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白   い  鳥    兜


高橋おでんの真実

数奇な出逢い

馬喰町『武蔵屋』の着いたのは、日が暮れ大分時間が経過していた。元気を出し、歩いてくると言った波之助は途中から、おでんの背中に負ぶさっていた。

波之助を背中に、背負っていると波之助の激しい鼓動が体に伝わってくるのは解った、何時まで経っても鼓動は早く打っている。

(無理をさせてしまったようだわ。貴男、すいませんね・・・)

『武蔵屋』は北本宿の『新吉屋旅館』や深谷宿の『釜屋旅館』とは違い泊り客も多く、おでんと波之助を丁寧に扱う暇がないように込んでいた。帳場が入った直ぐ前にあり、そこで幾日滞在するか決めて宿賃を払うのである。

「二人で泊まりたいのですが、お願いします」

番頭と思える者がぞんざいな口ぶりで応えた。

「何日泊まるのだい。前金で払って貰うからな」

おでんは戸田で馬を売った金である五円を財布の中から出し、帳場にいる番頭に差し出した。

「これでは二人だから、二十日しか泊まっている事は出来ない」

「でも、病気治療に来たのだから、これ上、お金を使う訳には行きませんので、如何か五円で一ヵ月位、泊まらせてください」

番頭はおでんの頭から足の方まで見回してから、おでんの要望に応えた。

「好いだろう。その代り部屋は狭いし、あまり綺麗じゃねーが、我慢しなよ」

「狭くても汚れていても構いません。どうかその部屋に一ヵ月泊まらせてください」

「好いだろう。病人を抱えていると見るが、部屋をあまり汚さねーでくれよ」

江戸っ子の伝法な口調を聞き東京は、故郷の下牧より言葉が悪いとおでんは感じた。

旅人宿はお風呂はない。近所の風呂屋まで入りに行かなければならない。波之助は、風呂屋に入りに行けないのでおでんは『武蔵屋』で桶を借り自分で風呂に入った後に、桶に熱い湯を汲んで持って帰った。深谷宿の繁五郎と北本宿の免太郎に、晒しを一反ずつ貰ってあるので、毎日、波之助の腐りかけた手足の指を洗った後に、晒しを取り換える事が出来た。

風呂屋で自分の体を洗っていると湯船に入っている年配の女性が、三人でかしましい程、声を挙げながら話をしていた。

いやでもおでんの耳に入ってきた。

「虎ノ門の象頭山琴平神社の御利益は凄いよ。特に、病の回復祈願効くらしいよ」

「そんなに効くのかえ」

「三丁目の八百屋のお徳さんが、労咳で長年患ってきたが、ろ組の頭の賢三さんに、象頭山琴平神社に、お百度を踏んでみなよと言われて、初めは半信半疑でお百度参りを始めたそうですがねー、五十日を過ぎり頃から、胸の中に燻っていたものが、憑き物が採れたように無くなり、お百度参りを済ませた時には、何をしても息が切れないし、今じゃ元気に亭主の八百屋の手伝いをしているのさ」

「それは凄いじゃない。わたしも何かお願いをしように行こうかしら」

三人の何処かの御かみさん達の話をおでんは、聞き漏らすまいとして、耳を澄ませて一言一句聞き漏らさなかった。

(よしっ、波之助の事をその象頭山琴平神社に、明日からお願いに行く事にしよう・・・)

漸く、東京に着いたのでおでんは一安心をした。然し、明日からが、勝負であると考えていた。籟病を治してくれる医者を探す事。象頭琴平山に、お百度参りに行く事。そこで、おでんは『武蔵屋』の主人勝平に聞いた。

「東京には、腕の良いお医者さんが、沢山いると思いますが、御主人が耳にしている人で、高名なお医者さんはおりますか」

勝平は腕組みをし、顔を天井に向けると暫く考えていた。腕組みを解き大きく頷き、物知り顔で話した。

「漢方では、深川晟堂先生が、東京で一番だろう。その他、骨科では名倉和之先生で、歯科では小畑英之助、籟病では後藤昌文先生で、気鬱は加藤照業先生、種痘は大野松斎先生だよ。」

「西洋の医学の先生は、どのような人がいるのですか」

西洋医学では、佐藤進先生を置いて他にいないでしょう。でも佐藤先生は外科だ。うーん、京橋に高木兼寛先生と長谷川泰と言う名医がいると聞いたことがある。最近は西洋かぶれが多くて、高木先生や長谷川先生が、人気があるようだ」

「御主人ありがととう御座います。早速、京橋の高木先生の所に行ってみようと思います」

「あんたも、大変だな。病気の御亭主を抱えて」

おでんは、にっこり笑い勝平にお礼を言った。

「田舎者です故、東京の事は全く解りません。先生の事を詳しく教えて戴きありがとうございます」

勝平は顔中皺だらけであっても未だ、五十年配であろう。その顔を皺で埋め照れ笑いをした。

勝平が籟病は後藤昌文先生だと言ったが、波之助の病を明かす事が出来ないので後藤昌文医師の住所を聞く事ができなかった。

(何処に住んでいるのだろう。後藤先生の家を如何して、調べたら良いのでしょう・・・)

取り敢えず先ずは、琴平神社に行って、お百度参りをしよう。馬喰町からは、虎の門象頭山は、近くないらしいけど躊躇ってはいられないと、おでんは想い、日本橋馬喰町から、虎ノ門の象頭山琴平神社に向った。

琴平神社は讃岐丸亀藩主京極髙和が領地・讃岐の金毘羅大神を万治三年(一六六〇)三田の江戸藩邸に、邸内社として勧請、その後、廷宝七年(一六七九)現在の虎ノ門に移る。金毘羅人気が高まった文化年間に京極家は、毎月十日に限り一般の参詣を許し大変賑わった。

明治に成り、一般参詣人が自由に参拝できるようになり、その霊験が、あらたかであるとされて参拝人で賑わっていた。

初めて琴平神社に言ったおでんは、参拝人の多さに驚いた。

神殿の前に行きお賽銭を放り投げて、柏手を打ち両手を合わせて祈った。

(神様。どうかうちの人の病を治してください。治していただけるなら、おでんは、この身を神様の思召し通りに致します・・・)

暫く、その儘で祈りの想いが神様に届くように思いを込めて、両手を合わせていた。そして、祈り終わり踵を返すとそこには、自分と瓜二つの顔が有った。驚いたおでんが、まじまじと、その女性の顔を見ると相手も首を傾げながら、おでんを見た。

(自分に似ている人は、この世の中に三人居ると言うが、本当の事なのかしら・・・)

おでんは、そのように考えるとその日は、その儘、波之助が待っている日本橋の馬喰町『武蔵屋』に帰って行った。

翌日、虎ノ門の象頭山琴平神社に行くと、本殿に続く参道を歩いている昨日見た女性の姿が眼に入った。顔はおろか姿形まで、自分に似ているとおでんは思った。

そして、この人とは何かの縁があるのではと考えた。

参拝祈願を終えて、境内にある茶店に寄り、お茶と団子を食べているとおでんに、瓜二つの女性が前を歩いて行きながら、頭を下げて微笑みながら、一礼をして通り過ぎて行った。おでんも、飲んでいた茶碗を床几に置き膝に手をついて礼を返した。

『武蔵屋』に帰り、波之助に似ている女性と会った事を話した。

「象頭山琴平神社に行ったら、二日続けて、わたしに瓜二つの人がいたの貴男、この人は、わたしに何か縁がある人ではないでしょうか」

病に成ってからすっかり、信仰深くなっている波之助は、おでんには難しい事を言った。

「それは、前世でお前と姉妹か、母と娘の関係だった人かもしれない。きっと琴平神社の神様が合わせてくれているのだ。若し、明日行き又、会ったら話をして見たらどうだ」

「そうゆうものですか。前世と言うのは、生まれる前のことでしょう。そんな場所があるのですか」

「今生きている世の中が、現生・生まれる前が、前世・死んだ後が、来世と言うのだ。俺がこの様な病気にかかったのも前世で何かの悪行を犯したからさ、だから、この病は何をしても治らないのだよ」

おでんは、波之助が、この様な諦観に捉われているとは知らなかった。波之助は、おでんが琴平神社に病平癒の祈願に言って居る時は、こんなことを考えているのかと考えるとおでんは、波之助が可哀相になってきて、思わず母親が、子を抱きしめるように、胸に波之助の頭を押し付けて抱きしめた。

「貴男の病は、おでんがいる以上、必ず治してあげますから、前世で悪行を犯した云々等と馬鹿げなことを考えないでください」

波之助は、おでんの胸に顔を埋めながら、蚊の鳴くような声で応えた。

「おでん、俺は意気地がない男と思っているだろう。こんな俺に尽くしてくれるおでんは、まるで観音菩薩の様な気がする。おでん、俺を見捨てないと約束をしてくれ」

すっかり、弱気に成ってしまっている波之助であるが、波之助が弱気になれば成程、おでんは波之助の病を必ず治すと言う闘志が湧いてきた。

翌日、虎ノ門象頭山琴平神社に行き、参拝を済ませお茶屋でお茶を飲んで周りの森の中で鳴く鶯の声に聞き惚れていると故郷の下牧の家が思い出されてきた。

(利根川渓谷の氷は解けただろうか、迦葉山の雪は未だ、あるのだろうか、義父の九右門は元気でいるのだろうか・・・)

その様な事を考えていると波之助の病の事も忘れ放心状態になってしまった。その様な状態の時に、女性の優しい声がした。

「床几の隣りに、座ってよいかしら」

前を見ると自分に、瓜二つの先日会った女性がいた。

「どうぞ、こちらへ」

「有難うございます。わたしの名は、お金と申します」

「わたしは、おでんで御座います」

瓜二つであるからか、何であろうか、二人は直ぐにうち解けた。

「毎日、琴平様にお願いに来るのは、大変なことでしょう。一体どこから通ってくるのです」

「日本橋の馬喰町です。夫が不治の病ですから、治りますように、琴平の神様は、大変御利益があると聞いてきているのです」

「そうですか。それは難儀な事ですね」

「夫が病なら、妻がその病が治りますように、祈るのは当たり前ですから」

「そうですね。処でおでんさん、貴方の生れ在所は何処ですか」

「上州の一番はじっこの月夜野の下牧と言う所です。御存じないでしょう田舎ですから」

お金はおでんの言葉を聞くと驚いた。

「なんですって、上州下牧ですって、あそこには、私の母お春が、私を産んでから、高橋勘左衛門という人の所に嫁に行ったのです」

(えっ、それではこの人は、わたしのお姉さんに当たる人だわ。似ている筈・・・)

おでんは、お金に告げた。

「貴女は、わたしのお姉さんです。私は高橋勘座衛門の娘で、高橋九右衛門の養子です」

「本当ですかおでんさん。それでは私は貴女の姉に当たるわけですね」

「そうです。お姉さん」

「そうですか、おでんさん」

二人は手を取り会って、この数奇な出会いを喜んだ。

「琴平の神様は、本当に思いがけない御利益を与えてくれるわ、有り難い事です。おでんさん。これからはわたしに、何でも話をして下さい。きっと今は御病気の旦那さんと旅人宿か何かに泊まっているのでしょう」

「はいっ、そうですお姉さん」

「きっと、宿賃や医師に支払うお金で大変でしょう。わたしは、横浜の野毛と言う所で内山仙之助と言う商人の囲い者に成って、家を持っているの横浜には、西洋医学を心得た外人さんが、多くいますから、御亭主の病も診て貰えば何とかは成るでしょう」

おでんは、お金に波之助の病が籟病である事を話していなかったので、話して良いものかどうか逡巡していた。

然し、お金はたった一人の姉妹である事が解かった今、隠し事をしたくなかった。

「お姉さん。わたしの旦那は籟病なの」

「籟病が如何したのよ。籟病だって何でも妹の亭主が病に罹って治らないとなれば、姉として黙っていられないわ」

お金のその言葉を聞きおでんは、あり難くて持つべきものは血の繋がる者であると実感した。

「お姉さん。それでは、一度日本橋馬喰町の『武蔵屋』に帰り、亭主の波之助とよく相談をして決めたいと思いますので、その時は宜しくお願いします」

「なるべく早く横浜に来てね。待っているから」

お金は別れ際に、人目も憚らずおでんを、きつく抱きしめた。そして耳元で呟いた。

「私はおでんが、妹であることが解かり嬉しいわ。これからは仲良くやって行きましょう」

「お姉さん有難う。おでんは幸福です」

実際おでんは、路銀が尽きたら如何しようかと考えていた。どこかの料理屋か旅館の下働きをすれば良いとも、考えていたのである。この様な状態である時に姉に会え姉が、優しい言葉をかけてくれたことは、全て神様の思召しであると思った。きっと、わたしは、天に恥じない生き方をしているし、翻って自分に恥じない生活をしているからであるとも思った。

『武蔵屋』に帰り早速、波之助にお金と言う姉に会ったと言う話をした。波之助は信じられないような顔をして、お題目を唱えた。

「南妙法蓮華経・南妙法蓮華経・南妙法蓮華経・仏様は俺を見捨てはしない。おでん、佛とは有り難いものだな」

おでんは、信仰深くなった波之助は、佛の御慈悲にすがっても自分の病を治したい気力があると思い嬉しくなった。

「貴男、『釜屋』の繁五郎さんが言ったじゃない『止まない雨はない。吹き止まない風はない。治らない病はない』と言う言葉を信じ病をやっけましょう」

「おでん。俺は病に負けない。俺にはおでんも、仏もついている」

「貴男、お姉さんの言うことですが、横浜には西洋の医学を心得た外人さんが、多くいるという事です。姉さんは、宿に泊まっているとお金が掛るから、横浜の姉さんの家に来なさいと言ってくれているのです。どうしますか」

「有り難い事ではあるが、俺は籟病患者だ。迷惑がかかっては申し訳ない」

「心配しないで姉さんには、貴男が籟病である事も話してあるわ。その上で姉さんの家に来なさいと言ってくれているの」

「そうか・・・」

「貴男、二・三日内に、横浜の姉さんの家に行きましょう。そして、西洋医学の優れたお医者様に診て貰いましょう。それが一番です」

「そうしようか、おでん俺もこのままでは、体中が腐って行ってしまう様な気がする。一日も早く良い先生に診て貰いたい」

波之助が横浜に行く気でいるのが解ったので、おでんは、ほっとした気持ちに成った。