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その日の酉の刻(午後七時)伊三郎は、境町字横町居呑酒屋「烏屋」で七、八人の子分を連れて飲んでいた。子分が伊三郎に酒を注ごうとして、徳利を手にすると、徳利の口が割れた。

「親分。気を付けて下さい」

 不吉な予感がしたので、子分は伊三郎に言った。

「馬鹿野郎!余計なことは心配するんじゃねぇ。折角、好い気分で飲んでいるんだ」

 伊三郎は、文蔵を締めて、世良田の桑畑に投げ捨てたことに拠り、国定一家は、必ず喧嘩を仕掛けてくる。そうなると左馬之助の描いた策通り、ことが進展すると信じている。目の上の瘤の国定一家が、もう少しで消えるのである。上機嫌である。

 亥の刻(午後九時)伊三郎は「烏屋」を出て、世良田の長楽寺の賭場に向った。お供を申し出た子分を振り切り、一人で歩き出した。途中にある妾の家へ寄るつもりでいたからである。

 微酔気分の伊三郎は、満天の星の下、夜風を頬に受けて、のんびり歩いている。そのうち近くで、青葉木菟が、寂しそうな声を出して啼きはじめた。妾の家の近くの米岡の原山に差し掛かると、ふっと肌寒さを感じ、肌が粟立ち身震いをした。

「伊三郎!待っていたぜ。国定忠次郎だ!子分の文蔵がしっかり可愛いがって貰ったそうじゃねぇか。みっちり礼をさせて貰うぜ」

 道の真ん中に立って、両腕を組み、伊三郎を睨み付けている、忠次郎の気迫は、辺りを払うものがあり、躰から発する気は、不動明王の光背の迦楼羅炎(かるらえん)の如く、忠次郎の全身を覆っている。

 伊三郎は、酒の酔いがすっかり醒めて立ち竦んでしまった。

 忠次郎が顎をしゃくると、林の中から文蔵と清五郎が出てきて、文蔵は伊三郎の背後に廻り、退路を断ち、清五郎は伊三郎の左横に迫り、長脇差を抜くのを牽制した。

 忠次郎の呪縛から、逃れようとして、伊三郎が長脇差の柄に手をかけた。

「文蔵。殺っちまいな!」

 長脇差を振り上げ、文蔵は伊三郎の肩先から、背中にかけて切り下げた。

「痛え!」

 伊三郎が、背中を返して踵を返そうとした時、清五郎が伊三郎の脇腹へ、長脇差を何度か突いていた。

 伊三郎は、仰向けに倒れると、清五郎に突かれた脇腹を手で押えて、今度はその手を、自分の顔の前に翳した。己れが斬られて死ぬことを確認したようである。

 それを見ていた忠次郎が、とどめを刺そうとして、大和千手院吉廣を摺()り上げた長脇差を鞘から抜いて、切っ先を伊三郎の鼻先に向けた。

「待ってくれ、国定の。命を助けてくれ。お願ぇだ」

 出血多量で、虫の息である伊三郎は、最後の力を振り絞り、合掌して、忠次郎に悃願した。

 此の期に及んでなお、命乞いをする無様な伊三郎を見ていて、忠次郎は、先代百々の紋次の恨みも、国定一家の怒りも忘れてしまった。たゞ、寂寞たる思いに駆られた。

「伊三郎!手前ぇの頼みを聞いてやろうじゃねぇか。俺はとどめを刺さねぇ。このまゝ、お前ぇを置いて行く。運が好ければ誰かに見付けられ、助かるだろうぜ。運が悪けりゃ、それまでだ。土壇場ぐれぇ渡世人として、手前の命を担保に、丁か半か賭けてみろ!」

 伊三郎が、小さく肯くと、忠次郎は嗤って、文蔵と清五郎を促すと、米岡の原山を後にした。

 島村一家の賭場の客に、新田郡高岡村の組頭をしている、藤七という五十歳前の男がいる。藤七は毎朝、自分の所有する雑木林を散策しながら、見廻りをしている。米岡の原山の林の間の道を歩いていると、近くで鶯が渡り鳴きをしている。利根川を渡り、林を抜けてきた風は、冷気を伴い、昨晩、酒を飲みすぎて火照る躰に、清々しく心地好い。

 突然、前の方で、小綬鶏(こじゅけい)が高い声で鳴くので、目を遣ると、小綬鶏の親鳥が、三羽ばかりの雛を連れて、道を横切った。小綬鶏の動きに連れて目を移すと、生い茂る立木の間に、人が倒れている。近寄って面体を確かめると、島村の伊三郎である。

「貸元!…貸元!……島村の貸元!………」

 伊三郎は返事をしない。

 藤七は恐る恐る、右の掌を伊三郎の口の前に翳して、息をしているか?確かめた。

(……生きている)

 藤七は、境村の役人のところに駆け込んだ。

 藤七に案内された役人は、伊三郎の倒れている場所に駆け付けると、伊三郎の疵を改めた。肩先から背中にかけて、一尺七、八寸(五〇センチ)、腰の回りに二、三寸(一〇センチ)ほどの刀傷が五カ所あった。深手の重傷である。どうしたのか?と、役人が尋ねても、応答はなく虫の息であった。

 早速、使いの者を島村に走らせると、間もなく親類の松之助と、次郎八が駆け付けてきて、瀕死の伊三郎を戸板に乗せて、島村に運んだ。

 その日の亥ノ刻、伊三郎は四十五歳を一期として、幽明を境にした。三日後、島村一家の軍師であると自認していた伊賀左馬之助は出奔して、その後、杳として、行方は知れなかった。

 三百人近くいた伊三郎の子分と一門は、誰一人として、親分の仇を討とうとする者もなく、雲散霧消した。

 伊三郎の、兄貴分であった、武州牧西の兵助は、伊三郎の亡き骸を引き取り、牧西村の宝珠寺に埋葬して、墓石を建て廻向した。

 現在ある墓石は、伊三郎の生家である町田家七代町田丑松が、明治十四年巳(一八八一)三月二十二日に建立したもので、不思議なことに、四尺位の高さで、八寸角石柱で作られている頂部が、斜めに欠けていて、丁度、袈裟掛けに斬ったようで、さまざまな憶測が流布している。

 伊三郎の墓誌に曰く。

 ――天保五年七月二日、故ありて没す

 


加部安と環

 


 代貸の重兵衛に、旅に出た後の一家のことを託して、忠次郎は文蔵と清五郎を連れて、国定村を後にした。

 一年三カ月前に、忠次郎の女房となったお鶴は、母親の嘉津に預けた。切れ長の眸に泪を溜めて、上目がちにお鶴は、忠次郎を見詰めた。

「ご無事で………」

 それだけ言って、目を伏せたお鶴を見て、忠次郎は愛しさを感じた。

 ――渡世人として漢になりたいのなら、女房は持つな。女が必要なら、色女を持て

 兄貴分の大前田栄五郎が、教えてくれたことが、判るような気がした。

 伊三郎を殺っても、渡世人同士の喧嘩である。一年ばかり旅をしていれば、ほとぼりが冷めると踏んだ忠次郎達は、取り敢えず、日光例幣使街道を玉村、倉賀野と戻り、高崎藩領乗附の粂七を頼った。粂七は、忠次郎の先代百々の紋次の舎弟分で、福島一家を名乗っていた。代貸の重太夫は、忠次郎とは面識がある。重太夫の一門に、上州共和一家を創った武田愛之助がいることは、既に紹介済みである。

 福島一家乗附の粂七は、この時六十五歳であるが、矍鑠としていて、剛気な漢である。

 忠次郎は、伊三郎との顛末を、粂七に話した。

「国定の、好く殺ってくれた。お礼を言うぜ。伊三郎は、渡世の交際(つきあい)もしねぇで、銭勘定ばかりしている碌でなしだ。紋次兄貴の長楽寺の賭場だって、薄汚ねぇ策を弄して、八州を使い手前ぇのものにした野郎で、儂は、伊三郎だけは許せねぇと思っていたのよ」

 粂七は、忠次郎の両手を掴んで話を続けた。

「旅先は決めてあるのかい?国定の、もし決めてねぇのなら、関八州を避けて、信州が好いだろう。信州の深志(松本)に、儂の舎弟の勝太がいる。若けぇが信用できる貸元だ」

「叔父貴、ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えまして、信州に行かせて戴きます」

「おお、そうしてくれるか、国定の」

 言うことを即座に聞いてくれた忠次郎に、漢としての器の大きさを感じた粂七は、頬を緩めた。

「それに信州に行くのには、大戸の関所を通らなくてはならねぇ。兇状(いそぎ)旅じゃあ通行手形もねぇだろう。大戸に行ったら、加部安のお大尽を訪ねて、何んとかして貰うといい。儂が添書を書いておく」

「何から何までの心遣い痛み入ります。どうか宜しくお願いします」

 忠次郎は、伊三郎を斬って、直ぐ、福島一家乗附の粂七を頼ったことは正解であったと思った。

 その日の晩、夜の更けるまで、粂七・重太夫・忠次郎・文蔵・清五郎の五人は、酒を飲み交した。

 


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