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白   い  鳥    兜


高橋おでんの真実


前橋の旅館を出たのが早かったので、深谷宿に着いたのは、夕日が落ちる前であった。中山道深谷宿の中心に『釜屋旅館』はあった。店の前には眉毛の濃い中年の役者の様な顔をした主人と思われる者が立っていた。

足を止めたおでん夫婦を見て、主人と思える者は声をかけた。

「お泊りですか。大分お疲れの様子です。直ぐに、湯の用意を致しましょう」

この声をかけたのは『釜屋旅館』の亭主で釜屋繁五郎と言う深谷宿でも人格者で通っている情深い人物でもあった。

おでんは繁五郎の顔を見ただけで、安心が出来た。だから波之助が病である事も最初に話した。

「実は夫が病です。その為に東京まで行く旅です。ご迷惑をおかけすると思いますが、宜しくお願い致します」

繁五郎は太い眉を寄せて、心配そうな顔をしながら、おでんに言った。

「それは、難儀な事ですな。儂の処では、気を使わず旅の疲れを癒してくださいな」

昨日泊まった『菊池屋』の亭主とはまった気違った人物であるので、おでんは、心から安らぎを覚えた。

おでんが、波之助を抱きかかえるようにして『釜屋旅館』に入った時、繁五郎はおでんを呼び止めた。そして、声を潜めて言った。

「旦那さんは、大変な病ですな。大事にしてやらなければいけません。家にいる内は、出来る限りの事を遣りますから、治療に専念してください。女中に後で晒しと湯を、部屋に届けさせますので、傷口は綺麗に洗ってやると良いでしょう」

繁五郎が波之助の病を何であるか見抜いた上で、この様な気づかいまでしてくれるので、おでんは、ほろりと涙が零れた。

「本当にありがたく感謝をしております。人の情けが旅に出て初めて知ることができました」

「いやいや、何の旅館とは泊まる人に、心を尽くすのが仕事ですよ。儂は当たり前のことをしているだけですぜ」

前橋の『菊池屋』の亭主とは、天と地ほど違う繁五郎に、おでんは感謝をしざるは得なかった。

(わたし達に様に困った時の情けは心に染みるもの、この様な心使いを私もわすれてはならないわ・・・)

昨夜と違って部屋の床の間が付いていて、壺も渋い備前焼であろうか、誰が選んだのか、上品な感じがする壺と床の間に、一輪の梅の花が活けて有った。

「おでん、この部屋は感じが好いな。気分が良くなった気がする」

「そうですわね。この旅館の御亭主始め女将の旅人に対する優しい心が表れている様な気がするわ」

確かに、部屋の焼物や床の間に植えられた一輪の梅は、繁五郎の女房の瑠璃が、自分の旅館に泊まる客に対して、心を込めた接客をしなければ成らないと思う気持ちから、四里も離れた仙元山から、枝振りを選んで切り取ってきたものである。食事もおいしくて、おでん夫婦は旅に出て初めて、二人して気持ちを休める事が出来た。

食事を終えて暫くすると女中が、小声で襖の向こうから声をかけた。

「旦那さんに言われまして、湯と晒しを持ってまいりました。ここに置いて行きますのでお使いください」

おでんは、何も聞かないに夫の病を察して、この様な気づかいをしてくれる繁五郎に、感謝をしない訳には行かなかった。

早速、湯と晒しを取って、病の為に、崩れかけた波之助の手足の指を湯で洗い晒を千切り巻いてやった。その姿を見ながら、波之助はぼろぼろ涙を流していた。

繁五郎の好意で、波之助の崩れかけた手足の指と心は清く洗われた。

その夜、ゆっくり寛ぐことができた二人は、熟睡する事が出来た。

翌朝、出達前に繁五郎と女将の瑠璃が来て、二人を元気つけてくれた。

「止まない雨はなく、吹き止まない風はない。だから治らない病はないと思って、東京に行ったら、良い医師を探して診て貰う事だよ」

繁五郎の後ろで女将の瑠璃が肘を突いた。繁五郎は思い出した様な顔をして、直も二人の事を心配してくれた。

「今日の泊まりは何処にするのだね」

「北本宿にしようと考えていました」

おでんの返事を聞き繁五郎は、微笑みながら言った。

「それは、丁度良い。儂の寺小屋の時からの友で、熊谷の根岸友山先生に一緒に学んだ中の者が、新吉免太郎と申しこの男が、誠に人が良い。うどんを打つのが得意で、それが玉に傷だが、添書を書いてやるから、今夜は『新吉屋旅館』に泊まると良い」

何からなにまで、心配をしてくれる『釜屋旅館』の夫婦の優しい気持ちに接し、おでんと波之助は、渡る世間に鬼はないと思った。

繁五郎が書いてくれた添書を受けとり、二人は何度も何度も振り返りつつ、お辞儀をしながら、中山道を北本宿に向って歩いて行った。

冬晴れの良い日で、吹上宿辺りまで行くとおでんと波之助の歩いて行く右手前方に『富士山』が山裾まで雪をかぶり、雲の中に屹立していた。

おでんは、波之助が乗っている馬の手綱を緩めると波之助を元気付けた。

「貴男。男はあの富士山のように冷たい雪をかぶって、風に吹かれても雨に打たれても凛としていなければ成りません。『釜屋旅館』の御主人である。繁五郎さんが、申しましたよね。止まない雨は無く、吹き止まない風もない。だから、治らない病も無いと思って治療に専念しなさいと・・・」

波之助は馬の上から大きく頷きた。

「おでん、東京に行ったら、きっと良い医師がいると思う。その医師に見て貰い。俺はこの病を絶対に治すぞ。それまでおでん宜しく頼むぞ」

弱々しい声ながらも、はっきりとした口調で波之助はおでんに頼んだ。

「貴男には私が付いていますから、心配をしないでね」

中山道の松並木を北本宿に、向って歩いて行くと日が傾いて来て振り返ると秩父連山に夕日が将に、落ちようとする前に北本宿の『新吉屋旅館』に着いた。 馬を馬繋ぎに繋いでから、二人で『新吉屋旅館』の入り口に立った。

直ぐに女中が出てきて声をかけた。

「ご二人様、お泊りですか」

「はいっ、そうです。実は深谷宿の『釜屋旅館』の御主人から、添書を預かって来ています」

おでんが、袂から添書を取り出して、女中に渡すと女中は直ぐに、添書を奥へ持って行った。

暫くすると、『新吉屋旅館』の亭主が出てきた。免太郎と言う主人は背筋を真っ直ぐに伸ばし、肉付の良い身体をしていて、おでんと波之助を、ほっとした気持ちにさせた。

その様な免太郎を見ていると二人は、自然に落ち着いた気持ちに成った。免太郎は『釜屋旅館』の繁五郎とは、熊谷宿の根岸友山塾で友山先生に、いろはから、四書五経までも教えてもらった仲である。特に、自分の家の家業が旅館であるのでお互いに自然に意識しないで仲良くなった。

根岸友山について、根岸家は江戸時代の豪商として栄えた。十六歳で友山は家督を相続し名主と成り、村政を行い屋敷内に『振武所』と言う剣道場と『三餘堂』と言う寺子屋を開き、国学者の寺内静軒を招き子弟の教育に、尽力した人物である。

免太郎は、優しい微笑を浮かべながら、おでんと波之助に自分が打ったばかりのうどんを勧めた。

「深谷からの旅は寒かっただろうに、直ぐに部屋の入り、取り敢えず儂の打ったうどんを食べれば体中が温かく成るから、二人共、早く部屋のお上がりなさい」

「本当に、細かい事まで御心配をおかけして、申し訳ございません。上州は、うどんの名産です。だから、うどんは大好きなのです。早速、戴きます」

「儂の打ったうどんは、儂が編み出した秘伝があるから、その辺のうどんとはわけが違うぞ」

女中に案内された部屋は囲炉裏があり、自在鍵が下がっていて、それには鍋が掛り、少し空けてある蓋の間から、うどんと野菜が煮えた良い香りがしてきた。

波之助は、病にも拘らず腹の虫が啼いたのが解った。

囲炉裏をおでん・波之助・面太郎・女中が囲み女中が手際よく、鍋の中を掻き回して、それぞれのとんすいに、うどんを入れた。

おでんが、とんすいの中を良く見るとねぎ・ごぼう・にんじん・ほうれん草・シメジ茸が、驚くほど太いうどんに、絡まっていた。如何せん、うどんの太さが二寸もあるこれには、おでんも驚いた。

おでんが驚いた顔を見て免太郎は言った。

「この太さのうどんは、何処にもない。しかも、薄いこの薄い処が、儂の秘伝だ。これだけ太いものを薄く作ることは誰も出来ない」

『釜屋旅館』の繁五郎が言った「うどんを打つのが玉の傷」と言った意味が解る様な気がした。

女中は、自慢そうに野菜についても、その採れた場所を話した。

「このねぎは、深谷ねぎです。中山道では一番です。又、ごぼうも人参も、ほうれん草も全部深谷の『釜屋旅館』の御主人繁五郎さんが、三日に一度づつ手代の者に届けさせてくれるのです」

大晦日も差し迫った、冬たけなわの今日、旅で冷たい風に吹かれながら、北本宿まで来たのであるから、二人の体は冷え切っていた。

その冷え切っている体に汗が出る位、温めてくれたこの幅が、二寸もあるうどんと言おうか、煮ほうとうと言うのか解からないが、おでんと波之助には体は勿論、亭主の免太郎の思いやりに、心までもが温かくなった。『新吉屋旅館』で夕飯を食べて部屋の入ると女中が『釜屋旅館』と同じに桶に湯をいれ、晒しを一反、部屋のすぐ外に置いて行ってくれた。全く『釜屋旅館』でしてくれたことをここでもやって貰い。おでんは人の情けの有り難さに心を震わせた。

「有り難い事位です。私達には神佛が付いているのです。貴男、元気を出してくださいね」

「おでん解かっているよ。俺は東京の腕の良い名医に直してもらうのだ。愈々、明日は板橋宿だな」

「そうですよ。東京とは目と鼻に先にいるのです。貴方の病など直ぐに治してくれる先生がいますよ」

免太郎に、手厚く持てなわされて、翌日、北本宿を出立したのは、既に、冬の日が上がった後である。中山道を行き交う者の数が多くなってきたようである。

戸田に着いて、荒川を渡る時に舟に乗れなかった。馬を船に乗せようとした時に、船頭が言った。

「駄目だよ。この船は人様が乗る舟だ。馬など乗せたら、沈んでしまうよ。どうしても馬と一緒に渡りたいのなら、特別に船を雇う事だ」

船頭の言葉を聞きおでんは弱ってしまった。

「貴男、如何しましょうか」

痛々しい細くなった腕を組みながら、波之助は暫く考えていたが、結論は出なかった。仕方ないのでおでんが、馬を如何するかとおう事決めた。

「お金も残り少ない事だし、馬を処分すればお金が入るし、渡し舟に乗れるでしょう。こう成ったら、馬を処分するしかありませんわ。貴男には体の負担に成るのは解っていますが、貴男も元気を出して、この荒川を渡れば板橋宿ですから、それまでは歯を食い縛り、ゆっくりでも好いですから、歩いて下さい。立って歩けなくなったら、おでんが、負ぶうって行きます」

「悪いなーおでん。俺も一人で板橋までは歩いて行くよ」

おでんは小さな口元を微笑ませて、波之助を見詰めた。波之助はおでんの眼を見て、意を決した様な眼をして見つめ返した。

(おでん。俺は何としても、板橋宿まで歩いて行くから、心配するのじゃねーぞ・・・)

戸田宿の博労を見つけて馬を売ると五円に売れた。

二人は残りの路銀が少なく成っていたので助かった気がした。だが、波之助の体にかかる負担は、大きく成った訳である。内心、おでんはその事ばかりが気に成っていた。

戸田の荒川を渡ると中山道は旅人で活気づいていた。板橋宿である。東京府内から、中山道を旅に出る者の見送りや荷駄を積んだ代八車や馬がひっきりなしに行き交っていた。

馬から下りた波之助は、板橋宿の賑わいに眼を奪われて自分で歩き疲れているのも忘れていた。

未だ、日が高いこの様子では生まれ故郷の者が、東京へ出て来た時に常宿にすると聞いている馬喰町二丁目にある『武蔵屋』治兵衛の旅人宿に行けると思った。

「貴男、まだ日がありますから、馬喰町の『武蔵屋』まで行こうと思い、明日が、お体の方は大丈夫でしょうか」

波之助は、物珍しさもあり、旅に出て初めて歩いたのだが、疲れた様子はなかった。

「おでん、東京は人だらけで凄いな。村の祭りの時など問題じゃない。俺はこの人々が、元気に動き回っている姿を見て元気が出てきたようだ」

おでんが、波之助の足元を見ると草鞋を履いた足からは、血膿がにじみ出ていた。

既に、足の指全部の皮がむけて化膿しているところをおでんが、晒しを切り裂き指の一本一本を湯で洗ってから、丁寧に晒しを巻いてやっているのである。それを思うとこのまま馬喰町の『武蔵屋』まで連れて行くのが、可愛そうではあるが、波之助が自分で歩きたいと言う意志があるなら、歩かせてやるのも良いではないかと考えた。

「ここから馬喰町までは、大した距離ではないから、貴男、我慢をして歩いて頂戴ね」

「大丈夫だ。心配ご無用、この波之助体は悪くても気は確かだ、おでん」