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負 け な い 静 代

 八月の保険の契約髙の成績順位は、一位が、中村絹江二位が、金井美子・静代は、第三位になった。佐野史江・小谷野歩たちもその後に続いて契約を結んできていた。問題であるのは、先口美千代が今までの定位置である十位を取れずに、十三位に転落した事である。

美千代は、自分が十位以下に転落したのは、静代が来て多くの契約を結んだので自分が取れなくなったと単純な脳で考えて静代を逆恨みした。

 自分の器量を知らない者は多く居るが、美千代は、典型的な視野の狭い独りよがりの女性である。

 早速。仕返しをしてやろうと思い。社内のリサーチ部門の統括である。杉浦洋太のところに行った。杉浦も物好きなところがあり時々、美千代と江南地区にある「レジャーハウス美松」に行き白昼の情事を楽しんでいるのである。

「統括。今日はどうです」

 美千代は、色気など全く感じない女性であるが、杉浦に細い眼でウインクをした。

「暇で参っていたんだよ。先口さん。例の所へ行こうか」

 美千代は、心の中でしてやったと思い返事をした。

 三十分後には、美千代と杉浦は「レジャーハウス美松」の天井に鏡が着いている部屋で抱き合っていた。

 愛というのか性欲というのか、二人の行為が終わり、太鼓腹を出して仰向けに寝転んで荒い息をしている杉浦に、美知代が鼻にかかる声を出して言った。

「貴男。御願いがあるの、聞いてくれる」

「何だい。愛する女性の言う事は何でも聞いてやるぜ」

「実は、今月から外交員として勤めている大沼静代のボロを探りたいの」

 杉浦は、驚いた顔をして美千代の顔を正視した。

「実は、その件については、営業本部長に依頼されて、彼女に対する情報は全部報告したよ」

「それで何という答えが出て来たのよ。貴男」

「この件については、営業本部長から絶対に口外しては駄目と口止めされているのだが、美千代のたっての頼みとあれば、この杉浦の重い口は、開かなくてはならないな」

 美千代の細い眼の中の瞳が輝いた。

「どんな秘密が、静代に隠されているのよ。早く教えて」

 杉浦は、体を起こしてベッドの上で胡坐をかくと口を開いた。

「大沼静代さんのご亭主は、殺人犯として現在、宮城刑務所に服役中だ。刑期は五年、正式な罪名は過失致死罪だよ」

 美千代は、重い体を弾ませて杉浦に抱きついた。

(これで、上品ぶっている静代を会社から追い出せる。わたしを舐めたバツは必ず受けさせるわ・・・)

恐ろしい女性がいたものである。静代は、美千代に好意は持っていたが、敵意は全く持っていない。

「レジャーハウス美松」から帰ってきて直ぐに、美千代は行動した。

美千代が可愛がってくれていると思っている専務の斎藤達也の部屋の扉をノックすると斎藤から声が掛った。

「先口さんでしょう。お入りなさい」

「失礼をいたします」

 大きな体を竦めながら、恐縮しているような仕草をして美千代は、専務の部屋に入った。

「今日は又、何か良い情報でも掴んできましたか」

「はい。専務、実は社内のことですが、今月入社をした大沼静代さんのことで、ちょっとお耳に入れておいた方が良いと思いまして・・・」

「如何したのですか大沼さんが」

「あの人のご亭主は、殺人で刑務所に入っているとの事です。わたしは、怖くて一緒にお仕事ができませんし、周りの仲間も怖がっているのです。それで何とかして戴きたくて専務にお願いに参りました」

 専務の斎藤は、普段からお喋りの美千代を、人間的には嫌いであるが、社内の情報を素早く聞いて持ってくるので重宝がって使っていた。今日も厭な事を聞きつけたなと考えながら、うわの空で美千代の言う事を聞いていた。

「それは大変な事ですね。どうしたら好いのでしょうか」

「専務。首にしないと田安生命に、傷がつきます」

「解りました。どうなるのかは、解りませんが、一応社長の耳には入れておきますよ」

 美千代は心中でしてやったと思って、専務の斎藤に、大きい体を二つに折り深々と腰を曲げ挨拶をした。

「専務ありがとうございます。今度又、何かありましたらご報告いたします」

 丁寧に、専務室の部屋の扉を閉めると美千代は、いそいそと廊下の隅を歩いて、エレベターに乗り営業部の部屋に帰って行った。



翌日。出勤をすると佐野史江と小谷野歩を自分の傍に呼んだ。

「二人共。良く聞いてちょうだい。大沼静代さんのご亭主は、殺人者です。その事をよく踏まえて親しくしては駄目よ」

 細い眼を更に細くして、威嚇するように美千代は言った。

「美千代さん。大沼さんが、殺人を起こしたわけではないです。貴女も含めてここで外交員をしている人は、誰でも人に言えない過去を重く背負っていると思いますが」

 美千代が、若い頃。暴走族で少年院に入った事を知っている史江は、納得がいかない顔をして、美千代に言った。

「何を言っているのよ。今更、昔のことを言うよ。大事であるのは現在のことよ」

美千代の粗暴性があるのを知っている史江は、美千代の一喝で口を噤んでしまった。

「歩。史江二人共、貴女達解っているのでしょう。大沼さんとは付き合っては駄目よ」

 不肖不精二人は、美千代の過去を知っているだけに、頷いてしまった。

 美千代の性格はしつこい。次は、誰の所に行ってこの事を話せばよいか考えて、営業本部長の覚田真理子のデスクの前に行った。

真理子は、にこにこ笑いながら美千代を迎えた。

「美千代さん。今日は何か特別なご用があるの」

 営業本部長として、保険会社の経営の業績に一番関係が深い外交員を束ねている覚田真理子である。美千代が、何を自分に言いに来たのかは解っていた。

(困った人。先口さんは、ここの外交員の中の獅子身中の虫だわ。何か失敗をしたら解雇してやるわ・・・)

 そのような事を真理子が、考えているのも知らずに、美千代は周囲を見渡しながらデスク越しに、真理子の耳に口を近づけた。

「本部長。大沼静代さんのご亭主が、殺人者であるという事を知っておりますか」

「解りません。個人の誹謗中傷は、社内では禁止されている筈です。貴女。ご存じないの。第一どのような人間にも第三者に、触れて貰いたくない過去があるはず。まして、大沼さんは、自分で何をしたという事ではありません。貴女も他人のことを心配しないで今月は売り上げも落ちているでしょう。少し気合を入れて頑張らなければいけませんよ」

 美千代は、静代の事を話しに来て、自分の成績が落ちたことを言われ藪蛇になってしまったと考えた。

「すいません。わたしが、勧誘に行く先々に大沼さんが既に行って、契約を取ってしまうのです」

真理子は、薄笑いを浮かべて美千代の眼を見ながら口を開いた。

「はっきり申します。売り上げも大した売り上げをしないで、頑張っている同僚の悪口を振りまいている人は、田安保険には要りません」

 感情の起伏が激しい美千代は、真理子に挨拶もしないでデスクを離れた。

(ちくしょう。静代も静代なら真理子も真理子だ。こいつらは、橋石に頼んで痛い眼に合わせてやろうか・・・)

 性格の歪み切っている美千代は、自分を振り返ることを絶対にしない。常に自分は正しいのである。この様な女性を妻にしている者は、余程の馬鹿かお人好し又は、聖人君子であろう。

 性格に粘着性がある美千代は、静代が会社に戻るのを待っていた。静代は三十分もしない内に帰ってきて、営業本部長である真理子に今日の契約の報告をしていた。

「すごいはねー静代さん」

 同じ部屋に居る美千代には、真理子があてつけで言っているように聞こえた。静代は元より真理子に対しても敵愾心を燃えさせた美千代の顔は、眼を吊り上げて口をへの字に曲げていた。

 このように恐ろしい女性が、同僚にいるとは静代は少しも知らなかった。

「大沼さん。ちょっと来てよ」

「はい。なんでしょうか」

 部屋の外に静代を呼び出した美千代は、暴走族の時、人を脅した時のような顔をして静代を威嚇した。

「あんた。調子に乗るんじゃないよ。外交員には外交員の仁義というものが有るのよ。先輩に少し遠慮があって当たり前でしょう。第一あんたの旦那は殺人で刑務所に行っているのでしょうが、その女房が田安に来て働いて良いのか悪いのか、良く考えて見なさいよ」

 静代憎さだけで、この様な人の心を突き刺すような言葉を感嘆に吐く美千代の神経は、普通ではない。美千代に言われてショックを感じたことは確かであるが。夫が殺人者であると言う事実は隠しようもない事である。静代は根本的にはプライドが高いが、美千代の様な人の心を慮る事が出来ない者を、相手にしても仕方が無いと考えていた。

「美千代さん。わたしが貴方に対して失礼な事をしたらしいけど、それだったら謝るは許してね」

 そこまで言われたら幾ら、意地悪な美千代でも次の言葉が出ない。

「解ったわ。要するに、その気にならないことを約束してよ」

「よく承りましたわ。今後とも宜しくお願いいたします」

 美千代は一応満足をしたようだが、来月、自分より契約髙が多かったら絶対に許さないと心に誓った。

 静代は、世の中には色々な人がいて、自分で何も思っていなくても相手が、憎んでいる場合があるから気を付けないといけないと思った。

(何があっても剛史さん。私は負けないわ・・・)