵を受ける様にとの連絡があった。光秀は、一万三千の兵を三段に分けて十時に亀山を立った。光秀は、弟秀満・光春等。腹心五人を集めて信長を討つ計画を発表、そのまま全軍に完全武装させて老いの坂を越え桂川を渡って行った。

 こうして、本能寺の変は起きて革命児織田信長は、明智光秀に逆いられたのである。

 この時の、光秀の腹心であり義弟でもあった佐馬ノ介光春という青年が、明治時代に活躍した坂本竜馬の先祖となった。

 

英雄や革命児といわれる者は、下克上の時代であるから何時、今日の味方が、明日は敵と成り昨日の敵が、今日は味方になることを想定しても可笑しくない。信長にしても然り、城を陥し戦で命をなくすことも想定している。死んで当然で有る。再起の事も考えている。

 漢の国が出来る時に、劉邦と関羽が戦った時。再起を潔いとしないで散った項羽の、その終焉の地を後年、詩人の杜牧が訪れて詠んでいる。

 

烏口の亭に題する    (うこうのていにだいす)

 

勝負は兵家は事期せず   (しょうはいへいかもことをきせず)

 

辱を包み恥を忍ぶは是男子 (はじをつつみはじをしのぶはこれだんし)

 

江東の子弟に才俊多し   (こうとうのしていにさいしゅんおおし)

 

捲土重来未だ知り可からず (けんどちょうらいいまだしるべからず)

 

戦での一時的な負けはどのような武将にもある。

信長程の人間である。戦に敗れて生きながらえた時の事を、当然考えていたとしても不思議はない。本能寺の変が起きることすら想定内であったかもしれない。又、別な戦場で命を落とす場合を考えてもいたのではないだろうか。再起のための資金は、堺や博多を抑えて手に入れた貿易のよる莫大な利益や六角義賢。浅井朝倉そのほかの城攻めに於いて木下藤吉郎に命令をしてその配下である元盗賊である蜂須賀正勝。前野景定らを使嗾させて相手の城が落城寸前に、金蔵にある金銀財宝を運び出させた。戦に勝つという事は、領地だけでなく滅ぼした武将の財産まで纂奪して再起が出来ないようにするのが当然である。

 そのようにして、信長がどこかに隠してあると思われている軍資金・数百万両を巡りこれまでの時代に至るまで多くの者が、知恵を巡らせ故事を読み古文書を渉猟し捜し調べているが、未だ、杳として織田信長の軍資金は、誰一人として探し当てた者はいない。

 

 

 そして時代は三〇〇年が経過した慶応二年(一八六六)春まだ浅い長崎の丘陵地にあるトーマス・ブレーク・グラバーの家の一室で、当主であるグラバーと坂本竜馬は向かい合っていた。

「実際は、長州が使うのですが、銃を買う窓口は、薩摩という事にしておいて戴けるなら都合が好いのですが・・・」

「何をご遠慮していますか、貴方は、日本で初めてのフリーメイソンではないですか。それ以前から私とはフレンドリーな中ではありませんか」

「何しろ、一万挺の注文ですから支払いが大変ですし、ミスターグラバーの方だって一万挺の銃を集めるだけでもご苦労するのではと思いまして・・・」

 グラバーは龍馬の目を注視しながら微笑みながら応えた。

「この取引は大きい。直ぐに、上海の『マゼソン商会』に連絡をして至急、銃を集めさせます。ミニエー銃とゲーベル銃の二つのメーカーの物になりますが、承知しておいてください。おお。そうです大事なことを忘れてはいけませんね。銃の代金の事を話しておきましょう」

 龍馬は代金の事が一番気になっていたので、グラバーの返事を聞き早速口を開いた。

「いったい、どれくらいの金が必要なのですか」

 グラバーは天井を向いて考えている様子である。暫し考えていたようであるが龍馬の方に顔を向けると銃の代金の事を話した。

「細かいことを言ってもしょうがない。はっきり言って十五万両でどうですか。決して高い買い物ではない。支払いについては品物と交換という事で、即時払いでどうでしょうか」

 今度は龍馬が天井を見上げてしまった。長州藩から依頼されているのは、十万両で一万挺であるが、龍馬自身、銃の価格に付いては全く分からないのである。

「ミスターグラバー僕も、フリーメイソンのメンバーです。会員は先ず第一に相好扶助をしなさいとあなたが、僕をフリーメイソンに入る時に教えてくれました。又、フリーメイソンの標榜する自由・平等・友愛という精神から言っても、利益第一は宜しくありません。十万両で何とかしてくれませんか」

 龍馬をフリーメイソンに入会させたのは、紛れもなくグラバーである。グラバーはスコットランド系のフリーメイソンである。会員同士は、国外に於いて相好扶助をすることにより、お互いの事業が発展するように力を貸し合ってきたのである。龍馬をフリーメイソンに入会させたグラバーは、龍馬のように純粋に国の事を思う青年が大好きなのである。まして、自分自身もアンビシャスを抱いて日本に来たのである。

 だが、グラバー商会は上海にある『マゼソン商会』の日本支社のようなものである。グラバーの一存では決められないのである。

「まっ、このことについてはミスターグラバー何としてもお願い仕る。僕の日本の国を思う気持ちを解かってください。それでは十日後にまた来ますから好い返事を聞かせてください」

「龍馬さん。わたし貴方のように純粋に国の事を思う人大好きです。国を愛し志大きい人に応援をします。でも、武士道とは商売は別物ですからそのことも解かってくださいね」

 

 

 春とはいえ長崎の潮風は冷たく頬をうつ、懐手をした龍馬は、束髪の乱れを風に靡かせて足早にグラバーの家に向かって坂道を登ってゆく、坂の上から長崎湾を眺めると将に、夕日が落ちてゆかんとする姿を映し出して湾内の水面がキラキラ輝いていた。

(今日は何としての話を纏めなければ成らない。長州と薩摩が同盟してこそこの国が洗濯することが出来る・・・)

 グラバーの家に着いて、部屋に通されるとグラバーは既に、椅子に座って龍馬を待っていた。

「早速ですが例の件、十万両で一万挺買うことが出来るのですか。僕は、この件については何としても実現したいのです。ミスターグラバー」

 率直に龍馬は切だした。

「率直に言いましょう龍馬さん。一万挺は無理です。上海の『マゼソン商会』でも今直ぐに一万挺の銃を集めるのに苦労します。私もマゼソン商会に是が非でもと頼んでみたのですが力が及ばなかったのです。誠に申し訳ない」

「それなら何挺集められるのですか」

「集めに集めて、七千三百挺だけです。但し、買い入れ金については十万両で何とかします」

 龍馬は悔しそうに下唇をかんだ。

「実は、代金が足りないのならこれをと思ってきたのですが、これはどうも必要がないらしい」

龍馬は懐から一枚の美濃紙に書かれていると思われる書付を出したが。グラバーの前で破こうとした」

「待ってください。何か大事なものではないでしょうか」

「織田信長公の軍資金の在り処が書かれている書付らしい」

「その様な大事なものは、わたしが預かります。いつか必要になりますよ。処で織田信長公は、どれくらいの軍資金を隠していたのでしょうか」

「信長公は、並みの英雄ではありません。革命児です。革命のための軍資金は半端ではないのはわかるでしょう。僕は、信長公の生き方に共鳴をしているのです。新しい国を創るこんな男子としての本懐はないでしょう」

「龍馬さん。この古文書をわたしに預からせてください。これから先、日本の国を洗濯するのにはいくら金があっても足りません。信長公の軍資金・夢が有って好いですね」

 龍馬は、信長の軍資金が隠されていると思われる書付をグラバーに渡した。

 この時グラバー二十八歳。龍馬は、三歳上の三十一歳龍馬が、京の寺田屋で殺される一年前である。

 龍馬がグラバーに渡した古文書には西行の歌が書かれていた。

 

きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく

 

心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ

 

寂しさに耐える人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

 

津の国の浪速の春は夢なれや蘆の枯葉に風渡るなり

 

年たけてまた超ゆべしと思ひきや命なるけり夜の中山

 

道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ

 

吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ

 

願わくは花の下にて春しなむそのきさらぎの望月の頃

 

参=七 壱=八 参=拾九 八=拾八 七=五 六=壱六  

 

弐=四

 

 

―人間五〇年下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり、一た び生をえて滅せぬ者のあるべきかー

 

この出来事があって百四十六年後に、この信長の隠したとされる軍資金を巡って、グラバーの子孫や東京大学の教授。フリーメイソン長崎ロッチのマスターが入り乱れ色と欲にまみれ簒奪戦を繰り返すなどとは龍馬はおろかグラバーも知る由はなかった。