盆暗




































伝説の侠・岸本卓也



一九九二年(平成二年)初夏・青葉若葉が、青嵐に乱される頃、稲川会本部長岸本卓也と横浜の覇者・稲川会執行部、杉浦組杉浦昌宏組長は、三代目会長から一家を名乗る事を許され『一家名乗り披露式』が熱海本家大広間で執り行われた。

この時既に、二人とも組長ではなく総長の器量と実力を兼ね備えていた。

承認・三代目稲川会稲川裕紘会長。

取持人・三代目稲川会角田吉男理事長。

媒酌人・三代目稲川会森泉人名誉顧問。

見届人・三代目稲川会清田次郎執行部始め全執行部及び常任相談役。

立会人・三代目稲川会直参全員。

 概ね、このような役目を仰せつかり、岸本組長と杉浦組長の『一家名乗り披露式』は執り行われた。

大広間正面中央には『天照皇大神』の掛け物が、日の丸の旗の上に掛けられ、祭壇には捧げ物として、お神酒・米・盛塩・鰹節・榊に大根、人参・葱を各三本ずつ縛し、串柿・勝栗・銀杏・八さく・橙・昆布を飾りつけ向鯛が置かれていた。

私が知っている限り誓盃儀礼で祭壇に捧げる物の意味を紹介しよう。

大根、人参、葱の意味は(根の物)で末永く縁が続く事で、串柿、栗、銀杏は(数多く実る)から、数限りなく栄える。

八さくは、末広がりの八であり、橙は玉を、海老は足数多き客、昆布は大海の広い交際と古人に聞き及んでいる。

式を始めるにあたり、森泉人名誉顧問から、媒酌人のお祝いの言葉が、発せられた。

「この式を執り行うについて、不肖、森泉人が盃を取らせていただきます。盃の作法は古来より、各一家それぞれの流儀がありますが、本日の一家披露の盃は森流で執り行います故、御一同様には承知おき願いまして、お祝いの盃を執らせて戴きます。

本日只今から、お目出度き一家名乗り披露が行われます。三代目稲川会会長稲川裕紘親分の御承認を戴き、岸本一家・杉浦一家両家の初代と成られます岸本卓也・杉浦昌宏両氏に心からお祝いを申し上げます。それでは盃を執させて戴きます」

森泉人名誉顧問の、流れるような盃の所作と流暢な挨拶が印象に残っている。

岸本・杉浦両総長の一家名乗り披露盃は、執行部代表のお祝いの挨拶と最後の手締めまで二十分はかからなかった。

森流により一家名乗り披露盃が執り行われたが、そこに展開される光景は各人の役割による演技により一種の演劇である。

印象的な行為と森厳な雰囲気の裡(うち)には、理性を超越した感情の潮流が溢れる様に流れ、新総長は無言の内にその感情を自己内部に浸透させた様だ。

私も、式に吸い込まれるように、感情過多になっている自分を感じた。

尤も、岸本新総長はゴルフで負ける度に腹が立つが、数日会わないと会いたくなる碁敵に等しい間柄で、杉浦新総長は兄弟分の岡野秀雄と縁がある人だったから猶更である。

式が終了して全員一度、二階の広間から出て一階で十分程、待ち広間に戻ると宴席の用意がしてあった。

熱海本家の相馬班長の指揮の元、本家部屋住が、汗を流しながら急いで宴席を用意したものである。

因みに、この頃、髙田組からは、荒木健司が部屋住をしていて、会長や相馬班長に眼をかけられていた。、私としては嬉しい事である。

 宴席には熱海芸者の綺麗どころが、三十人程いて、行事がある度に顔を合わせているので知っている顔が、何人もいて挨拶をしてきた。

ここで総長が総長たる由縁の私論を述べておこう。

集団の内外から注目される特性として、先ずその『身体的条件』であるが、背の高さや体重は別として、一般的には基礎体力が優れている。

取り立てて大きいわけではないが、少なくても腕っ節は相当強い感じを与えそのような肉体的条件を兼ね備えている。

そして、外貌も鋭く威圧感を感じさせる。

『知能』は純粋な知能の面は別として、学歴では他の社会の指導者とは違い低いのが通常である。

昔のヤクザは字が読めないことを埃としたが、暴力団取締り新法などという人権無視の法が施工されたりするとヤクザも字が読めないではやっていられない。

唯、命令形式と単線型の行動を要求するこの社会では、決断と実行が重要であるが、共同共謀共犯などと言う自分で、事件を起こしていなくても逮捕される法律が出来ると総長たるものは勉強せざるを得ない。

従って、従来のように無知無能であっては、総長は務まらない。

『緊急時に発揮される対応能力』総長は多くの子分を統御するだけの実力を備えていなければならない。

総長の元気が良ければ、若手で活発な子分も多く集って来る。

その子分は何れも、一筋縄ではゆかない人格者で、例えば刑務所を出て親の所に帰れない者・博打で財産を無くした者・不良で誰も手を付けられない者・兄弟も相手にしないで放って置けば、強盗でもやらかすに決まっている者・そんな者たちばかりなので、総長はこれを制御するに強烈な超絶的人格を必要とする。

強烈且つ、超絶的人格は、腕力だけで割りきれない特異な行動の仕方に見られる。

具体的には、総長の貫禄や胆力・度胸にあり、その度胸こそが、非常的な危急場面で発揮されるのであり、この性格特殊性が総長の総長たる由縁で、平常良い事を言っていても、いざと言う時に弱かったら子分は心服しないのである。

岸本総長を歌った歌がある。私には誰が作詞して曲を付けたのかわからない。

一、昔ながらの浅草に

人に知られた岸本は

線が太くてこせこせしない

欲のないのに侠(おとこ)ぼれ

二、あまた親分数ある中に

話のわかる岸本は

稲川のためなら命を的に

侠らしさの好い侠

三、今の時代は大きな腹で

良いも悪いも飲み込むほどの

力なければ役には立たぬ

侠度胸の岸本卓也

岸本の生まれた向島から、浅草界隈で歌われていた堅気の人たちが、地元出身の岸本に賭ける期待の歌ではないだろうか。

 こうして、岸本という侠を書いていると総長とは何か、その潜在能力として「腕」・「度胸」・「社交」・「資力」・「統率力」の五条件を備えているのが解かる。



岸本一家が大きくなると総長である岸本が、知らないところで一家内の組長が拳銃の音をさせる。

東京拘置所から出所してから、本部長になり岸本のヤクザ渡世を執る姿勢は変わっていた。

抗争に抗争の明け暮れで、全国にその名を知らしめた岸本のヤクザ渡世の執り方は力を以って仁を仮(か)る、覇道であったが、稲川会の本部長になり、覇道から、王道渡世に自然切り変わっていた。

孟子も言っている『徳を以って仁を行う者は王たり』拘置所で思索をして、意識をして覇道から王道渡世の切り替えたのか、自然にそうなったのは解からないが、私はよくそこまで、岸本がなってくれたと喜んでいた。

ヤクザ渡世で始めから、喧嘩一つもしない王道は似非王道である。

抗争に抗争を重ねたう上、王道渡世に切り替えたのは、現在の六代目山口組司忍組長だけである。

戦闘の裏づけなくして、何が王道渡世であるか。

ヤクザ渡世で、喧嘩の一つも出来ず徳を重んじる王道はない。

『身を殺しえて仁を為す』王道の道は自分の幸福より、仁と言う人に対する思いやりがあって初めて実現するのである。



岸本が初代岸本一家総長になり、王道渡世を取り始めたころ、小田総長は、更なる利用価値を見出し岸本に近づいてきた。

又、一年後、甲府初代山梨一家川上三喜総長が瞑目した。

川上総長が瞑目したことにより、跡目問題が浮上した。

小林山水代行か、近藤登本部長か、何れかが跡目になるかで、一家内で揉めて派閥争いが始まったのを見て、岸本本部長が三代目会長に、近藤登を推薦した。

会長も近藤組長は、ゴルフをやる時、常に付いてきているので、性格もわかり総長の器と見て可愛いさも余って、近藤登を山梨一家三代目総長として承認した。

総長となり、近辺の的屋を吸収したり、稲川会のために獅子奮迅の働きをしていた。

私が、銃砲刀剣類所持取締違反で熊谷署に逮捕された時、秘書の代表として面会をした。

「心配をお掛けして申し訳ございません」

「皆、心配しているよ。弾きをぶっ放すと長いよ」

「そうですね。十年は覚悟しています」

「髙ちゃん。もう生きて会うことは出来ないね」

「そんなに肝臓が悪いのですか」

「若い頃から、悪いことばかりしてきた罰だよ。仕方が無いね」

「そんなに寂しいことを言わないでくださいよ」

「天命と言うこともあるだろう。これは如何ともしがたいよ」

こうして、近藤総長は面会を終えると急激に、老けた顔をして帰っていった。

その後、私が警視庁に逮捕され、東京拘置所に接見禁止のまま四年間座っていて言語障害となり、宮城刑務所に服役し、言語障害が直りかけた頃、山梨一家二代目総長は幽冥境にした。

今考えても、近藤登総長とは何時も、ゴルフをプレイした仲で、ホテルの部屋も同じツインの部屋に寝たことも、数えたら数えられないほどである。

腹が据わっていて穏やかな性格であったが、ことゴルフに対してはシビアであった。

私が逮捕される少し前から私は、近藤総長にゴルフで勝てるようになり、自信が持てた。

然し、この頃から、もしかしたら近藤総長は、肝臓が大分悪いのではと思い岸本総長へ話した事がある。

「プロは何処か、体が悪いのでしょう。簡単にゴルフが勝てるようになりましたよ」

「何時も言っているのだ。良い医者を見つけてみて貰えと・・・」

この章を書き終わるが、近藤登総長のことを思いだすと涙が出てきてしまう。

甲府で近藤総長の代行であった佐野氏が侠友会を創り、稲川会と反目して抗争まで引き起こしているので、近藤総長の墓参りに甲府には行けない。

何れ行く事ができると思うが、抗争の当事者に私から詩を送りたい。

七歩詩                  曹植

煮豆燃豆萁 豆在釜中泣

本是同根生 相煎何太急

豆を煮る為に、豆萁(まめがら)を燃やす。豆も豆萁も同じ豆の根から生じたものなのに、煮る煮られる間柄のなるとはなんと酷いことではないか。

三国志の中で三国を統一した魏の国の曹操の倅、曹丕が、曹操が死ぬと後継者の座をめぐり、弟の曹植を捕らえ逮捕連行した。

「曹植よ。お前は分才があると聞くが、七歩歩いて詩を詠めるなら許そう」

即座に、上記の七歩の詩を詠んだ。さすがの曹丕も涙を流し皇后のとりなしもあり、弟の曹植を許したのである。