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餓狼の挽歌

【埼玉愛犬家殺人事件の真実】


八月の蒸し暑い午後、行田市の主婦である美千代は、埼玉信用金庫により、普通預金残高の残り全部を引き出した。

信用金庫から出ると真直ぐに江南町に向かった。

(今日は社長も、眼一杯愛してくれるでしょう・・・)

関根とのベッドの上で絡んでいるシーンを連想しながら、運転をしていると自然に自転車のペタルを強く踏んでしまう。

秩父線持田駅に着くとタクシーに乗り換えた。

「運転手さん行く先は江南ですから、江南に急いでいってくださいね」

タクシーの後部座席に乗り運転手に指示をして、江南に入ってから、一ヶ所左折しただけでホテル『D』に着いた。

一階の駐車場にタクシーを滑り込ませるとフロント急いで向かった。

「関根さんの部屋は何処でしょう」

「三〇六号室です」

フロントの顔が見えない女性は、機械的に応えた。

エレベーターの前に行き直ぐに乗り込むと三階で停止した。ドアが開くのも待ちきれない様に、美千代は小走りで三〇六号室の前に行った。

部屋の前に立ち一呼吸すると、これも美千代が来るのが待ちきれなかった様に、関根がドアを開けて汚く禿た頭を出した。

美千代は色で、関根は欲(金)がそうさせている。

事情を知った第三者が見れば、吹き出してしまうような光景である。

ベッドの上の戯れが終わった時に、関根は自分の目的である金の事を口に出した。

「今日、司法書士の先生を呼んで、あんたをアフリカケンネルの役員にした。それも、常務だ。美千代さん偉くなったものですね」

「ありがとう。全部貴方のお陰よ。感謝しなければいけないわね。今、お金は渡すわ」

美千代がバックの中から、信用金庫の袋に入った三百万年の札束を出すと、関根はにんまりと笑った。

金を受け取け渡し機嫌が良いのか、畜生道に陥った獣のように、二人は大声を上げ体と身体をぶつけ合い睦あった。

美千代と別れてから、犬舎に戻ると関根は、今夜金を獲りに来る遠藤代行を疎ましく思った。

(俺が、こんな思いをして金を集めているのに、その金を代行に持って行かれるのか、間尺に会わないことだ。何とかこの件もしなければ身の破滅だ・・・)

美千代と快楽を求め合っても、今日三百万円持ってきて美千代との関係は終わりである。この儘、関係を続ければ、何時か女房の博子にばれてしまうと関根は考えた。

殺してしまえば一番良いのだが、殺しを手伝ってくれる者がいなければ、上手く行かない。山崎に頼めば直ぐに手伝ってくれるだろうが、直ぐ、金の話になるので、関根は女房の美千代に相談することにした。

女房の嫉妬心を刺激してやれば、きっと積極的に手伝ってくれる筈であると考え博子に新しく出来た家で夕食の時に話した。

「博子、俺はもう山崎を殺した殺人者だ。何れ警察に逮捕をされる。だが、今逮捕されたらこの家は如何する。建設屋に支払いが残っているし、お前が一人で苦労をすると思うと涙が零れる思いがする。ほらっハスキーの代金として、二カ月前頃、五百万円をお前にやっただろう。それが、今に成り詐欺にかかってと言って廻り中に言いふらしている」

「そうね。わたしの方の店にも、電話があったわ『シベリアン・ハスキーは、一匹十万円位じゃないの、私に沢山のお金を払わせて、詐欺にかけたのね。警察に訴えるからね』というじゃないの、わたしは、腹が立ったから、お宅はどちらさんですかと聞いたのよ。そしたら、いきなり電話を切ってしまったのよ」

「そうか。行田の婆だな。世の中の常識を全く知らないから、困るよなー」

「貴方、もしや、行田の女と関係があるのでしょう」

「博子、知っての通り俺は女に持てる如何してだろう」

「しらばくれないで貴方!」

関根は博子の性格を知悉している。博子の嫉妬心に火が付いたと感じた。

「俺も男だから女を一人や二人如何でもなるが、俺は金にならない女には手を付けない。だが博子、年増は凄いぜ」

「あんた、あのお婆さんとやったのね。許さないから」

「でもよー、ハスキーを七百万で売りつけ、お前に五百万円やったじゃないか」

「それとこれとは別問題よ。わたしが手伝ってあげるからサッサとあの気持ちが悪い女を殺ってしまいましょう」

 このようなやり取りが、関根と風間の夫婦の間で交わされ行田の美千代という年配の女性は殺されるのである。

一九九三年八月二十六日、隣に住む主婦に、玄関先で会った時、美千代は挨拶をした。

「暑い日ですね。こんな日は、家にいても仕様が無いから、買い物に言ってきますわ」

「お気を付けて・・・」

隣の主婦とこのような会話を交わしたのが、最後となり美千代は、行田の家には再び帰って来られなくなった。

美千代を殺した現場は、江南町板井の新築した家の中で、応接間のソファーに座っている美千代を後ろから、犬の散歩に使うリード(紐)で首を絞めて殺した。

それから、その日の夕方、博子と二人で庭の隅に穴を掘り、美千代の死体を埋めた。

この様に人を殺すことに何の躊躇いも、罪悪も感じないアフリカケンネル社長関根元について私は考えた。

通常の教育を受けて育った者は、間違って人を殺す事はあっても、連続して人を殺しその上、死体をバラバラに切り刻むという残酷な事は、精神に異常が無い限り、できるものではない。

アフリカケンネルの関根は、逮捕され精神鑑定をされたと思うが、精神に異常はなかったという。それでは、何が関根をそうさせたかと考えてみる必要がある。

これは、飽くまで関根の生まれた秩父と言う当事は、閉鎖的な土地が生んだものであると思っている。

山窩(サンカ)と言う言葉を聞いたことはないだろうか、山窩は山の民とも呼ばれ昭和初期までは、全国そして、秩父地方を中心には、何百人かはいたのである。

山窩は山の洞穴や河原の茂みに小屋を立て住んでいた。

日常は竹籠や下駄等を作り、それを街中に持って行き売っていた。

食料は山で獲った猪や鹿・狸・狐と鳥類で又は、川で取れる鮎・山女・岩魚・ハヤ・鯉・鮒と山に生える植物を食していた。

大体、十人から二十人で集団生活を営み一版の人達は、仲間にはなれず、寧ろ、社会から積極的に距離を置いて、一般社会から離れていた。

だから、河原に住まいである小屋を建てても、直ぐに移動できるような粗末なものが多く、山中の洞穴も住まいにしたが、一般人に見つかると直ぐに移動してしまった。

当然、子供は学校に行く事はなく、親や集団の親方に教育をされた。その教育も道徳などと言った様に、一般の学校で教えるような社会常識や善悪の区別もなく『如何にしたら、生きてゆけるかで』生きるという事が善悪を優先していた。

秩父では雲取山が最高峰で、東京・山梨と県境になっていて、三県を跨り、又は静岡も近く、山が続いている場所には、自由自在に食料を求め出没した。

一部の者は秩父市民と同化して、下駄屋や竹細工の店を持っている者も多く、関根が秩父の実家に行ってきたといって、下駄を殺された高田組代行遠藤安旦の所に、何度も持ってきた事がある。山窩が市民に同化しても、持って生まれたDNAは『以下にしたら生きてゆけるか』であり、一般社会で生きて行く上で、護らなければならない法律や社会に照らし合わせた善悪・義理人情などは護らなくても良いと埋め込まれているのである。

関根と関根が犯した殺人の多くを考察してみると関根は、完全に山窩の血を引いた者であるのではないかと思ってしまう。

山窩は三角博が小説化して問題提起をしたが、実在を否定する学者もいる。只、学説的に考えると山窩といわれる山の民はいたのである。

その先祖をここで論じる必要はないが、関根の侵した殺しの残虐性は、まともな教育を受けた者では出来ないことであり、精神も異常が無いとすれば、まともな教育を受ける事が無い山窩しかいないのである。

論理の飛躍と言われるかもしれないが、関根の親か祖父が山窩から、一般の人達に同化したとしても、そのDNAは連綿と繋がっているのである。

俗に言うアフリカケンネル事件の残虐性は、犯罪史上過去に例が無いだろう。このような残虐な事が出来るのは、まともな教育を受けていない者しか出来ないのであり、まともな教育を受けたとしても、その教育を受け付けないDNAの持ち主に違いが無い。