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日本侠客列伝其の一

おとこ達の賦

国定忠次郎の生涯


 代官領に住むことは、上州にいるのと何ら変りはなく、危険極まりない。怪訝に思った忠次郎ではあるが、以伝次の漢を信じた。

 そのうち、忠次郎が中野にいるのを聞き付けて、茅場の長兵衛の代貸をしていた曽我の新蔵が、子分を連れて来て、賭場を開くようになった。幕府の八州取締出役に指名手配されている忠次郎が、幕府の天領で堂々と賭場を開いていられるのだから、以伝次の中野代官所に対する影響力は、刮目すべきものがある。

 忠次郎は、嘗て、島村の伊三郎を殺した時、信州を旅して、松本の深志一家の貸元である勝太の所に草鞋を脱いで、一方ならぬ世話を受けた。その内、勝太を訪って、久闊を叙したいと考えていた。

「親分。深志一家と松代一家の喧嘩があるという話です。両方共、助っ人が陸続(りくぞく)と集まり、大変な騒ぎです。松代一家の貸元は、以伝次さんと兄弟分で四分の舎弟だから、合の川一家は、松代一家に手を貸すのじゃねぇか、と噂されています。合の川一家が松代一家に助っ人すれば、この喧嘩の帰趨は決まると、この近所の者は謂っていました」

「そうか………」

 久次郎の報告を聞いて、忠次郎は腕を組み、首を傾けて思案した。この前の旅で厄介になった勝太には、義理を感じている。此の度の旅では、以伝次に厄介になり、義理を感じている。その以伝次が、勝太の敵である佐久造に味方すると謂う。彼方を立てれば、此方が立たぬ。渡世の義理の重さを、忠次郎は痛感した。

 

「国定の貸元。真田藩としては、支配地に渡世人が六百人から集まり、喧嘩をしたのでは、幕府に対して面目が立たない。このことが知れゝば、急度、きついお叱りを受けるのは自明である。此の山寺源太夫殿は、松代公事方郡奉行で、拙者とは昵懇でな。何んとか大事に至らぬうちに、此の喧嘩が納まらないかと、相談されて、こうして貸元に御足労願った訳である」

 中野代官代理萩野広介は、隣りに座っている松代郡奉行を紹介して、深志一家と松代一家の喧嘩を止めさせる術はないか、忠次郎に尋ねた。萩野広介は率直である。忠次郎は萩野広助の意とするところは判った。

「……ということは、此の忠次郎に、この喧嘩の仲裁の労を取れと、おっしゃりますか」

「如何にも」

 萩野広介と山寺源太夫は、顔を見合わせて頷き合った。

「承知しました。但し、此のことは暫く他言無用に願います。その上で忠次郎、責任を以て、この喧嘩は納めましょう」

「あい判った。忠次郎、頼りにしているぞ」

 山寺源太夫は、肩の荷が下りたような面持ちをして、忠次郎に言った。

 忠次郎が円蔵と、中野代官所を辞去した時は、信州の山々が、秋の夕日に照らされて、真紅に染っていた。赤蜻蛉が飛んで来て、歩いている円蔵の髻(もとどり)に止った。

 

 先ず忠次郎は、円蔵、沢吉、久次郎を従えて、松本の深志一家の貸元勝太の所に行った。勝太は四年振りに忠次郎と会って、貸元としての貫禄と凄みを感じた。

 久闊を叙した後、忠次郎は勝太に訊いた。

「松代一家の佐久造との喧嘩は、止めることはできねぇのかい。勝太どん」

「喧嘩の原因は、俺の子分の正助が、つまらねぇことで、佐久造の子分の五郎作を斬って怪我をさせたので、非は家にある。詫びを入れようとして代貸の秋ノ介を再三松代に行かせたが、佐久造は一切取りあわねぇ。こうなったら喧嘩しかねぇ。事の善し悪しは別問題と謂う訳だ。第一助っ人が二百人も集まっているんだ。国定の」

「そうかい。それじゃあこの忠次郎が仲に入っても、この喧嘩は納まりそうもねぇかい。勝太どん」

 忠次郎がてっきり、助っ人に駆け付けてくれたと考えていた勝太は、意外と思ったのか、忠次郎の顔をまじまじと見つめた。忠次郎が頷くと、大きく息を吸い込んで勝太は口を開いた。

「判った、国定の。この喧嘩は黒蓋(くろぶた)で預けるぜ」

 黒蓋とは無条件を意味している。紛争に蓋をするのに、黒い蓋では、書く所がないから、無条件。これに反して白蓋は、書く所があるので条件付きを意味している。

「済まねえ、勝太どん。俺の面を立ててくれて感謝するぜ。就いては後日、合の川の二代目を寄越すから、二代目に任せてやっちぁくれねぇか」

 勝太は、此の度の旅で厄介になっている合の川の貸元、以伝次の面子を慮って、忠次郎が気を利かせているのが、手に取るように判った。

「土地の者の顔を立てゝくれて済まねぇ。国定の、宜しく頼むぜ」

 こうして忠次郎は、勝太から黒蓋で喧嘩の下駄を預り、権堂に向った。

 以伝次に、松代の佐久造に助っ人して、喧嘩をすることの非を説き、寧ろ、仲裁をした方が合の川の二代目としての貫禄に相応しいのではないか、と謂う忠次郎の言葉に、以伝次は納得した。

 早速子分を松代にやり、佐久造を呼び付けた。兄貴分である以伝次に諭され、佐久造は黒蓋で喧嘩の下駄を、以伝次に預けた。後は深志の勝太を納得させれば好いのである。

 以伝次と勝太は、あまり相性が良くないようであるが、仲裁人として奔走しようと決心した時から、個人の好悪は度外視して公平な態度で接するのが、仲裁人の条件であり、貸元としての見識である。

 勝太の所に出向いて、呆気ない程簡単に、黒蓋で喧嘩の仲裁を任された以伝次は、喜んで権堂に帰って来た。

「深志の勝太どんも、俺の面子を立てゝ、黒蓋で預けてくれた。思っていたより、勝太どんは好い漢だぜ、国定の」

 それを聞いて忠次郎は、さもありなんという面持ちをした。

一、松代一家と深志一家の紛争は、合の川一家二代目以伝次の仲裁に拠り、五分と五分の和解に至った。

二、喧嘩仲直りの手打ち式は、一カ月以内に、合の川一家の縄張り内で執り行う。

三、手打ち式の費用及び助っ人達に支払う日当締めて約五百両は、仲裁人が一時立て替え、後日、松代、深志両一家で共同の賭場を開いて寺銭を上げて返済する。

と謂うことで、松代、深志両一家と仲裁人の以伝次は合意に達した。

「処で国定の。俺はあまり手打ちの盃に就いて詳しくはねぇ。此処は一つ、俺を助(すけ)ると思って、仲裁人になってはくれねぇか」

 以伝次は、疎遠であり、お互いに心好く思っていないはずの、勝太との話合いが、抵抗なく円滑に進み、勝太が、二つ返事で下駄を預けたことに対して、不思議でならなかった。忠次郎が事前に根回ししたのであると気付くのに、時間は要らなかった。忠次郎が土地の貸元である自分の面子を立てゝくれたのが嬉しかった。

(以伝次どんは、お見通しだ)

「判った、以伝次どん。俺らぁ盃事に就いては不調法で、あまり詳しくはねぇが、見様見真似で上州流の柏の式を覚えている。何んとかやってみるぜ」

「ありがてえ、国定の。礼を言わせて貰うぜ」

「早速だが、以伝次どん。仲裁人は以伝次どんと俺の二人で決まりだ。立会人をどうする。越後から一人、信州で一人、上州で一人、武州で一人、貫禄のある貸元が来てくれて、初めて手打ち式に重みが付くもんだ」

 忠次郎と以伝次は相談して、次の四人の貸元を、手打ち式の立会人として、参加を依頼することにした。

   越後長岡 高橋一家貸元 綱助

   信州善光寺 恵比寿屋一家貸元 伝十郎

   上州館林 香具屋一家貸元 弥七

   武州深谷 八木田一家貸元 捨五郎

 直ちに飛脚に拠り、立会人の依頼と手打ち式を報せる廻状(ちらし)が貸元衆に届けられた。

 

 寒山(かんざん)と拾得(じっとく)は、詩禅一如の生活を送った中国の僧である。何故そうなったのか、その謂われは渡世に伝承されていない。文化年間頃から渡世人は、喧嘩仲直りの手打ち式の和合神として、寒山拾得の描かれている軸を使用するようになった。軸には必ず「和合万福進大平」の辞句が題してある物を使用することからして、那辺(なへん)にその使用する理由があるのではないだろうか。

 松代一家と深志一家の喧嘩仲直りの手打ち式は、予定通り合の川一家の縄張りである善光寺大門町にある旅籠「梓屋」の大座敷で執り行なわれた。

 手打ち式々場大座敷の床の間中央には、渡世の慣わし通り、和合万福進大平の辞句が題してある寒山拾得の軸が掛けられている。和合神である。その前には祭壇が設けられている。祭壇の上に、三宝に乗せられている捧げ物としての山海の珍味は、全て親子盃式に於ける場合と同様に置かれている。異なるのは、祭壇の前に、鞘に納っているが、刃を向い合せた刀が、交差した形で縦に置かれている。祭壇の前の上座には、立会人が貫禄のある順に、右から八木田の捨五郎、香具屋弥七、高橋の綱助、恵比寿屋伝十郎が座っている。座敷右側面には、松代の佐久造と代貸の重助、喧嘩の発端となった五郎作と重立った子分五人が、神妙な面持ちをして座っている。左側面には、深志の勝太と代貸の秋ノ介、喧嘩の発端となった正助と重立った子分五人が、これ又神妙な面持ちをして座っている。仲裁人である以伝次と忠次郎は、下座中央に右以伝次、左忠次郎と並んで座り、以伝次の右後には、口上人の円蔵、忠次郎の左後には、介添役の沢吉、久次郎が厳めしい面持ちをして控えている。座敷中央は、六曲二双の屏風で仕切られている。手打ち式が始まる前に、お互いの顔を見て喧嘩をしないように、当事者同士の顔を見せぬためである。座敷中央には、二個の三宝が置かれていて、屏風で囲まれている。三宝の上には、盛塩と二匹の鯉が背中合わせに置かれ、一方の三宝の上には、二個の盃と徳利及び箸が置いてある。

 渡世人達の気迫が横溢している座敷には、信州の秋の気が流れ込み、参列者の身と心を引き締めて、緊張感を増幅させている。その緊張を破るかのように、口上人である円蔵の声が、凛として式場に響いた。

「大変長らくお待たせを致しました。只今より、松代一家と深志一家の喧嘩仲直りの手打ち盃を執り行ないます」

 円蔵が手打ち盃の開始を宣言した。

 忠次郎は右隣りに座っている以伝次に一礼すると、立って、ゆったりした動作で、座敷中央に置いてある三宝の前に進み出て座った。居住まいを正してから、佐久造を見て頷き、次に勝太を見て頷いた。佐久造と勝太は同時に立ち上ると、座敷中央に進み、佐久造は忠次郎の右側に、勝太は左側に座った。

 祭壇に向って拍手を打った忠次郎は、徐ろに式場を見廻してから、口を開いた。

「しがない私に、盃を取れとのお言葉に従い、盃を取らせて戴きます。盃の順序を間違えましたら、お許しを蒙ります。付きましては仲直りは、両手打ちに致して戴きましょうか。片手打ちに致して戴きましょうか。それとも、仲直りにして戴きましょうか。お伺い致します」

「両手打ちでお願い致します」

 佐久造と勝太は同時に応えた。

 渡世人の手打ちには、両手打ち、片手打ち、仲直りの三種がある。両手打ちは、両方の手の掌を打つ拍手で、片手打ちは、右手の親指と人差指で、手を打つ真似をするもので、秘密を要する賭場での紛争時の手打ちに用いる。片手打ちには、親指を上に人差指を下にするお茶の手打ちというものもある。仲直りは、両手も片手も打たないのである。いずれも、その効力については差等はない。

 以伝次が、脇に控えている介添役の沢吉と久次郎を促すと、二人は摺り足で祭壇の前に行き、刃と刃が交差した型で置かれている刀の棟を合わせて置き直した。次に座敷を縦に分け仕切っている六曲二双の屏風を取り払った。松代、深志両一家の子分達は、屏風が取り払われて顔を合わせた。強張った表情をいずれの子分も浮べている。

「魚を直させて戴きます」

 背中合わせに、三宝の上に置かれた鯉を、忠次郎は腹合わせに直した。次に右の徳利を取り上げ、左の盃に三度注ぎ、更に左の徳利を取り上げ、右の盃に三度注いだ。盛塩と鯉に三度箸を付け、親子盃と同様の手順で、二個の盃に浸した。一呼吸置いて忠次郎は、右手に左の盃を、左手に右の盃を取り上げ、佐久造に右手の盃を、勝太に左手の盃を差し出した。盃を受け取った二人は、同時に盃の酒を一息に飲んだ。

 三宝の上に戻された二個の盃に忠次郎は、先と同一の順序で半量ずつ盃に注ぎ、その酒を一個の盃に移した。

「私が此の盃を預からせて戴きます」

 忠次郎は、盃の酒を飲み干した。次に箸を二つに折った。気を折るに通じる意がある。更に三宝の上に奉紙を広げて、鯉、盛塩、折った箸を包んで水引きで結んで、その上に残酒を注いだ。その三宝を沢吉が捧げ持って、先ず、立会人の筆頭の捨五郎から順番に、両手を浸して貰った。三宝が一周して参列者全員が手を浸し終った。

「これにて、松代一家と深志一家喧嘩仲直り手打ち盃は、目出度く終了致しましたので、これにて手を締めたいと存じます。どうか両手打ちにてご唱和願います」

 忠次郎の発声に拠り、三本締めにて手が打たれた。

「お目出度うございます」「お目出度うございます」「お目出度うございます」

 参列者の顔は緊張から解かれ、いずれも安堵感が漂っていた。

 手打ち式に使用された盃は、盛塩、鯉、箸を包んで酒を注ぎ参列者に手を浸して貰った包と共に、仲裁人が責任を持って川に流すのである。所謂、水に流すのである。

 喧嘩仲直りの手打ち盃は、順序が最も重視されている。右の徳利の酒を左の盃に注ぎ、その盃を右側に座する者に差し出すことに拠り、上下の差別を打消すものであり、その順序を誤るゝ時は、一方の敗北の形になるとして、その盃を飲まず、再度喧嘩になることもある。仲裁人の苦労する処である。渡世人の世界は、総て、右を以て尊しとするのである。

 忠次郎と以伝次の苦労が結実して、松代一家と深志一家の紛争は納まり、信州の渡世人の世界に、平和が訪れた。

 東の空に雪を被った浅間山が澄んだ晩秋の空の中に、忠次郎の仲裁人としての手打ちの式が終わった清々しさのように、すっきりと屹立していた。