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見識を持つ

 男と言うものは、このような時はこうする。あのような時はああする。このことはこうであるという見識を持たなくてはいけない。

見識とは、確りした考えを以て物事の本質を見通す眼力を持つという事です。

読書により人生経験により見識は得るものであり寂しい思い。悔しい思い。悲しい思い。喜びや悲しみを経験して掴むものです。

この見識は生きて行く上で大事です。

見識無き者は、物事の本質がわかりません。このような人を相手にしていては、自分の大事な人生が無駄になります。

人生は一度しかないのです。一度しかない人生を無駄にしたら生まれてきた意味がありません。人生は大事です。

その人生を大切に生きて行く上で見識は必要なものです。人間同士の会話や商談・自分の人生における愛・友情・男・女・国・世界・社会・に対して、いかにして生きると言う持論を持ち誰に対しても、堂々と開陳で出る人を指して「あの人は見識がある」と言えることになるでしょう。

見識とは、本で読んだことをよく咀嚼し思索して自分の体内に、行き渡らせるものです。読んだり聞いたこと直ぐに・人に話すことはいけません。よく咀嚼して思索して血液のように、自分の体内に行き渡らせなくてはただの知識となり見識にはなりません

孔子だって言っています

「子曰く、道に聞いて道に説くは、これを捨てるなり」

意味は。行く道の途中で善いことを聞いてすぐ行き先の路上で、逢った人にそのことを説いてそのまま忘れてしまうのは、心に養うこともできず、身にもつかない。これは自ら徳を捨ててしまうことになる。

「道聴途説」と言う四字熟語になっていますね。

僕は、二十歳頃から「論語」に親しんで今尚。「論語」を座右においていますが、論語ほどこの様な政治や社会が混迷して国民に閉塞感を与えている時代の生きて行く叡智を与えてくれるものはないでしょう。

孔子の言う人間の性は善である。然しその善性をほっておくと、子供が成長する過程で周囲の悪に染まってしまうから、学門は必要である。

荀子は、人間は生まれた時から悪い性格を持って生まれるから、学問を以て正しい道へ導かなくてはならない。

この論議は百家争鳴して古代から中国の学者の間で議論されてきた問題で、僕は思います。善悪という事を別にしたら「学問」の大事さを言うのであり学問をすればよいのではないかと思いますし、荀子も名言を残しています。

青は藍より出でて藍より青く氷は水より為して、水より冷たし」

学問は一生懸命に努力をすれば、先生より立派な人間になれるという事です。

僕は学問などと言うと直ぐに勉強という事が頭に浮かびますが。この人たちの言っている学問は、心の持ち方を重点にした「人間学」なのです。

だから最初の言った通り人間と言う「樹」を自分で育てるのには、中国の儒教と言われている人間学の本を、太い幹にして大きくなってもらいたいと思っています。                                                                                                                           

儒教と言うと難しいと考えがちですが、決して難しくはありませんよ。