085



















翌朝、粂七と重太夫が見送りに出た。忠次郎達三人は、粂七の家の軒下から、三十歩進んで振り返り、粂七と重太夫に一礼した。

 渡世人の仁義にある挙措通りである。渡世人が一宿一飯の世話になった以上、その一家の貸元に命を預ける訳で、軒下から三十歩までは、命を預けたのだから、私を殺しても異存ありません、という意思表示である。

 高崎から室田に出て、三ノ倉、権田を抜け、大戸に辿り着いた忠次郎達は、粂七に書いて貰った添書を持って、加部安左衛門の屋敷を訪ねた。加部安は、上州の三分限者の一人で、俗に「一加部・二佐羽・三鈴木」と謳われた上州三大尽の筆頭である。二位の佐羽は、桐生の豪商で、三位の鈴木は、甘楽郡一宮(富岡市)の者である。

 五十歳位であろうか。身の丈は六尺弱。でっぷりと太っていて、色白く、柔和な笑を湛えた加部安は、忠次郎の目の前で、粂七からの添書を開いて、読み終ると大きく肯いた。

「好く判り申した。十日後、私の所の番頭が、十五人ばかり人夫を連れて、酒を信州に運ぶ予定があります。その人夫に紛れて、関所を越えれば好いでしょう。それまでは当家で、ゆっくり寛いで下され」

 鷹揚な態度で、加部安は忠次郎に言った。

「世間様の仕来たりも弁えぬ半端者ですが、どうか宜しくお頼み申します」

 忠次郎が、畳に手を付いて、礼法にある真の挨拶をすると、文蔵と清五郎はそれに倣った。

「国定の、堅てぇこたあ、抜きにしようぜ」

 唐突に加部安が、伝法な口調になったので、驚いた忠次郎は、まじまじと加部安の顔を、見詰めた。

「ウッハッハッハッ……」

 豪快に笑うと、加部安は立ち上り部屋を出ていった。

 忠次郎達の緊張を解すため、態と伝法な口調をした加部安に、忠次郎は、男としての懐の深さを感じた。

 加部安は、人の面倒を見ることに喜びを感じている。あらゆる階層の者が加部安を頼り、文人墨客、刀工等、多士済々である。加部安は〝侠商〟である。

 宏大な加部安の屋敷の一部に、部屋を与えられた忠次郎達は、廊下先に造られている庭園に、目を瞠った。

 漆喰で塗られた、高さ六尺程の塀の前に、百坪はあると思える石庭が造られている。塀沿いには、好く手入れされた赤松が、数本植えてあり、その枝がしなやかに垂れていて、石庭に撒かれた白砂に映えている。白砂の撒かれている庭園の中央には、高さが五尺、横幅が二間もあろう巨石が横たわり、形状は龍の顔を、側面から見た感じがする。右側には、高さ三尺、横幅一間半程ある、龍の胴体のうねりを感じさせる巨石が、左側には、尻尾を形取った巨石が、据えられている。小さな石も置いてあるが、龍の爪であろうか、渦巻き状に掻かれた白砂は、大海のうねりと渦を表わしているのであろう。

「ウーン」

 忠次郎は、感嘆の声を上げてしまった。

 暫く、石庭を眺めていた忠次郎は、文蔵と清五郎の方を振り返った。

「大海を渡る龍」

 忠次郎の言葉に応えて、誰かの声がした。

「如何にも」

 忠次郎達の隣りの部屋の、障子を開けて、一人の若い男が立っていた。弟の友蔵と同じ位の歳であろう。

 人懐っこそうな顔をして、男は、忠次郎の傍に近寄った。

「この庭は、大海を渡る龍などと、大そうなものを、主題にしているが、石は全て半分以上、土中に埋めてある。主題は衒いがありすぎて感心できないが、石の半分を土中に埋めることにより、奥床しさが出て、埋っている部分に対して、想像が働らかされる。石の配置も陰陽五行に則っている。多分、禅の坊主が考えたのだろう」

 尋ねもしないのに、自説を開陳する男に、忠次郎は奇異の念を抱いた。男の躰からは、酒の臭いがする。

「禅の坊主が采配した庭だとしたら、衒いがある以上、その坊主は悟ってはいねぇだろう」

 結論を出して、早く自分達の部屋に入りたい忠次郎は、ぶっきら棒に応えると、男を正視した。

 酒の臭いをさせているわりには、好い眸をしている。

「如何にも」

と応えると、男は踵を返して部屋に戻った。

 

 朝食を済ませてから、忠次郎は廊下に出て、石庭を前にして、長脇差の手入れを始めた。下げ緒を解いて、鞘から長脇差を抜いた。

「失礼!」

 昨日の若い男が、一言断りを入れて、忠次郎の傍に座った。

 忠次郎が、左手に翳している刀身を観て、男は呟いた。

「姿正しく、直刃(すぐは)やゝのたれ、小鋩子(こぼうし)小丸に返って、掃()き掛け、肌柾(まさ)にして、刃中砂流し、金線あり」

 的確に己れの刀の特長を観じた男に、忠次郎は魂消た。

「茎(なかご)を観ねぇで、この刀を鍛えた刀鍛冶が判るかい?」

 男は肯くと、即座に答えた。

「大和千手院一派、確か吉廣であろう」

 男の的確な見極めに、忠次郎は再度魂消た。

「手前は、上州国定村の渡世人で、忠次郎という者だが、あんたは一体誰でぇ」

「私は、信州小諸の刀鍛冶で、山浦環正行と申す、酔っ払いです」

 山浦環正行は後に、江戸四谷に住んで鍛刀を続け、〝四谷正宗〟と称えられた名工源清麿(みなもとのきよまろ)である。

 文化十年(一八一三)信州小諸赤岩村郷士、山浦治右衛門の次男として生まれた環は、上田の刀工河村寿隆の門に入り、正行と称する。十六歳で、年上の女性と恋に陥ち、女性の家に聟入りをして、長岡姓を名乗るも、僅か三年で破局して出奔し、松代城下に行く。三年ばかり、松代で鍛刀を続けていた。この時期の銘は「秀寿」。師である寿隆より、秀でているとして、名乗った銘であるとしたら、師を師と思わぬ傲岸不遜な所業としかいゝようがない。

 天保五年、環は友人である松代藩士から紹介状を貰って、江戸麹町表三番丁に住居する、幕臣御広敷番頭の窪田清音(すがね)を訪ねた。

 環と忠次郎の邂逅があったのは、環が信州から江戸に向う途中、加部安の屋敷に逗留したこの時である。

 窪田清音は、無刀無極流の達人で、砲術、柔術の研究も深く、律儀な人格者である。

 早速、出入りの商人備前屋善兵衛に相談して、資金を集め、四谷に鍛刀所を作った。

 環は大酒飲みである。傲岸不遜である。酒びたりの日々を送り、鍛刀所に姿を見せるのは稀である。

 清音の恩儀に報いるべく、何本かの刀は鍛えたものゝ、暫くして、長州に逐電してしまった。

 数年後、江戸に戻ってきた環は、奈良時代の忠臣和気清麿(わけのきよまろ)にあやかり、源清麿と改名した。勤王の志が厚かったようである。

 江戸に戻った環は、斉藤清人という弟子を持ち、鍛刀に専念していたので、周囲も安堵していた。ところが、武家奉公をしていた若い女性とできて、家に引き込み、女と酒を酌み合っていて、鍛刀に身が入らない。そうしているうちに、荒淫が祟り、胸を煩い、加えて中風で倒れ、手が震えはじめた。刀を鍛えることが不可能と悟った環は、割腹して果てた。

 時に嘉永七年(一八五四)十一月十四日、忠次郎が、大戸で処刑されて、四年目の夏である。享年四十二歳。

 環が恩人である窪田清音に、鍛えた刀が現存する。

 ――姿美しく、板目肌の華麗な地金に、五の目丁字の焼刃がのたうち、地錵のすっきりとした、刃中の働きある、二筋の樋のある名刀である

 表 窪田清音君  山浦環 源清麿 製

 裏 弘化丙午八月 日

 重要美術品である。

 

  閑話休題。

「なる程、あんたは刀鍛冶ですか。道理で刀に詳しいし、目が利く。俺の長脇差の茎を見ず、鍛えた鍛冶銘を当てた。大したものだぜ」

 忠次郎が感心すると、環は、さもありなんといった面持をして、忠次郎を見た。

「国定の貸元。私の鍛えた刀を観てくれませんか?」

 間庭念流本間道場で、目録を授けられた腕を持つ忠次郎は、武器である刀剣に、異常な関心を持っていて、然も、鑑定能力は高い。

「俺も環さんが、どんな刀を鍛えているか。観てみてえぜ」

 大きな眼を、ぎょろりとむいて、忠次郎は環を見た。

 環は、自分の部屋に入ると、軈(やが)て、白鞘に納めてある二尺七、八寸はあると思える刀を携えて、忠次郎の横に座った。

 徐に、鞘を払うと、抜き身の刀を、忠次郎に渡した。

 環に刀を渡されて、柄尻を左手で握り、腕を伸ばして、刀を観た瞬間、忠次郎の肌は粟立った。

(凄い刀だ……このような刀を持ちたい)

 肌を粟立たせて、自分の鍛えた刀に魅入っている忠次郎に、環は、意見を促すように声を掛けた。

「如何でしょうか?」

「俺は鎌倉の名工、五郎入道正宗の作じゃねぇかと思ったぜ」

 環は、自分の鍛えた刀が、名工正宗に比せられたのが、嬉しくて堪らないようである。

「ありがとうございます」

「あんたの鍛えたこの刀を、一言で謂うなら、威ありて猛からずだ」

 ――威ありて猛からず

 論語述而第七、

 子は温にして厲(はげし)、威ありて猛からず、恭にして安し、を引用して、己れが鍛えた刀を評してくれた忠次郎に対して、環は、己れが目指している、刀工としての理想の確かさと、手応えを感じると共に、国定忠次郎が、端倪すべからざる人物であることを感じた。

 本物の漢同士は、一言交しただけでも、お互いを理解して、百年の知己にも勝る仲になる。漢が漢を識るということであろうか。

 忠次郎が、環の鍛えた刀を、五郎入道正宗に当て嵌めて讃えたことは、正に的を射ていると謂えるであろう。

 この後、江戸に出て、四谷に住んで鍛刀した環は〝四谷正宗〟と讃えられるのであるから。

 左手に刀を持ったまゝ、刀に魅入り、放心状態になっている忠次郎に、文蔵と清五郎が心配して声を掛けた。

「親分!」

「親分!」

 二人の声で我に返った忠次郎は、環と文蔵、そして清五郎に向って、口を開いた。

「まるで、吉祥天か弁財天を、拝んだ気持だ」

 刀が、伸ばした腕の先に、掲げたまゝであるのに気付いた環が、忠次郎の手から、刀をそっと取ると、白鞘に納めた。

「あんたは名工だぜ!」

 忠次郎の言葉に、環は己れに言い聞かせるように、神妙に頷いた。

 

 その日の夕刻、忠次郎は環の部屋にいた。

「環さん。何んとしても、あんたの鍛えた刀が欲しい。こゝに百両ある。納めてくれ」

 環は驚いた。この時代、所謂、新々刀期に於て、如何なる名工が鍛えた刀であっても、一振り最高で三十両である。その時代の百両である。

 環は、自分の鍛えた刀に、百両の価値を見い出してくれた忠次郎の意気に感じた。

「国定の貸元。その百両は戴けません。私の鍛えた刀をこれ程までに評価してくれた人はおりません。私は貸元の心意気に感じました。この刀は黙って受け取って下さい」

 忠次郎は、にっこり笑った。

「刀を譲って戴けるのはありがてぇことです。だが無償はいけねぇ。この百両だけは受け取って貰いてぇ。それじゃねぇと、漢として、渡世の義理が立たねぇ」

 意気に感じた漢同士には、銭金云々という利害の、入り込む余地はないのである。

「どうしても、この金を受け取って貰いてぇ」

「いえ。それはできません」

「金を受け取ってくれなけりゃ、刀が俺の物にならねぇ」

「刀はお譲り申します。しかし、金は受け取れません」

「何んとしても、この金を受け取って貰いてぇ。環さん」

 斯様な遣り取りが、さん〴〵続けられているので、文蔵と清五郎は、忠次郎と環の強情さに、呆れ返ってしまった。

 と、その時、部屋の障子を開けて、この屋敷の主人である加部安が入ってきた。

「国定の貸元、環さん、私の部屋にきて戴きたい。一緒に飯を食べようではありませんか」

 突然、部屋に入ってきた加部安に魂消た忠次郎と環は、眴(めくば)せをして、文蔵と清五郎に、刀と金を片付けさせた。加部安は、それをさりげなく見ていた。

 総檜造りの加部安の部屋は、二十畳はあろうか。格天井で、向って右側に、違い棚があり、左側は床の間がある。

 床の間には、三尺幅の大幅が掛けてあり、絵は、深淵に潜み、雲風の起るのを待っている二匹の蛟竜である。

 中国の伝説に、揚子江に住む鯉が二千年を経ると、上流を目指して、〝登竜門〟という堰(せき)を登り、その先にある湖に入り、深淵に潜み、雲風の起るのを待ち、雲風が起るや昇天して龍になるというものである。

 蛟竜をして、時運を待っている英雄・豪傑を譬えて謂うと共に、この故事に基づいて〝登竜門〟と謂う言葉が生まれた。

 床の間を背にして加部安が座り、右側に忠次郎、左側に環が座った。

 膳部が調えてある。

 忠次郎と環が、床の間に掛けてある掛軸の、鯉と龍の合いの子のような生き物の絵に、注意を巡らせていると、加部安は、忠次郎の方に顔を向けた。

「貸元、関所越えを十日待って戴きたいと私は申しましたが、明日、信州に、番頭が人夫を連れて、酒を運ぶことになりました。ついては明日、此処を出立して戴きたい。人夫達に紛れて大戸の関所を越えれば、そこは信州です。信州へ行ったら、上州男の心意気を存分に見せて戴きたい」

「本当にお世話になりました。加部安の旦那のご恩は、忠次郎、生涯忘れません」

 膳を横にずらして正座をすると、忠次郎は、慇懃に加部安に向って頭を下げた。

 加部安は、環の方に向き直った。

「ところで環さん。私は貴方が邪魔で言うのではありません。環さんが、私の屋敷に逗留してくれてから、早一カ月が経ちました。貴方の刀工としての評判は、信州は疎か上州、武州にまで聞えているでしょう。私としては、斯様な貴方に一日も早く江戸に出て、名を上げて貰いたいのです。私の所で燻っていたのでは、その腕が鈍(なま)ってしまいます。刀鍛冶の腕が鈍ってしまっては、その刀鍛冶の鍛えた刀は鈍力(なまくら)で、笑い話にもなりません。明日は国定の貸元が信州に出立します。好い機会だから、貴方も江戸に向って出立したら、如何でしょうか」

「加部安の旦那。私はどうやら甘えていたようです。旦那の申すように明日、出立致します。長い間お世話になりました」

 郷士の次男として生まれ育った環は、武士らしい礼をして、加部安の厚誼に対して感謝の意を表わした。

「それでは文蔵さん達を呼んで、賑やかに遣りましょうか」

 加部安が、ぱん、ぱんと手を打つと、使用人が部屋に入ってきて、加部安の傍に寄った。加部安が使用人に耳打ちをすると、肯いて使用人は部屋を出て行った。

 程無く、女中が膳を二つ運んできて、下座に置いて、部屋を出て行くのと入れ代りに、文蔵と清五郎が、環の鍛えた一振りの刀と百両を持って部屋に入り、加部安の前に置いた。

(文蔵は何をしているんだ……?)

 怪訝に思った忠次郎が、文蔵の顔を凝視して探りを入れると、文蔵は微かに頷いて、加部安の方を見た。

「悪いが、お二人の話は、全部聞かせて戴きました。漢同士の交際に銭金や利害の入り込む余地がないのは、この加部安も好く知っています。しかし、お互に我を張っていては、折角の友情も台無しになってしまいます。どうです。悪いようにしませんので、この件は加部安に預けて戴けないでしょうか?」

 お尋ね者である忠次郎を匿い、通行手形の無い忠次郎達を、人夫に紛れさせて、不法に関所越えまでさせてくれる加部安の義侠に対して、感じ入っている忠次郎は、加部安の言うことは、何んでも聞くつもりでいる。

 環にしても、環の刀工としての技量を認めて、一カ月もの間、逗留させてくれた上に、毎日、好きな酒を飲ませてくれた加部安である。

「加部安の旦那に、総てお任せ致します」

 殆ど同時に、忠次郎と環は承知をして、加部安に任せた。

「それでは、こうしましょう。一旦、この刀と金は、私がお二人をお世話したお礼として、戴きます」

 加部安は、刀と金を傍に引き寄せて微笑むと、次に後を向いて、床の間の隅に置いてある欅の玉目が美しい手文庫を取った。蓋を開けると、中から切餅八個(二百両)を取り出して前に置き、切餅四個ずつ二つに分けた。それに環の鍛えた刀を右側の切餅に備えて、忠次郎の百両を左側の切餅に加えた。右側の刀と百両を忠次郎に、左側の二百両を環に、押し遣った。

「これは私からお二人に渡す餞別です。何も申さず納めて下さい」

 忠次郎と環が、遠慮しようとするのを押し止めて、加部安は豪快に笑うと、伝法な口調で言った。

「国定の漢が一度承知したら、それを覆しては渡世の筋に外れるぜ!」

 忠次郎は、加部安の漢としての器の大きさを感じて、とてもこの人には敵わぬと思った。

(渡世人としては、大前田の兄貴が大きい。堅気の旦那では、加部安さんが一番だろう……それにしても大きい人だ)

 中国戦国時代斉の王族に、孟嘗君(もうしょうくん)がいた。姓は田、名は文である。鶏鳴狗盗の故事で知られている孟嘗君は、各地の有為の士を食客として、その数、千人と謂れた任侠の士である。

 幕藩体制下では、千人の食客を養うことは、幕府に対して叛心ありとされ、到底、不可能であるが、加部安左衛門の侠気と気宇の大きさは、孟嘗君に勝るとも劣らぬものであったのではないかと、考えられる。

 加部安が、ぱん、ぱんと手を打つと、五人の女中が座敷に入ってきて、各々の前に座り、徳利を持って、盃に酒を注いだ。

 最初は、盃でちびちび飲んでいたが、環は勿論、忠次郎、文蔵、清五郎、揃いに揃って大酒飲みである。加部安は申すまでも無い。

 前に座っている女中に、一升は優に入ると思える大杯を、持ってこさせると、大杯になみなみと酒を注がせた。

「酒一杯。人、酒を飲む」

 加部安は、大杯を両手で顔の前に捧げると、口を付けて、一気に呷(あお)った。

 飲み終えて、唇を手の甲で拭うと、忠次郎と環の顔を、交互に見た。

「加部安の〝大戸の露〟は旨えぜ」

と言って加部安は、大杯を忠次郎に渡した。透かさず女中が、大杯になみなみと酒を注いだ。

「上州の銘酒〝大戸の露〟、国定忠次郎、一杯戴きやす」

 一気に飲むと忠次郎は、にっこり笑って、大杯を環に渡した。

「旨めえ!」

 十六年後の嘉永三年十二月二十一日、四十一歳を一期として、大戸で処刑され、〝刑場の露〟と消える前に、末期の酒として飲んだのが、加部安の酒である〝大戸の露〟である。酒銘からして、忠次郎の末を暗示しているようである。

 忠次郎から渡された大杯に、女中はなみなみと酒を注いだ。

「名工、山浦環正行。銘酒を一杯飲む」

 環は嘯いた。

「ところで、掛け軸に描かれている生き物は、何んですか?」

 環が加部安に尋ねた。

「これは蛟竜(こうりゅう)と謂って、鯉が龍になる前の姿だ。雲風が起ると雲風に乗じて、天に昇り龍になるっていう代物だ。鯉と龍の合いの子で、人に例えれば、時節を待って息を潜めている、英雄豪傑と謂ったところだ。俺らぁ、国定の貸元と環さんが、それぞれの世界で、蛟竜であると考え、この応挙(おうきょ)の軸を掛けたのさ。二人共、好く見てくれ、この蛟竜の眸を……。将来を見据え、現在を一歩〳〵確実に歩んでいるお二人に、そっくりだぜ」

 酒の所為か、意識してか、加部安はすっかり、伝法な口調になっている。

(龍になるため、雲風の起るのを待つか……)

 加部安の心くばりが、忠次郎には嬉しくて堪らない。

 円山応挙は、江戸中期の画家で円山派の祖である。丹波生まれで幼名岩次郎、俗称主水。初め狩野派の石田幽汀に学ぶ。後に、眼鏡絵の制作や明、清の写生画及び西洋画の遠近法を研究して、伝統的装飾画様式に、遠近写実を融和させた新様式を確立させた。代表作に「保津川図屏風」「雪松図屏風」がある。

「私は必ず龍になります」

 殊勝な面持ちで環は言った。

「酔龍になっちゃいけねぇぜ」

 加部安が冷かすと、忠次郎と環の顔を見た。

 その途端、忠次郎が笑うと、加部安と環も腹を抱えて大笑した。

 笑いが納まると加部安は、女中が環のところから持ってきた大杯に、再度、酒をなみなみと注がせた。

「酒二杯。酒、人を飲む」

 言い終ると、一気に酒を飲んで、どうだ!という面持ちをして、忠次郎に大杯を渡した。

 女中が大杯に酒を注ぐのを確認して、酒が大杯を満たすと、忠次郎は大杯を捧げて、上目で大杯越しに加部安を見て、一礼すると大杯を空けた。旨そうに、腹の底から息を吐いた。

「国定忠次郎、〝大戸の露〟二杯飲んだ!」

 そう言って忠次郎は、環に大杯を渡した。

 環は忠次郎から、大杯を受け取り、女中に酒を注がせると、これ以上、旨いものはないといった面持ちをして、大杯を呷った。

「名工、銘酒二杯飲む」

 既に、加部安、忠次郎、環の三人は、二升の酒を飲んでいるのに、少しも乱れず、通常と変りなく、それぞれ背筋をしゃんと伸ばして座り、何れも微笑を浮べている。

 傍で、この様子を眺めていた文蔵と清五郎は魂消てしまった。

(親分の酒の強いのは判っているが、加部安の旦那と環さんは、親分と同じで蠎(うわばみ)だ…)

 高地である大戸は、真夏の昼間であっても涼しい。まして夕刻は、肌寒さを感じる。従って、部屋の障子は閉めたまゝである。

 加部安が、女中を促すと、女中は立って、座敷の障子を全て開けた。大戸の山々を渡り、樹木の間を通り抜けた風が、座敷に流れ込んだ。

 文蔵と清五郎は、一瞬、身震いがした。

 酒に酔ってか、酒を飲んで火照る躰に、夜風が心地好いのか、はたまた、漢同士で腹を見せ合い、忌憚なく語っているのが、気分が好いのか。

「好い気持だ」

 加部安が実感をこめて言った。忠次郎と環が同調して肯いた。

「さて、酒をもう一杯注いでくれねぇか」

 加部安に催促されると、女中は惘(あき)れた面持ちをして、大杯になみなみと酒を注いだ。

「酒三杯。酒、酒を飲む」

 環の顔を正視して頷くと、加部安は一気に大杯を空にした。

 加部安の言葉を聞いて、大酒飲みである環の将来を懸念して、環を窘(たしな)めていることを覚った忠次郎は、今まで、加部安の吐いた言葉に同調して、適当な言葉を吐いた己れが、恥かしいと思った。

 ――酒一杯。人、酒を飲み、酒二杯。酒、人を飲み、酒三杯。酒、酒を飲む

(蓋(けだ)し、名言である。俺も肝に銘ずる必要がありそうだ)

「国定の酒は注いであるぜ。さあ飲みねぇ」

 忠次郎は、大杯を両手で捧げると、徐に酒を飲み始めた。

「加部安の旦那、うまい酒をありがとうございました」

 大杯を飲み干して忠次郎は言った。次に環へ大杯を渡した。女中は待っていたとばかりに、環の大杯に酒を満した。五臓六腑に染み込むのを確かめる程に、ゆっくり大杯を傾け、酒を飲み終った環は、居住いを正して座り直すと、加部安の真正面を向いた。

「ご教示、痛み入ります」

 下座では、清五郎が声を潜めて文蔵に訊いた。

「文蔵。この場合の一杯の酒とは、何に一杯だ?まさか、あの大杯で一杯じゃねえだろう。盃の一杯じゃ、少ねぇしなぁ?」

「一杯っていうのは、湯飲み茶碗で一杯じゃねぇか」

 文蔵は訳知り顔で、清五郎に言った。

 加部安、忠次郎、環の三人が、いくら蠎のように底なしの大酒飲みであっても、三升の酒を飲んで酔わないことはない。それであっても、三人の挙措も言葉も、少しも乱れがない。漢としての矜持ある者は、如何なる状況でも、己れを失うことが、絶対にないようである。

 環は、何かを思い出したのか、膝をぽんと叩いた。

「加部安の旦那にお尋ねしたい。私達の部屋の前にある石庭は、誰が造りましたか?私は多分、禅の坊主が造ったのではないかと、考えていますが?」

「ワッハッハッハッハッ。ワッハッハッハッハッ。ワッハッハッハッハッ。ワッハッハッハッ」

 これ以上、愉快なことはない、という程に、加部安は腹を抱えて、呵々大笑いした。

「あの庭は、俺の家の作男で、少し智恵の廻りが悪い与作が、造った庭ですぜ」

 加部安に尋ねた環も忠次郎も、魂消てしまった。

「あそこの大石は、元々地面に飛び出していて、邪魔で仕様がなかったものを、与作が白砂を何日もかけて、近くの川から運び、敷き詰めて、白砂に熊手で渦紋を描いたもの。塀の際の赤松は、緑がねぇと寂しいと考えた俺が、与作を指示して植えさせたものだぜ」

 自分達の推量が、はずれたと察した忠次郎と環は、顔を見合せて大笑した。それに加部安が加わると、座敷は笑いの渦に巻かれた。

「それにしても、あの庭を指して、客人の殆どが〝大海を渡る龍〟なんぞと謂うので、俺らぁ魂消ているぜ」

 智恵の確かでない与作が、一心不乱に庭造りをする姿は、屈託がなく、禅者の謂う処の〝無〟ではないだろうか。〝無〟の状態で造った石庭は、人の心に訴えるものがあるのは当然である。

 加部安は、座敷を見廻して言った。

「さて、この辺でお開きにしようじゃねぇか」

 加部安がすくと立つと、忠次郎と環も立った。

 寸分の乱れがない足取りで部屋の前までくると、環と別れて忠次郎は、自分達の部屋に入った。

 直ぐに蒲団に入り、眠りに着くと、大鼾をかき始めた。忠次郎が眠ったのを確認すると、文蔵と清五郎は、蒲団を頭から被って眠り始めた。

 

 翌朝卯ノ刻(五時)忠次郎は、井戸端にきて、褌一丁になり桶に水を汲み上ると、桶で十杯の水を被った。大戸は山奥であるだけに、水が澄んでいて冷たい。気候も涼しい。昨晩飲んだ酒は躰に聊(いささ)かも残っていない。清五郎から、手拭を受け取り躰を拭くと、忠次郎は部屋に戻り、朝飯を食べ始めた。

 暫くして、旅支度を整えて加部安の部屋に行くと、環が座っていた。環からは、微醺(びくん)が漂っていた。

 忠次郎と環は、加部安に世話になったお礼を、丁重に述べて、加部安の屋敷の門の外に出た。

 門の前には、二台の大八車があり、その上には加部安の銘酒〝大戸の露〟の四斗樽のこも被りが、二段重ねに積まれていて、その周囲には、殆ど、半裸に近い出で立ちをした人夫が七人いた。

 加部安の使用人である喜助は、忠次郎達の出で立ちを眺めて、顔を横に振った。

「その格好では、直ぐに家の者でないことが、役人に判ってしまう。堅気はそのような、七五三、五分廻しの着物は着ません。この着物に着替えて貰います」

 七五三、五分廻しとは、渡世人独特な着物の寸法の取り方と、着こなしである。前身頃(まえみごろ)が通常の着物より幅がなく、裾の短かい着物は粋であるので、当時から渡世人は挙って、この着物を好んで着ていた。

 喜助に渡された着物を、忠次郎達が受け取り、門の陰で着替え終えると、喜助は人夫に向って出発の合図をした。

 環は忠次郎の傍に来て、手を握り名残を惜しんだ。

「貸元!お達者で」

「環さんもな!」

 忠次郎は、環の手を握り返した。

 こうして、蛟竜とも謂える忠次郎と環は、信州へ、片や江戸へと、雲風を求めて旅立った。

 東の空に、朝日が昇り、この辺りを真紅に染めていた。