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日嗣の皇子

大空を翔く倭健伝説

大白鳥は何処に

何人かいた供の者は、倭健が息絶えたので驚いてすぐさま早馬をしつらえて都の大君の元へ奉ったのである。

倭健が息絶えたと聞き妃や皇子たちは皆揃って能煩野に下り来て、その葬の為に庭を作り、亡骸を納める喪屋を建て、倭健の御魂を呼び返して、また、鎮めようとする祈りをする為に、すぐさま葬を執り行った。

そして、妃や皇子たちは、喪屋に添って作られた泥田に入り腹ばいに成って転げまわりながら声を上げ哭きつつ歌うのである。

泥んこの田に残る 稲の茎に

その稲の茎に 絡まり這い廻る

山の芋の蔓よ

すると倭健の魂は、その骸から抜け出て、八尋もの白い鳥となり天に翔り、浜に向って飛び去って行ったのである。

「あっ、オオハクチョウに成って天をかけ始めた」

皇子の一人が言うと全員が、オオハクチョウが飛んで行った方向へ、土に生えた小竹や切り株に足をとられ血を流しながら、その痛さも忘れて哭きながらオオハクチョウを追いかけた。

そして歌った。

丈低い篠原を歩んで 腰はよれよれ

空を飛べぬ人の身は もつれつつ足で行くよ

又、飛び去る八尋のオオハクチョウを追い海の中に入り、塩の水に浸りながら行く時も歌っていた。

海の中を行くと腰はよれよれ

大きな河面の 浮き草のごと

海の上を漂って

未だ飛び翔るオオハクチョウを追って、ごつごつした磯を辿る時にも、倭健の魂を呼び返そうとして妃や皇子たちは歌い続けた。

浜の千鳥は 浜辺を行かず

磯伝い

その倭健の魂であるが、伊勢国の能煩野から飛び翔り行き、懐かしい倭を飛び越えて河内国の志磯に留まった。それで、そこに御陵(みはか)を作り鎮まり坐さしめたのである。そこでその御陵を名付けて白鳥の御陵と呼んでいるのである。然し、倭健の魂はさらにそこから高く天に翔(かけ)り、遠く深く飛んで行ったのである。





終わりに

本居宣長が古事記研究者では国内第一人者であり、宣長の心を射止めて生涯の研究に没頭させた古事記には日本人として、知っておかなければ成らない史実が多くある。その古事記の中でも燦然と輝きを放っているのが、倭健の命である。その倭健に日本人が外国の文化や歴史・知識に振り回されていない時代の情粋な大和心を託して書いてみたかった。

父である景行天皇から疎まれ東征させられ、歌や地名を多く残した倭健の最後は英雄らしく悲劇で終わっている。悲劇だからこそこうして、物語を紡ぐことができるのである。オオハクチョウに成って大空を翔ける倭健、眼を閉じるとそのシーンが浮かんで来るようである。日本の古代いや神話時代の研究をもっとやらねば成らないと感じつつこの物語を終わらせる。

平成二十六年一月五日                六天 舜





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