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『総長への道』

盃を貰う(親子盃式)

二年後に私は、上州田中一家大澤孝次総長から正式に盃を貰った。境町の料亭『天武』の二階の大広間で盃儀式は執り行われた。親・大澤孝次、子・髙田宰夫の親子盃と私の舎弟たちの七・三の盃であった。

見届け人や立会人は行田市の寺谷一家の亀山政男総長・妻沼の広瀬一家の荻原利郎総長・東京の姉ヶ崎連合の橋本秀雄親分・新小岩の常勇会の水原常光会長・近隣の総長たちは殆ど、駆けつけてくれた。

ヤクザの親子盃はこれにより父子の関係を結び一家内の身分を取得するものであるから、最も厳格な作法を以て執り行われる。此の盃は親分・子分たらんとする者、及び仲人の三者で行う。之に使用する器具は「徳利一対」「盃一個」「三宝一つ」で、徳利は如何なる形の物でも好く、多くは不吉でない対模様の物一対を用い、特に欠けたるものを忌む。盃もその形を問わざるも、欠けたるを忌む。三宝(大小を問わず)の上には、三角に折った奉書を戴かせ、その上に冷酒を入れた徳利一対を並べ、前に盃を置き、盃の前に魚二匹を置く、その頭は互いに反対の位置に脊合としてこの魚は鯛・鯉・鮒などにして腹の切れない生魚を用いる。魚の前には箸紙に差してある箸一対を置く。

盃の際、親分が上座に座り、子分は下坐、取持人(仲人)は祭壇に向き親分・子分間で祭壇に向かい左側に座るのである。

取り持ち人「数ならず私に盃を執れとのお言葉に従いまして、獲らせていただきます。盃の順序が間違えましたらお許しを蒙ります」

親分「ご苦労様です」

盃を受ける子分「ご苦労様です」

此の時、取持人は三宝の上に置かれた鯉を直し並べて腹合わせに置く。夫れより取持人は右手に向って、右の徳利を取り上げ、右手の甲に左手の指を添え、盃に一量づづ三度注ぎ、次に左の徳利を取上げ、右と同じ動きで三度注ぐ之で盃は八分目となる。夫れより塩を撮み(つまみ)三宝の中央の一ヵ所に盛り、又箸にて此の塩を撮み、三度盃内に入れ、次に端にて魚を撮み、其の頭を三度盃の酒に浸し、又右手に徳利を持ち、少量づづその盃に三度注ぎ、更に左の徳利を持ち盃に三度注ぐ。之にて酒盃に満たされる。

取持人として、八木田一家の大澤三金吾総長が、よどみない言葉と盃の媒酌の流れるような所作を披露してくれた。この時のかき揚げも(姓名を書いた物を壁に張る紙)は、大澤左金吾が筆と硯を脇に置いてすらすら書いてしまった事が忘れられない。

 盃を鯛や塩に付けて盃を作っていざ私が飲み干す時に、媒酌人を務めた大澤三金吾の言葉が忘れられない。

「この盃を飲み干す前に言っておく。この盃を飲み干した時から、髙田は大澤孝次総長の正式な子分として渡世を執ることに成る。渡世とは親が白い者を黒いと言っても、それに従わなければ成らない。その事をしっかり自覚をしてこの盃を飲みなさい」

「はい。承知いたしました」

「盃を一気に飲んだら、前に置いて有る奉書に盃を包んで懐中深く納めなさい」

私は緊張をしていた。

(この盃を飲むことにより一般社会から完全に離れてヤクザ渡世を生きて行かなければならない。そして何があっても俺は総長に成ってやるぞ…)

この盃と同時に私の舎弟となった者は六人いた。筆頭舎弟は現在髙田一家の総長補佐をしている杉山良行と島村芳雄・杉田幸一・小沢稔・稲村武。井上安次であった。そして私は上州田中一家の事務所の責任者に抜擢された。

昭和四十六年一二月二五日クリスマスの夜であった。この頃はキャバレーが華やかな時であった。兄貴分の落合と舎弟の杉山・島村と片柳達に私は言った。

「クリスマスだから太田の『月世界』にでも行って羽を伸ばして来いよ。事務所は俺が留守番をしているから、心配をするのじゃねー」

この頃はジャブの後遺症から立ち直った落兄ィも、事務所に毎日顔を出すようになっていた。杉山も島村・片柳も無類の酒好きである。私から事務所の経費十万円を受け取ると未だ、薄暗い内から三人は二人ばかり若い者を連れて太田の『月世界』というキャバレーに喜び勇んで行った。

残った私の所に堅気の友人である大澤旭と井上が、酒を二升ばかり持って遊びに来た。事務所で三人して、酒を飲んで世間話をして大笑いをしたりしていて時が過ぎた。十一時半ごろであったと思う。落兄ィから、呂律が回らない口調で電話があった。

「髙田、親分の家の方を気を付けてくれ」

何を言うのだろうと考えて落兄ぃに訊ね返した。

「何かあったのですか」

「何もねーけど親分の家の方を気を付けて見ていてくれ」

その儘、電話は切れてしまった。どうも変だと思って親分の家に電話をかけて落兄から電話を受けたことを告げておいた。

「又、落合の野郎が何かを起したのだろう。放っておけばよい。俺は心配ない事務所の方を心配して置けよ」

「はい解りました。私は何が起きても誰が来ても大丈夫です。親分の方に何かありましたら直ぐに連絡を下さい」

「大丈夫だ。心配をするのではない」

電話を親分が切ったので私は、もし事務所に何かあった場合、堅気の友人たちに怪我でもさせたら大変だと思って大澤旭と井上に言った。

「向うに三和商事の事務所があるから、向へ行って飲んでいて呉れないか」

「何か起きたのですか。俺たちもここに居るよ」

男気がある大澤旭は酔いが回っているので、元気のある言葉を吐いた。

「とにかく頼むから三和商事の方に言ってくれないか。さあ、行った。行った」

追い払う様に二人を三和商事の事務所に行かせた。一人になった私は事務所の壁に懸けてある備前長船の脇差を手にして入念に傷はないか調べていた。

すると外から、ドタバタという足音が聞こえてきた。

「大変だ、大変だ。三和の事務所に拳銃が撃ち込まれた。髙田、早く来てくれよ」

大澤旭が普段でも丸い眼をしているのに、真ん丸に目を瞠せて私に報告をした。

話しが終わらない内に私は備前長船の脇差を手に持って、三和商事を目指して走りはじめた。そこには井上が、相当酔っぱらった様子でニタニタ笑っていた。

「誰がハジキを撃ちこんだか分からないか。細かい事でも好いから教えてくれよ」

拳銃の弾は三和商事の玄関先の壁に、三発突き刺さっていた。どうも玉が小さいから二二口径ではないかと思った。

「大澤あっちゃん。どのような顔をした者が、拳銃を撃ち込んだかは覚えていないか」

「俺と井上で飲んでいる所に玄関の戸を開け拳銃を向けたので、俺は伏せてしまったから顔は解からない」

「井上、何か覚えているか」

「私は髙田さんが、悪ふざけをしてやったのだと思いました。だから怖いとも思わなかったし、車が白いムスタングで逃げたのを覚えています」

「よしそれだけわかれば、誰の仕業か分かる。二人共今日は早く家に帰れよ」

「気を付けて下さい。奴らは拳銃を持っていますから」

「心配ないから早く家に帰れよ」

私の事が気に成るとみえて中々帰らなかったが、私が親分に電話報告をしたのを見とどけて二人は帰って行った。

「親分すいません。ハジキを撃ちこまれてしまいました。現状では白いムスタングで急いで逃げたと井上が言ってます」

「わかった直ぐに行く、事務所で待っていろ。そして全組長に集合を掛けておけ」

親分の命令を聞き私は直ぐに、安野組・杉本組・宮田組・笹野組・蓮実組・新井組に事態を報告して、上州田中一家本部へ集合を掛けた。

一時間もしない内に、各組長は若い者を五,六人引き連れて上州田中一家本部に拳銃を持って集合した。

(いよいよ、抗争が始まる。もう一度この事務所に来たら、俺が叩き斬ってやるぞ…)

私はヤクザになって初めての抗争が始まりそうなので、胸がわくわくしていた。そして必ず、このお返しはしなければ成らないと考えていた。

 


朝方になり落兄ィ・島村・片柳達は帰ってきた。どうやら杉山は別行動であった様である。早速、全組長がいる前で落兄ィは、親分に問い詰められた。

「落、お前は何かをしでかしたな。何所で誰に何をしたか、話してみろ」

落兄ィは、事務所の奥の部屋で親分の前で正座をして俯きながら、話しはじめた。

「月世界に行ったら、大泉の赤石の野郎が、俺に挨拶もしねーで、若い衆を連れてデカイ面をして飲んでいたので、便所に連れて行き踏んづけてやりました。それ位でハジキをブチ込むとはあの野郎舐めていやがる」

「落、馬鹿な事を言うのではない。踏んづけられて黙っていたのでは、これから先、渡世が執れない。そのような時は赤石を呼び諭してやればよいのだ。お前も一度は親方をやった人間じゃないか」

「すいません。勘弁してください」

「やってしまったことを今更、如何のこうの言わないけど、落、前後を良く考えて行動をしろよ」

親分のこの言葉を聞いて落兄ィは、事件の原因を作った事を勘弁して貰ってと思った。確かに、この当時の親分は、出来たことに対して、ぐずぐず言わない人であった。

「処で三和商事の事務所に、ハジキをブチ込んだ野郎は、許す事が出来ない。理由が何であろうとこの借りは、返さなくてはならない」

元、寄居一家の藤岡の貸元である。笹野義男組長が、一番の年配らしい発言をした。

「確かに、家にハジキを撃ちこんだ野郎は許す事が出来ない。然し、この件にも原因は家にある。だから相手を許す事も又、男としての度量ではないか」

籠原に事務所を持っていた宮田茂組長が、角口をして、笹野組長の言った事に反論した。

「兄弟。そんな生易しい事をしていたら、この世界でやって行けないぜ。上州田中一家にハジキを撃ちこんだらどうなるか、良い機会だからハジキを撃ちこんだ者達に教えてやる必要があると思うぜ」

館林の安野組組長が、周囲の組長たちを睥睨するようにし、ドスの聞いた声を出した。

「一家の本部にハジキを撃ちこんだのだから、腹を括っているに違いがない。こんな処で、あじゃないこうじゃないと言っている場合ではない。多分、ハジキを撃ちこんだのは香具屋一家だから、誰が、お返しに行くかだ。それを決めようではないか」

その様な議論をしていた時であった。突然玄関の方に人影がした。私はスーと立つと事務所の壁に懸けてある。備前長船の脇差を手にした。玄関口に立った二人の男は大きな声で言った。

「総長はいますか。いたら出てきてください」

「……」

「総長はいますか。いたら出てきてください」

「……」

「総長はいますか。いたら出てきてください」

三度同じ言葉を言ったので私は、これは総長を狙ってきたと判断をして、脇差の鞘をはらりと抜いた。そして左手で玄関の引き戸を引いた。直ぐに脇差の先で肥って貫禄がある様な者の腹を少し突いた。脇差の先は腹の中に新聞紙か週刊誌が入っているように感じた。直観的に喧嘩支度である事を見破った。古来より渡世人と言われたやくざは喧嘩の時は、腹に紙を厚く巻いてやると刀で切られても斬りづらいのである。

「この野郎。いい度胸をしてやがる。これでも喰らえ」

私が脇差を振り上げると体を躱すように、体を移動させて逃げる様子を見せた。とっさに判断をして肥って貫禄がありそうな五十年配に男の腿を斬りつけた。途端に男は崩れ落ちた。その背中をもう一太刀切り付けると白鞘の柄は割れてしまった。同時に脇差の刀身は何処かに飛んだ。仕方が無いので今度は素手で抑え込んだ。するといつの間にか舎弟の杉山が、飛んでしまった刀身を持って肥った貫録がありそうな者に、右足を掛け切っ先を突き刺そうとして反動をつけた。

「助けてくれー住吉の野田の掘総長の使いで来たのです」

その声を聞いた上州田中一家の親分は大声を出して杉山を止めた。

「まてっ、杉山、堀総長の名が出て斬る訳には行かない。刀を離せ!」

杉山は怪訝そうに声を掛けた親分の方を見た。鷹を射るような眼をした親分を見て、杉山は脇差の刀身を手離した。

「安野この男を深谷の桜ヶ丘病院に運び込め、先生には俺が電話をしておくから、心配はするのじゃねーぞ」

安野組長が、誰が連絡をしたのか、直ぐに深谷市の八木田一家総長である大澤三金吾が小谷野一郞氏を連れて飛んできた。

「兄貴。髙田が、野田の掘総長の使いを斬ってしまったよ」

「偉いじゃねーか。髙田がやらなければ、遣られたままに成ってしまう。髙田良くやった俺はお前みたいな若い者が大好きだ!」

私自身、一家の為にやった事であると思っていた処へ親分が、住吉会掘総長の名前を出した男の事を気にしていたので、悪い事をしてしまったかなとも思っていた処であった。

大澤三金吾総長の事件の処理は速い。杉山を呼ぶと直ぐに命じた。

「その辺にある包丁でも持って、境警察に出頭しろ。そして、殴り込みに来たので仕方が無いから夢中で包丁を振り回した。何所が切れたか分かりません。自分がやった事は間違いがありませんといえばよい」

それを聞くと杉山は直ぐに、宮田組長の車に乗って境警察に出頭した。上州田中一家に来た者は住吉会浅草の日高という親方であった。この人の親は日高三治という名のある侠客であったそうな。一緒に来たのは太田の香具屋一家のスナックを経営している山崎という男で道案内できたと一家の者が捕まえてからの尋問で答えた。

この事件で杉山は二十日間拘留をされて出てきた。罰金幾らであったかは忘れた。事件の話し合いは一ヵ月余り後の新年になった時の事である。

 香具屋一家の総長は、住吉会の最高顧問であり、上州田中一家の総長も住吉会の掘総長も顔を立て敬意を示していた人で在り、香具屋の一部の若い衆が勝手にハジキを上州田中一家に撃ちこんだことが解かった。

何故、上州田中一家の総長である大澤孝次が、香具屋一家の総長である大町利一を尊敬して立てているかは、大澤孝次が二十代の頃、旅人として世話に成っていた館林の香具屋一家の藤生保総長への渡世の義理から喧嘩の助っ人して、大町利一の前に行き刺し子を被っていた大町の顔を斬りつけた時に、大町が腕組みをしたまま、うんともすんとも言わないで顔を伏せずいきがって上を向かずにいたことが、男とはこうあるべきであると思ったから、生涯尊敬をしていたのである。上州田中一家の大澤孝次総長にとり、香具屋一家の総長大町利一は、あらまほしき漢であったのに違いがない。

 


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