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蝉が哭く

未 知 の 世 界

 

十四日間の控訴期間が経過すると翌日には、川越少年刑務所に移送された。東松山道路から関越自動車道に入る前、家の近くにある道路を通る時、蒲生氏郷が詠んだ歌があったと思いだしたが、頭の中で反芻することは出来なかった。氏郷が捕えられ駕籠に乗せられて刑場に行く時であったか、依然の自分の領地を通り越した時の歌である。剛史は氏郷の歌は一つだけ知っていた。

―かぎりあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風―

 確か、氏郷の辞世ではないかなと思っているうちに、川越に着いてしまった。

熊谷署の押送員三人に連れられ『川越少年刑務所』の門を潜って五十メートルほど行くと七・八メートルは有ろうか、コンクリートむき出しの塀があり通路の先には、高さ七,八メートル横幅五メートル四〇センチほどの見るからに人をして威圧するかのように鉄版で出来た観音開きの門が有った、門を守る看守に熊谷署の押送員は、検察庁から出された「移管指揮書」を堤示すると門を守る看守は、一応眼を通して頷くと門の鍵を開けて鉄版で出来ている門を開いた。

門の中に入ると押送車は右折して二〇メートルばかり走り停まった。両方の手首に手錠をされて、手錠に繋いである紺に染めてある麻縄を腰に巻かれた時の姿ほど惨めな気持ちにされる事は無い。文化や文明が発達した現在。古来より、両方の手を縛られて腰を麻縄で縛り縄の先端を警察官や看守が持って移動をするこの状態は、古来より、少しも変わっていないだろうと剛史は思った。

 押送車から下りて、縄で繋がれたまま薄暗い部屋の周りに、便所のような物が、幾つも並んでいる部屋に連れて行かれると直ぐに、帽子に金線を入れた偉そうな者が、看守を二人連れて部屋に入ってきた。

「熊谷署から大沼剛史一名を移送してきました」

 敬礼をすると金線が帽子に入っている看守が、敬礼を返した。

「ご苦労さんです」

「では引き揚げますので宜しくお願いします」

大沼の引き渡しが済むと、さっさと熊谷署の押送員は帰って行った。

「今日から君は、行き先の刑務所が決まるまで、ここの刑務所で生活をすることに成る担当のいう事をよく聞いて事故の無いようにしなさい」

鷹揚に言うと金線が、帽子に入っている看守長と思える者は、残った二人に頷くと部屋から出て行ってしまった。

「大沼剛史キミのここでの称呼番号は四三番だ。今日からは番号で呼ぶから忘れず呼ばれたら番号で応える様にしてくれ」

いきなり看守は、姿勢を正すと大声で剛志の番号を言った。

「四三番」

 剛志は躊躇したが、看守の番号を言った意味が解り応えた。

「はい」

「それで良い。点検で朝晩この番号で応えることに成っているし、願い事をするとき願箋を書く場合や面会で呼び出される時も、全てこの番号を使うという事を頭に入れておくことだな」

態度も顔も言葉も横柄である。柔道をしているのか、耳が潰れ肥った看守が偉そうな振りをした。

 この様な所に勤務すると罪人を扱うから、自分達より下の人間だと思って勘違いをしてしまうのかなと剛史は考えた。

(どの様な人間でも刑務所に来れば、今まで持っていたプライドなどは無きに等しくなってしまうのだろう。僕は、この後、何処の刑務所に行こうが、何があっても自分の矜持(きょうじ)だけは捨てずに生きて行こう)

「拘置所での部屋は、一舎三階五室だ。後は、日常生活の事は、三階の担当さんが教えてくれるから、解らない事が合った報知器を出して聞けばいい」

 耳の潰れた看守に連れられて一舎三階の担当台の前に連れて行かされた。

「気よー付け!」            

「礼・称呼番号・氏名」

連行してきた看守は、号令をかけると敬礼をして、踵を返し元の通路を戻って行った。

「四三番・分類センターに行くまで、この拘置所で一週間生活をする。事故の無いように、部屋に入っている『生活者のしおり』をよく読んで生活をしなさい」

「承知しました」

「何か足りない物は無いか」

「ありません」

「それでは、分類センターに行くまでここに入っていてくれ」

「幾日位で、分類センターに行くのでしょうか」

「一週間で行く。それまで静かにしていてくれ。もっとも、四三番は、歳を取っているから事故を起こすとは無いだろう」

 横開きの鉄のドアを開錠すると看守は、鉄と鉄が擦れる音を立てて鉄扉を開けた。房の中に入ると鉄の扉は音を立て閉まり、施錠の音が空しく聞こえた。

部屋の中は、縦百五十センチ横七十センチ位の畳が三枚敷かれていて、その畳一枚分の板の間があり右端に、申し訳程度の洗面台が取り付けてあった。

(これでは、顔を洗う事が出来ない。如何したものだろう・・・)

左側には、様式便所が剥き出しで取り付けてあった。この部屋は大きな便所と言って好いだろうと思った。窓は有るにはあるが、外側の壁面に、白く濁ったアクリル板が張ってあり、外の風景は全く見えない様になっていた。

「すいません」

 自分を呼ぶ声がしたので、声がした食器抗の方を見ると同囚が、手に刷毛と糊が入っているタッパーを持っていた。

「今日から仕事をして貰います。簡単な買い物袋作りですから、誰にでもできますよ」

作業の掛りである懲役であろう。通路を自由に、行ったり来たり出来る特典を持っているのだろう。

「担当さんお願いします」

作業係りの懲役が、担当を呼ぶと看守は、腰に下げた鍵の音を立てながら部屋の前に来た。

「作業を教えたいのでお願いします」

「よく教えてくれ。年寄は手先が不器用だから失敗が多い。数は出さなくても好いからきちんとした製品が作くれる様に教えろ」

「わかりました」

 直ぐに開錠して看守は扉を開いた。

 作業係りの懲役が、一抱えの紙袋の材料である店のロゴや店名が書かれている紙束を部屋に入れて、部屋に置いてある三〇センチ×五〇センチほどの机に上に糊と刷毛も置いた。

 簡単な作業なので、作業係りに教えられた通りにやったら、我ながら上手にできた。

 この買い物袋は観た事があると思いよく眺めて観ると行田市に、本店があり熊谷市・深谷市にも出店している「十万石菓子店」の袋であった。十万石饅頭と言えば埼玉県北部では知らない者はいない位に、十万石の菓子類は、市民の間に浸透している。勿論。何度も十万石の饅頭もお菓子も食べた事がある。

(棟方志功の作品に似ているこの絵の作家は誰だったかな)

 熊谷市と川越市は、同じ埼玉県であるのにも拘わらず。剛史は思わず郷愁に駆られて十万石の紙袋が非常に懐かしく感じられた。

(そう言えば、静代とお茶を飲みながら好くここの、饅頭を食べた事があったな・・・)

買い物袋を作るのが、自分でも大分うまくなったと自負し始めた頃。同じ川越少年刑務所の中にある「分類センター」に舎房を移された。

ここで二ヵ月生活をして、昼間は刑務所に行ってから体が持たないのでは困るので運動や集団行動訓練をするのである。同時に「知能テスト」「職業適性テスト」「数学・国語テスト」をさせられるのである。数学国語のテストは小学校六年程度のものなので、馬鹿らしくなってしまったが、全員が真剣な眼差しでやっているので、やらない訳にはいかず五・六分でやってしまった。

訓練期間の終わる十日前頃に。刑務官でありながらスーツを着た職員が、面接をして身上や事件の内容について聞き取り調査をした。

この調査により行き先の刑務所が決まるのである。剛史は、一緒に訓練をしている同囚が初犯だから、黒羽刑務所しか行かないよと言ってくれたのでそう思っていた。

しかし、これから行く刑務所が、何処であるか心配なのは剛史に限らずこの訓練センターにいる者は全員思っている。

面接をしている分類課の職員に聞いた。

「僕は、何処の刑務所に行くことに成りますか」

「通常なら、初犯であるから栃木の黒羽だろう。然し、君が殺した被害者の関係者が黒羽に、何人もいるので当方も頭を抱えているんだ」

「僕は、何処の刑務所でも好いですよ。五年間、罪の償いをすれば何処の刑務所に入っていても出られないという事は、無いでしょうから」

 分類課の職員は怪訝そうな顔をして剛史の言った事に応えた。

「君は初犯であるし、三年も刑務所にいて、事故なく務めれば仮釈放で出所出来る。私が、この調査を済ませると押送先結定会議が有る。私も、君が黒羽辺りの性格の好い物ばかり行く刑務所に押送できるように発言はしますよ」

 このようにして分類課の職員が下調べをして本人の経歴・知能・適正等を総合して何処の刑務所に服役させるか会議で決めるのである。

 この会議には、総務部長始め各課の首席や課長クラスが、全員出席して会議で決めるのである。

   

身柄が川越に置かれている内は、静代は毎日午前八時に家を出て、川越少年刑務所内にある川越拘置所に面会に行った。十時から受付けをする面会に、一番先に出来る様にする為である。

面会を受け付ける職員も今では、顔見知りになって差し入れする品物をあれが良い。これは良くないとアドバイスをしてくれるようになった。もっとも、年齢も静代と大して変わらない女性であるので、毎日、熊谷市から面会に来ているのを見て同情と親近感を覚えたのである。

弁護士の谷野は『刑事施設及び受刑者の処遇に関する法律』によると面会時間は、三十分以内と明記されているのだから三十分は、必ず面会をしてきなさい。と言ってくれるが、川越では十五分しか面会をさせてくれなかった。

もっとも、面会室で改まって剛史の顔を見ると長く話をする事が出来ず。唯、眼を見つめているだけで胸が一杯になってしまうのである。

お互いに長い夫婦であるから眼を見つめているだけで何を言いたいのか解ってしまうのである。

又、面会室では立ち会いの看守が、一言一句。二人が話した通りの言葉を書いて記録している。静代は自然によそ行きの言葉になってしまう。

「あなた、お変わりありませんか」

「うん。運動を毎日しているから体の調子は良いよ」

「何か必要なものはご座いませんか」

「この中で購入できるから、必要な者は全部、間に合っている」

 後はお互いに顔を見つめ合っている事が多かった。面会室ほど殺伐として無機質な場所は無い。面会室の中でどれだけの離婚や喧嘩が有っただろうか。数は少ないと思うが結婚もあっただろう。喧嘩は夫婦・恋人が、離れているだけに、拘置所にいて猜疑心が生れて(あいつは今ごろ何をしているのだろう・・・最近面会に来ないが男でもできたのではないだろうか・・・)

と思い込むのである。

 面会室は無機質であるが、僅か、一坪くらいに仕切りがある部屋で人生の悲喜交々が演じられる場所でもある。

 静代は剛史に言ってない事がある。退職金三千万円を、賠償金を支払えと言う被害者の代理人橋石恵三に渡してしまった事である。

 報告しようと思い家を出るのであるが、いざ面会室で剛史の顔を見ると口に出せなくなってしまうのである。結婚して以来。隠し事一つしないできた静代であるが、退職金を賠償金として、全額支払ってしまった事を言えないのである。

「二・三日後、どこかの刑務所に送られる。僕としては近くの刑務所が良いのだが、僕がどこの刑務所に行きたいと決めることは出来ない。だから僕が行く刑務所は官任せなのだ」

「近くの刑務所に行けるように、お願いをしてみたらどうです」

「馬鹿な事を言うのではない。この中は、体の自由を奪う所である事は、誰でも知っている事だが、はっきり言って自分の意志も通らない所だ」

「そんなに厳しいのですか。面会の受付の人は優しいですよ」

「それは君が、社会一般の人間だからだ。刑を打たれた以上、仕方ない事でもあるのだが、集団生活をする為でもあるのだろう。日常の生活の細部まで細かい規則があり、とても社会の常識では判断できないものなのだ」

「そうなの、ご苦労なさっているのね」

 刑務所内の情報を話すと直ぐに、面会立会いの看守は、面会簿を閉じて、立ち上がった。

「面会を終わります」

 刑務所の批判と受け取ったのである。刑務所と言う閉ざされた社会は、閉ざされた社会の都合の悪い事は、一般社会に知られたくはないので、看守全員で護っているのである。

 例えば、剛史が言った『とても社会の常識では判断できない』と言う言葉が、週刊誌や新聞に載ることは、刑務所を管理する者達の出世に、影響するのである。だから、所長を始め管理部長・処遇首席・その他の統括や課長達の履歴に傷がつくことに成る。

 刑務所の所長の勤務年数はそんなに長くない。よいところ二年である。刑務所にもABCクラスがあって、キャリアの試験に受かった者は、直ぐに、Cクラスの刑務所の統括クラスに、拝命されるのである。

 一年もCクラスの統括を無事に勤めれば、Cクラスの刑務所の所長に成れる。だが、勤務している刑務所で暴動や職員による受刑者暴行が発覚すれば、Cクラスの所長になることは出来なくなる。

 従って、所長や統括は自分が勤務をしている刑務所で、懲役に何かを起されては困るのである。

 しかし、刑務所の所長の裁量権は、刑事施設及び受刑者に関する法律を完全に凌ぐものである。だから出世主義の所長になると前所長の時には、規律違反にならない事が、新任の所長では、規律違反であるという事が大いにある。

 出世主義は、所長だけではなく末端の看守まで蔓延している「受刑者の矯正」等とは全くの綺麗事である。

 面会を終わると静代は、真夏の太陽がフロントミラーに眩しく煌めいている関越道を東松山インターに向って運転をしながら、剛史の行く刑務所が、決まった後の生活の事を考えていた。

 


  五日後、分類センターの担当看守が、房の窓越しに言った。

「明日押送に成るから荷物をまとめておけよ。行く場所は言えないが、寒いみたいだから風邪などひかないようにしてくれ」

 翌日、朝五時に起こされた。洗面用具やノートちり紙を手にして、押送の為の言い渡し室に連れて行かれた。十人ぐらいの頭を丸坊主にした同囚たちが、自分の手荷物を前にして、九十センチ×九十センチの広さの通称、びっくり箱に、中に三十センチ幅に通された板の上に座らせられドアを閉められ自分が呼ばれるのを待っていて、何番と呼ばれると「はい」と応えて外にいる看守が、ドアを開けて押送先を言い渡す看守長の前に連れて行くのである。剛史の言い渡しは五番目にあった。

 看守長の前に立つと番号氏名という看守の声が聞こえた。

「四三番・大沼剛史」

 鷹揚に看守長は頷くと身分帳という刑務所の中の履歴書に等しい物を手にして、剛史に言い渡した。

「四三番。大沼剛史・過失致死罪・懲役五年君はこれから宮城刑務所に務めて貰うことになったから、これから移送する。移送中は事故を起こさないでもらいたい。職員の指示に従って行動しなさい」

受刑者の刑期の長さと再犯度により服役する刑務所は区分される。

 初犯はA級と再犯はB級と区分される。十年以上を長期刑と言ってロングを略してLとして再犯のBの上にLを付けてLB刑務所と呼んでいる。

この日の押送は黒羽。福島。宮城の三組であった。

剛史と共に宮城刑務所に押送されたのは、大阪生まれで現在、六本木で妻が麻雀荘を経営しているという。岸本龍雄という同じくらいの年の十二年の刑期を打たれている色白で白髪が上品で、教養がありそうな老齢な男であった。

普通。川越駅から大宮に出て、新幹線で仙台まで押送されるのであるが、剛史と岸本は法務省の大型バスに、手錠と腰紐をつけられたまま東北道を北進した。

岸本は一番前の席に、剛志は一番後ろの席に座らせられ腰縄の先を窓に通されている鉄格子代わりのパイプに結わい付けられた。

バスのパイプ越しに見える福島県の山々は、夏の青空の中をすっきりと屹立していて惨めな格好で押送される剛史の不安と、萎えそうになる気持ちを癒してくれるので窓越しに福島の山々の遠望を眺めながら別な事を考えていた。

山を眺めているとひときわ大きい山が表れた。

(あれが、高村光太郎が歌った智恵子抄に出てくる安達太良山だな、それにしても、光太郎の詩も智恵子を真実愛していたのが解る抒情詩であったな。光太郎は、上野の西郷さんを造った高村光雲の倅で確か、フランスに行きロダンの弟子になった男であったと記憶しているが・・・)

 バスは東北道を逸れて安達太良サービスエリアの駐車場に入って行った。

「休憩ですか」

岸本が言った。

「休憩は俺たちだけだ。小便がしたければ便所は、後ろに付いている。申し出れば何時でもさせてやる」

 横柄な態度で、三人居た看守の中の一番偉いと思われる目つきが悪い者が、岸本に向って言った。

「あんた達。おかしいのではないか。押送の時は、弁当と茶代として一人五〇〇円の経費が渡されるのではない」

岸本は、舌法鋭く看守達を問い詰めた。

「そんなものは出やしない。懲役の癖に何を言っている。岸本お前仙台に着いたら直ぐに取り調べに成るぞ」

「何を言っているんだよ。あんた達は、せこい奴らだな、こんなことは押送の常識だ。君達は、俺たちの弁当代まで撥ねて、今夜は、仙台の看守仲間と焼酎でも喰うのだろう」

 図星を指さされて看守達は、応えはしなかったが、横を向いて看守同士は小声で話していた。

 剛史はこれ以上。看守を攻めると別な言いがかりを、つけてくると思ったので岸本に小声で呟いた。

「もう直ぐ仙台に着くのだろうから、辛抱しましょう。岸本さん」

納得がゆかないような顔をして岸本が剛史に頷いた。

看守達は代わる代わるバスから降りて、便所を済ませて、その後、煙草を吸ってきたのだろう。バスの中が、帰ってきた看守の煙草の匂いで充満していた。

剛史と岸本の休憩ではなく、自分達のゆっくりした、休憩が終わりバスは走りでした。もうすぐ宮城県に入ると思った。

 


仙台市若林区古城にある「宮城刑務所」は歴史がある。元々、伊達正宗の隠居所があった場所に、明治となり西郷隆盛の西南の役が起こり、勝った政府軍が負けて捕虜となった西郷軍の者達を収容したのが始まりである。

だから、伊達正宗時代の梅で「臥龍梅」と仙台出身の詩人である土井晩翠が命名した「国の特別指定天然記念物」が所内にある。

正門入り口には、これまた「国指定天然記念物」である「幡龍の松」が左右に向けて手を広げている無様な格好で入所をする懲役を待っていましたという様に植えられていた。

 パスが宮城刑務所の門を潜った時。剛史は思った。

(これから、約五年ここで生活をするのか・・・)

 


 


 


蝉 が 哭 く

 


熊谷市が、日本で一番暑い所とされてもう何年たったのだろうか。その熊谷市に隣接した山間部に、東武東上線寄居町がある。駅からタクシーで約五,六分の場所に、剛史が会社務めをしていた頃。ツーサムで、何度もプレーをした平政俱楽部・寄居コースがあり、クラブハウスに向って、静代は車を走らせていた。

賠償金を被害者人の妻と橋石に請求されて、剛史の退職金三千万円で払ってしまったので、働かなくてはならない。

平政俱楽部・寄居コースのキャデーをしている友人でもある宮崎富美江に、相談したところ、ゴルフ歴のある経験豊富なキャデー希望者を募集していると言われ就職の為に、面接に行くのである。

小高い丘の上に造られたコースのクラブハウスは、緑青を吹いたような色をした屋根の豪壮な建物である。

ハウス内にある一室で支配人の菱海銀二は、静代が、キャディをやると言うので

驚いた顔をした。

「キャディは、肉体的にも精神的にもきつい仕事です。大沼さん。私は、お客様として数えきれない程、いらしてくれた人に、キャディを奨めたくはありません」

「有難うございます。でも主人が癌で入院しているものですから、働かないわけには参りません。ゴルフについては、何とか少しは知っている積りです。どうかと宜しくお願いします」

菱海支配人は、鷹揚に頷きながら静代に、はっきり返事をした。

「難しい事は言いません。宮崎さんからもお話を承っています。取り敢えずは、知っている事と思いますが、キャディ教育を受けて貰います」

静代は、支配人が、就職を了解してくれたのでほっとした。

「一生懸命に働きますので、宜しくご指導をお頼み申します」

平政俱楽部・寄居コースとしても剛史と静代は、第一に良いお客であった事と宮崎富美江からの推薦もあったので、雇わないわけにはいかなかった。

宮崎は、このコースのキャディの中のリーダー的存在でもあり、顔を潰した結果になるとコース運営上困るのである。三日後の、水曜日にキャディ教育に、出てくることを言われて熊谷市の家に帰った。

 


キャディ教育日に、平政俱楽部・寄居コースに行くと教育係りは宮崎であった。

「静代さん。ゴルフの事は、わたし以上に知っているわよね。今さらと思いますので、この俱楽部のキャディ教育心得をコピーしておきましたから、家に帰ってからでも読んでみて、一時間位、時間が有るから久しぶりに、お話でもしましょうよ」

「宮崎さん。お手数掛けるわね。助かりますわ」

「大変な時こそ心配をして、友達と言えるのでしょう」

「貴女にそこまで言われて嬉しいわ」

宮崎に剛史が、刑務所の入っている事を話しておいた。宮崎は、新聞を読んで事件を知っていたのであるが、今まで電話で話す事はあっても事件には触れずにいたのである。

宮崎も苦労をした人間であり人の心の痛みが解る女性である。

宮崎がコピーして渡してくれたキャディ心得にはこの様に印刷されていた。

キャディ心得 一

・準備 ・挨拶 ・球探し ・スロープレー ・危険防止

球の門題

・自然に動いた球 ・動かした球 ・同伴球技者に動かされる ・局外者に動かされる ・リプレースできない時

   キャディ心得 二

・四バックのときの門題 ・アドバイスについて キャディ心得 二には、細かく説明されていた。

   『キャディはゴルフ場の顔である』

 


一、     サービスの品質向上に努めているか?

二、     サービスの技術向上に努めているか?

三、     キャディの重要性を認識しているか?

四、     チームワークは良好か?

五、     モチベーションは高められているか?

 宮崎にキャディ心得を渡されてから二人は、世間話に終始していた。少ない友人の中でも宮崎には心を許せていた。

 良い友達をもって良かったと思った。

 二人の友の気持ちを慮る会話は、弾んで直ぐに一時間は経ってしまった。

 帰りがけに宮崎は、二日後にキャディの実施教育があるが、宮崎が随伴すると言った。

実施教育に来る時間を聞いて平政俱楽部・寄居コースのクラブハウスを出たら近くの山々に木魂するばかりに蝉が哭いていた。

(蝉しぐれだわ・・・)

 


 家に帰り静代は、好きなブルーマウンテンを挽いて、自分で寛ぎの時間を味わった。仄かに匂うブルーマウンテンの香りは、静代の脳裏を擽り精神は、剛史が定年退職をした時に、連れて行ってくれたメキシコ市やカンクンの何処までも蒼く深い群青の空と海を漂っていた。

(素晴しい旅をあなたありがとう。わたしは、この思い出だけで強く生きて行けるわ。静代のことは心配をしないでね・・・)